いけないひと。

また置いていってる。
ジッポーとマルボロのケースからのびる影の黒さといったら。

指先で触れると、ジッポーは少し温かかった。
煙草に小さく火をつけた。
ふうと息を吐き出すと、くらくらした。
センセイの胸ポケットに収まっている彼らの気分を考えた。


「いけない子ォやな。学校は禁煙やで」

キャンバスの心臓めがけて煙を吹きかけたところで、ちょうど今吉がやってきた。

「こんなとこに忘れる方が悪いから、いいの。あんた、部活は?」
「時計見てみ? もう終わってんで」
「触らないでよ」

肩に乗せられた手を払うと、今吉は人の悪そうな笑みを浮かべた。

「相手、菅原センセやろ」

油壺に吸殻を押しつけると、ジュウ、といって微塵のような灰が広がった。
とき油は空っぽだったらしい。
小さな炎が油壺の縁にそって這いずり回ったが、すぐ消えた。

「お前さんのブレザーに常備されたゴム。学生じゃ持てないそのジッポー。菅原センセはこの研究室の責任者。反論は?」
「ない。ついでに言えば、今したばっか」

そんなことぐらい分かってたくせに、ふちなし眼鏡の奥が鈍く光った。


もう筆を持つ気にもなれなくて、まっさらなパレットから道具箱にしまい込んでいく。
パチン。
ふたの金具を弾けば、私と椅子と今吉と、心臓の絵だけが残された。


「目黒。そんなこと、いつまで続ける気なんや」
「いつまで? 先のことを聞いても、どうしようもないでしょ」
「終わったことこそどうしようもないやろ。ワシには関係ないことや」

私はまじまじと今吉の顔を見た。

「関係あるよ。未来なんて、過去の繰り返し。過ぎたことの粗悪品だよ」
「何があったか知らんけど、目黒が過去に囚われすぎなんとちゃうか」
「じゃあ、見る?」

「見る?」と鸚鵡返しをした今吉の眼鏡が光る。

「私の過去。あるよ」


私が立ち上がると、今吉がついてくる気配がした。
センセイの机横のガラスケースの前で足を止める。
石膏像やら美術書やらをごちゃごちゃと押し込んだその箱に、ぽっかりとあいた穴。私の過去を投げ込んだ、バグ。


「すごいな。全部お前さんのやないか」
感心したような今吉の視線をなぞると、少しくすぐったいような気持ちになった。

「最優秀賞が4つ。準優秀賞が3つ、佳作が2つ。私の、高校時代の功績ってやつ?」
「そうは言ってもまだ1年弱は残ってるやろ」

「私、もう描けないから。私、才能は誰もが持っているものだと思う。
でもね、凡人の才能は底があるの。エッジな部分を失ったら、おしまい。
あんただったら分かるでしょ?」

今吉は息をのんだ。
無性に煙草を咥えたくなった。


「そんなことを頭で理解してる時点で、私は天才じゃないの。それに、絵を描くより、センセイに褒められるのが好きだったんだって気付いちゃった」
「……それとさっきの話は何の関係があるんや」

「わかってるくせに。凡人は天才に呑まれるの。
天才といると自分まで才能を手にした気分になるけど、天才がいなくなると、何も残らないの。
凡人のわずかな才能がだんだん減ってくの。みじめになって、違う人を探すの。
その繰り返し。未来は過去の粗悪品だよ」


今吉は何も言わず美術室を後にした。
その足音が遠ざかっていくのを、私は目を閉じたまま聞いていた。



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