79

分からない。
どうしてわたしが感情の奔流にのまれているのか。
ーー分からない。
なぜ涙が止まらないのか。


青は大きな手で、ぽんぽんとあやすようにわたしの頭を撫でた。青の顔は見えないけれど、細い眉を寄せて困惑しきっているのだろう、手に取るように分かる。


ああ、そうだ。こんな距離に、こんな近い距離にわたし達はずっといたんだ。

「……青、もう分かった、言うよ」
ずっと、ずっとしまいこんでいたこの感情の名は。


「好き」


押し当てていた額をゆっくりと離すと、青は呆然と目を見開いていた。
わたしの顔をじっと見て、はっとしたように顔を赤くする。
思わず少し笑ってしまった。


「……俺は、知らなかった」
「わたしも今認めたばっかだもん、そうなんじゃない?」

「意味わかんねぇよ。なぁ、何で今更になって気付くんだよ。俺は、俺はっ」
青はぎゅっと眉を寄せてその後に続く言葉を飲み込んだ。

見てる方まで伝染りそうような、悲しみをこれでもかと湛えた表情。
そんな顔をしないで、なんて無神経な言葉は吐けるわけがない。

わたしは静かに目を伏せる。
「……じゃあ、俊一郎さんと婚約したまま、日本に残ってほしかった?」

「それはぜってー嫌。目の前で他の男にむざむざ取られるなんて、ありえねぇ」
青はためらいなく言い切った。それに、少しだけ救われる。

あのときの二者択一は間違ってなかったという証明。
これで、少なくとも後悔はしない。


「もう、こっちには帰ってこれねーの?」
「それは多分無いと思う。けど、青と連絡とるのは禁止されちゃって……ごめん。次いつ会えるかも分かんない」
「何だよ、お前が謝ることじゃねぇだろ」

目を細めて、らしくねーと言う青は、今にも壊れてしまいそうな笑みを浮かべた。

「なんで怒らないの?」
「は、何で俺がお前に怒んなきゃいけねぇんだよ」
「……優しいね。とっても」


与えられてばかりじゃ前と同じなんだ。
そう気付いてからは早かった。

さっきもらったばかりのマフラーを青の首に引っ掛け、それを力の限りひっぱる。当然青はバランスを崩し、前のめりになった。
おかげで届く距離になった唇を、塞いだ。



「え、お前、今……っ!?」
「一応ファーストだから。約束の担保、これでいい? わたしがあげられるものなんて、これぐらいしかないの」
青はまたもやそっぽを向いてしまった。


また泣きそうなの?
わたしのせいで、余計に?

ねぇ、顔を見せてよ。

「青、これじゃ……」


「当たり前だろ。足りねぇ、足りねぇけど、」

わたしの肩に手を置きながら、青はゆっくりと上体を屈めた。とっさに目を伏せると、耳元で低音がかすれる。

「いつまでだって待っててやるから」


チュッと軽いリップ音がして、薄い唇が触れてきた。何度も角度を変えて、深く口付ける。

キスで男の人の品性が分かるというけれど、青のそれは、信じられないほど繊細で、優しかった。




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