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「おばあちゃんっ!」

息を切らせながら重い引き戸を開け放つ。
一層強くなる消毒液の匂いと白色の中で、おばあちゃんは点滴につながれていた。

「マキ、うるさいわよ。ここをどこだと思ってるの。少しは周りを見て」
「あの、お母さん、」

「外、雨降ってるのね」
お母さんはマキの言葉を遮ると、タオルを頭からずぶ濡れのマキに押し付けた。
仕事場から直接来たのか、ため息をつくお母さんの顔は蒼白い。

「良くないの?」
「……ええ。脳卒中ですって。あと1分お義父さんが来るのが遅かったら、分からなかったって先生に言われたわ」
「脳、卒中……」

「舌が肥えてて料理が上手いからって美食がすぎるのよ、全く」
けれど、そう毒づくお母さんの声に張りはなかった。

搬送されてから意識が戻っていないおばあちゃんは、いわゆる重体だ。
どこぞのドラマのように今夜が峠だとかは言われなかったそうだが、依然として危険なことには変わりない。

この状態が続くようなら、身体的に障害が出る可能性だってある。

「それよりあんた、こんな時間まで学校にいたんだってね。携帯にも出ないし。さてはあたしに見せてないテストがあるでしょ」
「ち、違うよ。補習受けてた訳じゃ」
「じゃあ何なの」

「えーと……バスケ部のマネージャー的なことをしてると言うか」
「へぇ、またバスケ? 何で」

「何でと言われましても……」
お母さんは、付き合ってることはおろか、赤司の名前すら知らない。

マキが言いあぐねていると、パァンと大きな音がして扉が開いた。

「おかあちゃんっ!」

「ったくもう、父娘揃って騒々しい……大体、パパにはもう状況は話したでしょ」
「親父はなんて?」
「お店上がったら来るって」

お父さんも傘を差さずに走ってきたのか、スーツがずぶ濡れだ。タオルを放ると、やっと気付いたようにマキを見た。

「マキ、授業は!?」
「もう8時すぎだよお父さん……ちょっと落ち着いて」
「えっ、ああ、そうだったそうだった」

すると、お母さんもはっとしたように時間を確認して「確かに、」と切り出した。

「制服のまんまだし、あんたは一度帰りなさい」
「でもあたし、おばあちゃんが……」

「あんたが病院にいたって仕方ないでしょ。パパとバトンタッチしなさい。いいわね?」
お母さんに気圧されて、マキは小さく頷くことしか出来なかった。


8時を過ぎると待合は閉まってしまうのか、明かりが点いているのは急患用の勝手口に向かう道のりのみだ。

蛍光灯の立てる微かな耳鳴りのような低音がマキのあとを付いて回る。
息が詰まるような静けさに、マキの思考は悪い方へ悪い方へと引きずり込まれていく。

水蒸気が露点に達した呼吸器、平らになった心電図ーー
駄目だ。これ以上は。

自動ドアから出ると、むんと強くなるコンクリの濡れたにおいと、湿度。
雨がびたびたと降っていた。


「あ、かし……?」

「担任から聞いたよ。傘、どうせ持ってないんだろ」

濃紺の背景に滲むような赤が、こちらに傘を差し出した。


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