自己採点でおねがいよ 1


 朝、駅の改札を通る、見慣れた制服がいつもより少ないことに気付いて、「ああ、センター試験なんだ」という実感が名前の胸に迫ってきた。

 歩きながら、しばらく動きを見せていないラインのトークを開く。最後の会話は、名前にしては珍しく顔文字も画像もない一言で終わっている。

 センター、頑張ってください。

 名前が画面をスクロールしようとした途端、体を跳ね飛ばす振動とともに、既読という文字が突然二重になって見えた。


「ってーなバカ女…」
 そう小さくののしる声には聞き覚えがあった。

 小柄ではない名前の視界で、最初に目に入るのがKAIJOと筆記体で刺繍された左ポケット、という時点で相手は限られる。
 名前がスマホから視線を上げると、その肩が跳ねたのが分かった。


「す、すみませんっス!」
「ごめんね、黄瀬君だよね。歩きスマホが危ないのは分かってるんだけど」

 と名前が言い終わらない内に、黄色いつむじが目の前にあった。

 当然ながら、駅通路のど真ん中で190センチ近い男が女子高生に向かってジャスト30度の礼をしている、という図になる。

 しかもラッシュ時だ。野次馬的な視線が集中していくのを感じて、名前は慌てて「もういいから行こう」と黄瀬を促した。


「……マジで失礼したっス。名前先輩すいません」

 駅から出てすぐのところの交差点を曲がり、閑静な住宅街に入る。
 ぽつぽつと歩いていた生徒の1人が名前と黄瀬を見た。おそらく1年だろうが、黄瀬は視線すら向けない。

「もういいよ。私が悪いんだし」
「いやいやいや、でも俺、」

 今にシバかれるんじゃないか、と言わんばかりに平身低頭する黄瀬は、名前のことを元ヤンか何かと勘違いしているのだろうか。


 名前と黄瀬は同じ海常バスケ部だが、普段の練習では女バスと男バスの接点なんてほぼ無いに等しい。だから、そこまで明確な上下関係はないはずで、気にしなくてもいいものだが。

 名前は呆れながら、後輩がきゃあきゃあと騒いでいた、そのよく出来た顔を眺めた。
 黄瀬はふざけたことに歩調まで名前に合わせている。バカ女と言ってのけた黄瀬とはえらい違いだな、と思った。


「そういえば、黄瀬君と会うの珍しいね」
「たしかに……名前先輩、今日ちょっと遅いんじゃないスか? 俺、いつもこれくらいの電車っスよ」

 再びスマホの電源を入れると、ロック画面には7:55とあった。いつもの名前ならとっくに朝練を始めている時間だ。

「やっぱり、笠松先輩と一緒に行かないとなあ……」

 出来るだけ丁寧に発した音は、白い水蒸気となって名前の口から出て行った。


「朝、センパイと待ち合わせてたんスか」
「3年生が引退してからも何となく、習慣になってるんだけど、今日より30分ぐらい早い時間にね。黄瀬君と違って朝練ちゃんと出てるから」

 名前がそう言うと、黄瀬はまたビクビクと謝った。しかし、笠松先輩と名前、に対する好奇心が勝ったのか、黄瀬は口を開いた。

「じゃあ、ひとまず受験終わるまでは今日みたいな感じっスか?」
「そうだね。受験に集中したいからって、ラインも止めちゃったし。仕方ないけど、しばらく会えないことになるのかな」
「へー、マジでセンパイらしっスね。そっかあ、俺には出来そうもねーや……」

 黄瀬はどこか感慨深そうに、白い息を吐き出した。

 見慣れた校舎の向こう側に、あいまいに白っぽい空模様がずっと続いている。雪が降るのがセンター試験のジンクスらしいが、今年もそうなりそうだ、と名前は思った。

「今日は七時近くまであるんだっけ。大変だよね」
「え、マジ? そんな長かったっスか」
「知らないの? 私なんて来年だけど、黄瀬君だって2年後だよ」

 正門をくぐると、ちょうど予鈴のチャイムが鳴り始めた。周りの生徒たちの足が心持ち早くなっていく。

「私には何も出来ないけど、せめて、良い結果になるように祈ろうかな」

 そうっスねと、受験をする気もする必要もないだろう黄瀬は軽く頷いた。




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