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慢心、飽和、妥協。
マキの頭をぐるぐると回っていた色んなものを、赤司はばっさりと切り捨てる。
「マキ、勝って当然なんだよ。勝つことは、呼吸をするのと等しい」
赤司は「勝利」するためではなく、「勝利している自分」になるためにストイックな努力を重ねているんじゃないかと、最近思う。
赤司という存在を肯定しているのは結果じゃなくて、過程なんじゃないかって。
それが合ってるにせよ、間違っているにせよ、赤司の生きがいともいえるその意志は軽々しく触れられるものじゃない。
「じゃあ、あたしは一度赤司を殺してることになるのかな」
「ふ。物騒だな」
「だって、呼吸をしなければ死んじゃうでしょ? あたし、一度ポーカーで勝ったじゃん」
だから猫または、赤司の本心は、こういうときに最も生気に溢れる。
今まで自分が、誰も近付けないと思っていたところに、マキという他人が踏み込んでくること。
そんな存在に対する興味、好奇心。
赤司の隣にいられる理由がそれなのだとしたら、分からなくなる。
「相変わらずお前の発想は興味深いな」
友達じゃなくて、恋人に関係を変えた理由を、見失ってしまう。
この前のことがあってようやく気付いたけれど、
「好きだ」
その一言すら赤司もマキも口にしてはいないのだ。
ーー本当に、好きなのだろうか?
ーー赤司も、マキも。
「今度また機会があればお手合わせ願うよ」
「……うん」
遠くから赤司を呼ぶ声がした。
赤司はすっぽりとかぶっていたタオルを首にかけて踵を返す。そのぴんと伸びた背中はマキから着実に遠ざかっていった。
「ねぇアンタ、大丈夫?」
部室でスポドリのタンクを水洗いしていると、マキの隣に大きな人影が立っていた。
びっくりして手を止めたマキを葉山は30センチほど高いところから覗き込む。
早々と着替えを済ませたらしく、もう制服姿だ。
「え、至って健常ですけど……」
「え? 赤司と何かあったんじゃないの?」
「え?」
マキが困惑していると、葉山はアーモンドのような猫目をぱちくりさせながら、
「あれ、泣きそうな顔してなかった? 今」
咄嗟に目元に手を当てたけれど、当然ながら水分のあとはない。一瞬でも慌ててしまったことに少し危機感を覚える。
思い当たる節はないよ、と自分に言い聞かせた。
「ありませんよ。見間違えじゃないですか?」
「うーん、そんなことねーと思うんだけどなー」
「……あんまりジロジロ見ないでほしいんですけど。いくら見ても変わりませんって」
声を大にして言いたい。マキが葉山とちゃんと話すのはこれが初めてである。
全くの初対面ではないが、いきなり一対一で会話は人見知りの激しいマキにはキツいものがあった。
「それより、ここに何か用事があったんですよね? 探し物なら手伝いますけど」
「それは平気。あんただから」
「は?」
ふと、赤司は葉山と会話が成立していたことを思い出す。そこに辿り着くには一体国語で何点取ればいいのだろう。
と、内心でぼやいていたときだった。
「だから、あんたを探してたんだって。校内放送で呼ばれてたから。至急事務室に来いってー」
なぜだか、猛烈に嫌な予感がした。
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