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今、なんつった?

鼓動が早くなっていくのを感じながら、渡の顔を覗き込む。渡は視線を上げようとせず、ただ立ち昇る湯気をぼんやりと追っていた。

沈黙の中で、プルルル…と着信音が鳴り出した。
渡はごめん、と短く断ると舌打ちしながら携帯を取り出す。

「はい」

【ちょっとゆずちゃん、今どこにいるの!?】
お馴染みの高い声がばっちり聞こえ、思わず二人で苦笑した。渡はスマホを耳から外し、通話をスピーカーモードに変えた。

「とーきょードームシテーアトラクションズー」
【はあ!? 全くあなたはすぐ抜け出して!!俊一郎さんをどれだけ待たせてると】
「はいはい、母上。11時からだから、ざっと6時間くらいでしょうね」

そういえば、俺が呼び出されたのも11時だった。渡の呼び出しが唐突だったのは、こっそり抜け出したからだったらしい。

【もうっ!! 何でゆずちゃんはそう反抗的 ………とにかく、早く帰ってらっしゃい。今からだったら顔見せぐらいはできるわ】

「慎んでお断りいたします。では」
渡は有無を言わせずブツリと携帯の電源を落とした。表示された時計を見ながら、「あと20分で来ちゃうな……」なんてつぶやく。

「帰りたくねーなら、居場所言わなきゃよかったんじゃねぇの?」
「まーそうしたいのは山々なんだけどね……この携帯、GPSもついてるんだわ」
「うっわ…すげぇな」
俺の一言を最後に話が途切れ、再び沈黙がやってきた。


静かにココアを傾ける渡を捉えながら、すぅっと息を吸い込む。
今なら、雨にかこつけて何を聞いても許されるような気がした。

「渡、何であっさり婚約なんてOKしたんだ?」
渡は瞬時に顔を上げ、驚いたように目を見開いた。

「…何で、って?」
「お前さ、とりあえず親には反抗してんじゃん? でもこの話については『仕方ない』つってたろ。随分前に」
それが不思議だったからと言えば、渡は何でもないように話し出した。


「親父がさ、婚約するなら高校生の間は自由にしていいって言ったの。一人暮らしとか、行きたい高校に通うとか。3年だけだけど、どーせ親父のことだからしばらくは結婚させないだろうし、美味しい話だと思った」

「……でも、その後はずっと…なんだろ? さっさと諦めるより、縁談片っ端から蹴ってった方がまだ望みはあったんじゃねぇのか」
渡は、癖なのかまたマフラーの裾を指に巻き付けている。

「……そうだね。今思えばそれこそ視野が狭かったけど、何でだろ。わたしにもよく分かんなくて」

意味深な発言に聞き返そうとすると、渡は「あ」と不意に小さく叫んだ。

視線の先に向き直る。


薄暗がりから、黒い傘を差したスーツ姿の男がこっちに近付いてきていた。



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