64


ちょっと早かったかな。
ひと気のない図書館に足を踏みいれてすぐ思った。

いつもならばらばらと学生が座る学習スペースはがらんとしている。
6限をサボったから青が来るのもあと1時間は先だろう。ちょっと寝ようかなとも一瞬思ったが、すぐ思い直して数学の参考書を取り出した。



二次関数で占められた思考の外側で、ギシリと床が軋む音がしたような気がして、ぱっと後ろを振り返った。
「よぉ、渡」
やっぱり、青だった。
「ちわっす。…もうそんな時間か」

青は「あ?」と軽くすごみながらカバンを床に下ろし、隣の椅子に座った。長い足がマイスペースを侵食してきて窮屈だ。
腕もそう。青は小回りがきかないから、動くたび微妙にぶつかる。

ブランクはせいぜい1週間ちょっとなのに、かなりひさびさに感じた。

「今日の宿題はー?」
「英語の問題集」
「あら大変。全っ然できないもんねー」
「そいつに数学聞いてるバカは誰だよ」
「え? 誰?」

ああ、これだ。
いつもと変わらないやりとりに、どうしようもなく安心する。

この時間だけ、青といるときだけは、家のことなんて忘れられる。



「おい、渡。お前顔色悪くね? 大丈夫かよ?」
ふうとため息をつくと、青は心配そうにわたしを覗き込んだ。

色の黒い肌をぎゅっと寄せ、じっとわたしを見つめる。手をつかんだだけで気まずくなるくせに、顔の距離が10センチ以内なのは平気な青の気がしれない。

「あー、たしかに疲れたまってるかも。……ってそうそう、聞いてよ青!」
思わず机を叩くと、青はびくっと後ずさった。
「お…おう」

「2号と初詣行ったのもう広まっててさ。『キセリョと付き合ってますの?』って十回以上は聞かれたんだけど!? どうなってんのデルモ」
「ぶはっ、ますのって何だよますのってw」
あくまでもイメージ映像でお送りしております。

「笑わないでよ〜汚らわしいとか言われたんだよ?」
「マジかよ、今どきどんな時代錯誤だし。たかが初詣一緒に行っただけだろ? いくら黄瀬とはいえ」
「真面目にそんなとこなの、ウチの学校」

「へー」
青は珍種の生物でも見るような顔をした。わたしは違うと全力でシャウトしたい。

「顔がいいのは認めるけどさー口を開くとアウトだよね」
「ひゃははっ。それ黄瀬に聞かせてやりてぇな。あいつ、女に振られたことねぇとか豪語してんだぜ?」
マジうらやまっ、と叫んだツッキーは女子として標準らしい。


ならば、標準ではないわたしは?


その疑問の先に続く思考に、わたしは蓋をすることにした。



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