40

ちょうどシフトの入れ替えが終わったばかりらしい。控室と銘打たれた、移動式の掲示板と黒板に囲まれた狭い空間は無人だった。

「そこで待っていてくれ」と言い置いて隣の厨房へ向かった赤司は、氷がたくさん入ったビニール袋を持ってきた。

「手首、出して。原始的な手段だが、やらないよりはましだと思うから」
「あ、ありがとう」

恐る恐る左手を差し出したマキに、赤司は「なにも取って食うわけじゃない」と不満顔で氷嚢がわりのビニールを乗せた。
だって、なんだか調子が狂うのだ。

「なんか、そんな格好してると本当にお医者さんみたい。でも、着替えかけだったの? 聴診器とかついてないけど」
「ああ。上洛学園の連中がここらをうろついていたから、よもやと思えばお前がそのありさまだったんだよ。仕方ないだろう」
「……ごめん」
すると、赤司ははっとしたような顔をした。

「いや、お前に謝らせたかったわけじゃない。むしろ悪いのは僕だ。……迷惑を掛けてしまって、すまない」

赤司はそっと目を伏せる。
無性に頬をつねりたくなる衝動に駆られた。
あのプライドの塊のような赤司が、マキに謝罪してるなんて、現実でいいのか。

「上洛学園は次、というか明日の試合相手でな。わざわざ1組のブースに来るところをみると、僕個人に勝ってほしくないらしい」

「……そっか。じゃ、じゃあ、椎木さんは!? 行ってあげないとまずいんじゃないの?」
けれど、赤司の返答は至極あっさりしたものだった。

「ああ。彼女ならあの場にいたから、おそらくは問題ない。あとで話すときに、ついでに確認をとっておくよ」
それより、と赤司は一段声のトーンを下げる。

「和泉、このことは誰にも話さないでくれないか」
「でも……白金先生とか先輩とかにはちゃんと言わないと。明日向こうの学校に行くなら、なおさら危ないし」

「彼らに、僕のことで無用な心配をかけたくないんだ。頼む」


そこで、芦屋がフロア側との仕切りの間からひょっこりと顔を出した。

「赤司君おるかー……ってどうしたん?」
接客中にひねっちゃって、というマキの言い訳に、芦屋も忙しいのかそれ以上言及してこなかった。

それどころか、
「ほな、マキ。暇なら赤司君のメイク頼むわ。絶対やで」
「メイク? ちょっと待ってえりか、説明……」
行ってしまった。

「非常に不本意だが、僕が真っ赤なリップを塗ることは決まっているらしい。海堂尊ファンの中で」
「あっ 『ジェネラルルージュの凱旋』でしょ? あたしも好きだよ」
「僕がリアル赤色将軍だってもてはやされたよ。全く、元ネタを知らない奴だって多いだろうに。
して、お前は何をしているんだ?」

氷嚢を置いて、学園祭用とでかでか書かれたメイクボックスから真っ赤なリップを手に取ると、赤司がたじろいだ。

「さっきの話、いいけど交換条件ね」
「くっ、卑怯な……!」
「そんなことないよ、妥当でしょ?」

とても、とても勝ち誇った気分……のはずだったのだけれど。
「……和泉?」
初めて間近で見る赤司の顔に心拍数が跳ねた、なんて。


「じゃ、失礼しまーす……」
目を閉じた赤司の顎を左手でそっと持ち上げると、かすかな痛みと体温を感じた。

いつかの、瞼の感触。
抱きとめられたときの、腕と肩の感触。

心臓がばくばくする度に、そんな記憶が浮いては沈み、そして目の前にある薄い唇だけが残された。
じゃあ、これはどんなだろう?


ふにり。
柔らかで、見た目どおりうすいものが触れる。

鼻先がかすめ、ふと、呼吸が止まった。


「うわぁっ!? ごごごめんっ!!」

気まずいのと、そのあとに続く赤司の声を聞くのが嫌で、マキは一目散に逃げ出した。



second round 完

prev/next

back



×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -