銃声が聴こえた気がして、筆を止めた。

「だれ?」
私が声を張り上げると、第三美術室と書かれた札がパタンと音を立て、古い扉が開いた。

「こんなとこに、人がおったんか」

そう言って、狭い部屋を見回したのは、背の高い、眼鏡の男だった。
男は、床に散らばる画材の合間をぬって、私のすぐ近くまで踏み込んできた。

「お前さん、見たことない顔やけど、芸術選択生か?」
「じゃなきゃ、高3のこの時期に、悠長に絵なんて描いてないでしょ」
「そらそうやな。ワシ、今吉翔一って言います。どーぞよろしゅう」

その明るい調子とは裏腹に、今吉とやらの目は腫れぼったい。

「どうでもいいけど、泣くなら余所でやって。鬱陶しいわ」
「余所でやれはないやろ。初対面の傷心少年やで、勘弁してくれ」
「はあ? 高3男子って少年にカウントできるわけ」
「男の心はいつまでも少年や」
「どうだか」

私はキャンバスに目を戻した。
膝の上に置いていたパレットを手にとって、平筆を握り直したところでーー強い視線を感じた。

「まだなにか?」
「いやあ、何描いとんのかなぁ思うて」

私が振り向くと、今吉は細い目を更に細くして笑った。
逃げ出さないのか、と思いながら、私はキャンバスのど真ん中を指差した。


「私の心臓。なかなかエグくていいでしょ。自画像のつもり。毛細血管に至るまで描きだそうと思う。
私が空っぽになるまで」

私が真顔でそう言うと、今吉は後ずさるどころか、距離を詰めてきた。


「上手いけど、なんか生々しいわ。それにこれ、背景は?」
「塗らないよ。背景なんて、必要ないから」
「意味深やな」
「至って単純だよ。私がいるの」

刹那、薄く開いた窓から生ぬるい風が吹き込んだ。
突風に乱れた髪で視界が覆われる。


「なぁ……お前さん、傷心の少年を慰めてくれる気はないか?」

今吉はぐしゃぐしゃになった私の髪をかきあげた。
風は収まっていた。
視界が開けて、今吉の目がそこにあった。


「少年はそんなこと言わないよ」

今吉は何も答えず、私の両膝の間に自身の膝を滑り込ませると、貪るように唇を奪った。



今吉翔一、私でもそいつの名前は知っていた。
ここ最近、うなぎ上りの成績を修めるバスケ部の主将。インターハイにも出場したらしい。
勉強もめっぽう出来るという。
もしかしたら同学年男子では1番有名かもしれないーー女にだらしのないところとか。

噂に違わず経験者らしく、上あごの裏側をはじくように動かされた舌は、官能的で、なんとも粘着質だ。高校生って知ってても信じられないくらい。


「お前さん、ワシと同類やな」

「なんのこと?」


くちびるとくちびるに垂れ下がる透明な粘液を、終わりかけの夏の風がさらっていく。



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