自己採点でおねがいよ 2
ラインの通知を知らせる着信音に、名前は読んでいた新聞を机の上に置いた。
スマホのパスコードの入力さえもどかしく感じながら、お馴染みの黄緑のアイコンを連打する。
予感は当たって、ずっと待ち望んでいたその人からだった。
「終わった。迎えに来れるか?」
すぐさま承諾の返事を送りながら、よっしゃあっ、と叫び出すのをこらえる。
出来るだけ可愛い服を合わせて、訳もわからず机の上を片付けて。勿論、スマホをコートに突っ込むのは忘れない。
名前がバタバタと準備している音を聞きつけたのか、リビングで連ドラを見ていた母親が
「向こうでご飯食べてくるならお菓子買って行きなさいよ」
と声を張り上げた。
そうだ、チーズケーキでも持っていこう。
名前は頭で思い描いていた大学までの道のりに駅前の洋菓子店を加えた。あと10分ぐらいで着きます、と送ると「走って来いよ」との返信。
言われなくてもそのつもりだ。
天気は良いものの、冷えた風が吹きすさぶ中で、笠松はネックウォーマーに顔をうずめるようにして立っていた。
センター試験会場、という看板が立てかけられたその大学の校門の前には、笠松と同じように誰かを待つ学生で溢れている。
その中を進む名前の姿に気付いたのか、笠松はつけていたイヤホンを外した。
「急に呼び出して悪かったな」
「全然だいじょうぶです。家で昨日の問題解いてただけなので。先輩に会えるの、久しぶりだし…」
名前が息を整えながらやっとそう言うと、笠松は「全然平気じゃねえだろ」と笑って名前の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
久しぶりの笠松の手のひらの感触に、ほころびそうになる頬を必死に引き締める。
「いーえ、今から先輩んちで取り返させて頂くので全然平気です。ほら、大好きなチーズケーキも買ってきましたよ」
いかにもお菓子屋といった上品な模様があしらわれた紙袋を突き出すと、笠松はそれを受け取りながら苦笑した。
「それを言うなら俺のお袋が、だろーが」
「晩ご飯のお礼には一番いいかなと思って。先輩、ダメ?」
「はいはい、わーったよ。聞いてみる」
笠松はゆるゆると歩き出しながら、ジーンズからスマホを取り出した。
笠松と言えば青いガラケーというイメージが定着してしまって、最近替えたそれから違和感はまだ拭えない。もっとも、ガラケーでは名前とラインは出来ないのだが。
「もしもし? おー、終わった。……ああ、うん。まあ何とか」
まだ連絡してなかったのか、と驚くと同時に、笠松が母親より先に連絡してきたことに、名前は何とも言えない喜びを覚えた。
「それよりさ、今から名前連れてっていいか? ついでに晩メシも」
笠松は左手をポケットに、右手に携帯を持ちながら、名前の半歩先を歩いている。
その広い背中を見つめていると、笠松は右手を下ろして、おもむろに振り向いた。
「……なんだよ、ジロジロ見て」
「べつにー。お母さん、なんて仰ってました?」
「大歓迎だとよ。あ、お前好き嫌いあんま無かったよな?」
名前が大きく頷くと、「だよな」とまた前を向いて言った。
「そういえば先輩、昨日の朝、黄瀬君と一緒に来たんですけど、」
「……黄瀬と? なんでまた」
「たまたま駅で会ったんです。ちゃんと話したのはほぼ初めてだったんですけど、あれですね。女慣れしすぎるのも考えものですよね」
ああ、と笠松は辟易したように同意した。
さぞかし黄瀬のファンの対応には苦労していたのだろう。笠松のような、女子が苦手なタイプは特に。
「それで思ったんですけど、私、やっぱり笠松先輩の背中が大好きです」
笠松は案の定、ぐっと押し黙ってしまった。ただ強張った背中だけが名前に言葉を返している。
「黄瀬君、あんなに足が長いのに私の歩くペースに合わせてくれて、有難いんだけど、なんか空振り感っていうか。でも、先輩の背中があるとすごい落ち着くんですよね。分かります?」
「……わかんねー」
「先輩、こっち向いて言ってくださいよ」
どうせ笠松の短髪では真っ赤になった耳を隠すことは出来ないのに、頑として名前の方を見ようとしない。
そして、笠松はそのままの体勢で「ん」と右手を伸ばしてきた。
「黄瀬のことは知らねーけど、たまにはお前に合わせてやる」
「私、このままで平気ですけど。むしろ今言った通り、」
「いーから、つなぎたいならさっさとしろよ。今日の次、いつ会えるかわかんねーだろ」
やっぱりこの人のこと、好きだなあ。
名前はしみじみとそう思いながら、左手の手袋を取った。
「じゃあ、お言葉に甘えて」
笠松の冷えた指先が名前の手を包み込んで、体温が溶け合うような、そんな感触がする。
隣に立ってその表情を覗き込もうとすると、笠松は途端に早足になった。
結局、名前の目の前には見慣れた背中があって、思わず笑った。
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