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お馴染みのBGM、本鈴。それは今日もマキの上に鳴り響く。
「さぁって、和泉はん、遅刻やなぁ? 今日は何の日か、言ってみ?」
マキがゆっくりと扉を開けた途端、教壇で頬杖をつく梅田と視線が合った。
「……期末、初日です」
「そうそう、せやな。大正解。席に座ってええで」
ひとまず安心、と思いきや、すぐさま妙な違和感に襲われた。
「ちなみに今日は記念すべき遅刻20回目ですーー皆、このニューレコードに拍手!」
げらげらと笑い声が響く中で、マキははっとその正体に気付いた。
猫まただ。赤司の背に浮かぶのは少年ではなく、猫まただった。
おとといの朝は外れていたはずの着ぐるみが元通りに装着されているということ、それが示すのはーー
一度は開いてくれた心が、再び閉じてしまったということなのだろうか。
梅田は朝礼が終わったあとも教室に残っていた。どうやら1限の古典の試験監督らしい。
教科書をぱらぱらとめくっていると、急にその上にバインダーを置かれた。
そんな茶々を入れてくる人間なんて、マキは1人しか知らない。
「生きた新記録〜、おはよーさん」
「……おはよ、えりか」
「おっ? テンション低いな。さすがに初日っから遅刻は応えとんのか?」
芦屋はむしろ、期末でテンションがハイになっているらしく、輪をかけて饒舌だ。
「それともどっか分からんとこでもあんの? どうせほとんどノー勉やろ」
「うっさいなぁ。えりかにはきっと分からないよーだ」
「じゃあ、僕なら?」
赤司は椅子に座ったまま体の向きを変えると、マキの教科書を手に取った。
きみのことだよ。マキが内心で毒づきかけたとき、「……あれ?」
「ん? どうした、マキ。助動詞活用ノートでも忘れたか」
「まさかぁ。さすがにそれ無いと赤点も夢やないやろ」
「そういえば、芦屋も文法分野は弱かったな」
「ちょっと赤司くん、並列表現せんといてや。ウチかてマキよりはずっとええで」
目を瞠った。
赤司の「画」がコロコロと姿を変えている。
より詳しく言うなら、芦屋と話すときは猫また、マキを見るときには少年の姿になるという具合だ。
「ほら〜そこの3人。さっさと席に戻り。そろそろ問題用紙配るで」
「梅田先生、もう少し待って下さい」
赤司は猫またの姿で言った。
「彼女に少しでも長く勉強時間を与えないとうちのクラスだけ平均点が著しく落ち込むと思います。もれなく教員会議で主任の高橋先生から遠回しに担任が古典担当の教諭のクラスがどうして」
「よし赤司、付け焼き刃でかまへんから2分で何とかしてくれ」
至る所から歓声が上がり、どっと笑いが起こる。
芦屋も例にもれず笑い転げながら自席に戻ると、マキに向かってしたり顔でピースした。
赤司とマキのこと全部知ってます、って顔だ。全く、かなわない。
「まずは推量の助動詞だが……マキ、何でお前が笑っているんだ。僕がせっかく教えてやろうとしているのに」
小さな男の子はぷくっと頬をふくらませた。
好きなひとがマキの前でだけ素直になってみせている。
今まで赤司が猫またという仮面で隠してきた、ずっと守ってきた部分を、マキには見せてくれている。
赤司本人は知る由もないのだけれど、マキにとっては嬉しすぎてもう口元が緩みっぱなしだ。
「ありがと、征十郎」
貴方の其の着ぐるみに、可愛らしい男の子が入っていたなんて、ね。
final round 完
→あとがき
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