21,5≠赤司

『赤司みたいに、毎日同じことを繰り返せるのってすごいと思う』

和泉自身は何気なく言ったであろうその言葉は、僕には少々衝撃的だった。



「1着、3レーン、12秒32。2着、1レーン12秒68。3着、2レーン……」
体育教師が100m走のタイムを告げていく。
ゴールラインの脇で息を整えていると、2着の奴が僕のすぐ隣を通った。

「……走るのも速いんやな。赤司サンは」
彼はすれ違いざま、感情を無理やり押し潰したように呟いた。
ああ、なるほど。
陸上部のルーキーを負かしてしまったのか、と理解したときには、彼はもう友人のもとで馬鹿笑いをしていた。


勝つことは当たり前で、勝たなければ意味が無い。

小さい頃からそう叩き込まれ、それに従うべく血の滲むような努力を重ねてきたら、いつしか僕と同じ高さには誰もいなくなっていた。

そうしたら、ひとは結果だけ見て僕を天才と名付け、そして距離を置いた。

不特定多数に見上げられる存在というのは、十分にプライドを満たしてくれたし、もとより僕は他人に内面を踏み込まれるのは得意じゃないから、その位置はとても居心地が良かった。


今までは、そうだった。


「あっ! 赤司だ!」

更衣室から教室に向かって歩いていると、ジャージ姿の和泉が僕に向かって手を振った。
……あたりを憚ることもせず。おかげで周りにいた奴らが一斉に僕を見る。

全く、あいつは。
仕方なく「急げ」と口を動かすと、和泉は言葉を返す代わりに満面の笑みを浮かべた。


これだから嫌なんだ、と声には出さずにうそぶいてみる。
和泉マキは危険分子だ。僕にとっては、非常に。

第一に、僕を負かし、そして認めさせたこと。

第二に、勘が鋭すぎること。本質を見抜く力が優れていると言ってもいい。
勝ったという結果ではなく、毎日練習するという過程に感心するなんて和泉が初めてだった。
僕が、一番求めていた理解だった。

第三に、僕と同じ高さで接してくること。これは現在進行形で困っている。


あんな笑顔は、僕を見上げる者が向けてくるような表情じゃない。

「……ヤバい。今のめっちゃときめいてしもうた」
「俺は体育限定のポニーテール姿に。うなじの白さマジパネェ」
「いやいや、まくりあげたジャージの裾から見える足首と手首といったら……っ」
和泉と芦屋の姿が見えなくなった途端、男共は口々にくだらないことを喚きだす。

こんなことを言われていると知ったら、和泉はどんな顔をするだろうか。
すぐに浮かぶ、耳まで真っ赤にした顔。思わず笑みがこみ上げてきたが、慌てて口角を下げる。


ーーいけない。
そうでなくても向こうから踏み込んでくるのだから、僕が気をつけなければ。
適切な距離が、無くなってしまう。


「ところで、マキちゃんとの痴話喧嘩は終わったん?」
「……は?」
いきなり何を言っているんだこいつは。
凄んだはずだったが、浮き足立っている相手には届かなかったらしい。

「一時期ひとっことも喋らんかったのに、今や手ぇ振ってくれるようなカンケイやろ? ほんと羨ましいわぁ〜」
「まず、大前提に誤解があるようだが、僕は」
「まーまー、照れんでもええのに」

僕を茶化す相手の目の奥に薄暗い羨望の色を見つけて、少し危機感を覚える。
男子でもこうなら女子たちはもっと色めき立っていると思って間違いない。

和泉が僕といることで被害を受ける前に、何とか手を打たなければ。

と、考えを巡らせる自分が予想外に焦っていて、そのことにまた焦る。
友人が傷付く様を見たくないという主張が、どうしてヒーロー漫画のような空々しさを伴うのか。


僕はどうかしてしまったのかもしれない。


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