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正直、予想外だった。
外は雨で時間も遅いのに−−というよりも、赤司がマキを気遣ってくれたこと自体に驚いた。
何言ってんの、付き合ってるんでしょ?
マキを嘲笑する誰かを無理やり追いやって、「ありがと」努めて明るい表情で傘を受け取った。
雨が、ビニール傘を滑り落ちていく。
赤司は何も言わず、ただマキの隣を歩いていた。
「おばあちゃん、脳卒中だって。美味しいもの食べすぎだよね。甘いものも好きだし、っていうかもう年か」
返答はない。息つぎもしないでまくし立てた分、戻ってきた沈黙も痛かった。
やすりでこすられたみたいな、一点的ではない後味が悪い痛み。
おもむろに目の周りが熱を帯びた。
赤司に泣き顔を見せたくない、その一心で耐えていた、そのとき。
「お前のおばあさんは平気だよ。きっと、思い詰める必要はない」
らしくない赤司の言葉に疑問も抱く間も無く、マキの中に鬱積した感情はぱぁんと弾けた。
「赤司に何が分かる訳? 何で、なんで簡単にそんな無責任なこと、言えるの?」
「そりゃあ、他人事だからな。でも、あそこまでバイタリティに溢れている人はそう見ないよ」
「知らないよ、そんなのっ! もしかしたら、目も覚めないかもしれないのに……っ!」
迎えに来てくれた赤司に八つ当たりすることしかできないなんて。
やっとの事で「ごめん」と付け足すと、赤司は信号を渡り終えた所で足を止めた。
「僕は、お前にとってそんなに信頼出来ない人間か?」
切なそうなその声で、やっと気付いた。
赤司は遠慮するマキが嫌で、わざと無神経なことを言ったんだ。
喉元で息が引っかかってひゅっとしたけれど、なんとか首を横に振る。
「謝らないで。こんな時くらい、僕に甘えてくれ」
その瞬間、涙が堰を切ったように溢れ出した。
「ねぇ、あかしはあたしのこと、好き? ただの興味の対象じゃなくて、あたしを、好き?」
驚き、戸惑い、迷い。
涙のせいで赤司のその百面相っぷりはぼんやりとしか見られない。
「この前、すっごく怖かったのは……上洛のこともあったけど、何より……分からなくなったの。赤司も、自分の気持ちも」
そう、マキは怖かっただけだった。
恋人というナマエに飽きたんじゃなかった。
あの冷えは、あてにしていた感情が根元から覆るかもしれない、そんな不信感で無意識の内にマキをガードしていたからだった。
赤司のことが好きだから、付けられる傷は浅い方がいいから。
言葉にして初めて自分がどう思っていたか分かることがある、と誰かが言っていたけれど、今のマキはまるでそうだった。
「……僕に、もう一度だけチャンスをくれ。マキ。顔を上げてくれないか」
「でも、泣き顔、」
「いいから」
赤司はマキの顔を覆っていた手を引き剥がした。傘のふちが重なって、大きな雨粒が赤司のむき出しの腕に落ちる。
「好きだ」
黄と赤の双眸が射るようにマキを見つめた。
「お前のことが好きだから、心配でずっと待っていたし、触れたいと思う。僕だってお前の気持ちが分からなくなるし、知りたいんだ」
赤司は「お前は?」と揺れる眼差しで尋ねた。
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