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「ああ、碁石? ……はい」
少年はアイスを置いて、快く身を屈めて碁石を拾ってくれた。
「……どうも。ありがとう」
いいえ、と少年は微笑すら浮かべる。
正直言って拍子抜けだった。まさか猫またからマトモな対応が返ってくるとは。
少年はそんなマキを知ってか知らずか、ずいと身を乗り出してきた。
問題集と未完成の模様を交互に見たあと、盤上の一点を指し示す。
「それ、ここに置けばいいんじゃないか?」
「え?」
気付けばマキは操られるように石を動かしていた。
マグネットボードにぴたりと黒い丸が吸い寄せられ、均整のとれた模様が突如として現れる。
マキが20分以上頭を抱えていた難問は、いとも簡単に解けていた。
「やっぱりそうだと思った」
まさかと思う。絶対にぱっと見ただけで出来る問題ではなかった。
やはりマキの直観は正しかった。猫または、猫まただ。
「囲碁はよくやる?」
「……まあ。ボードゲームは基本的に好きだから」
「へぇ。じゃあ良かったら一局、どうだい?」
勢いよく頷いたマキに、少年は意外そうに目を細めた。
勝ち目がない。そんな分かりきったことはマキにはどうでもよかった。
ただ、猫またがどんな勝負の流れを作るのか見たかった。
マキは座席と座席の間のひじおきにボードを置いて、完成していた盤面をぐしゃりと崩した。
碁石を白と黒、山を2つに分けてミニテーブルに置く。
「君からやる?」
「平等にじゃんけんで決めよ」
マキが負け、少年は黒の碁石を手に取った。
何局打ったころだろう。
少年ははたと手を止め、盤上からマキに視線を移した。
「……どうかした?」
「君はどこで降りるのかなと思って」
外側に意識を向けると、間もなく京都です、お降りのお客様は云々。
そんなアナウンスがマキの耳に飛び込んできた。
「うそ、もう京都!?」
「じゃあここでおひらきにしようか。僕ももう降りなきゃだし」
少年は手荷物をまとめながら、自分は4月から京都の高校に通うことになると言った。
その学校に寮は無いそうで、近くのアパートで下宿をするらしい。
高1から1人暮らし。マキにはちょっと想像できなかった。
「そういえば君は? この時期に1人で京都なんて、帰省でもするのかい?」
「ううん、引っ越し。と言ってもおばあちゃんの家だから大して変わらないけど。親の仕事の都合で、あたしだけ一足先に来てるの」
「そうか……おばあさんの家ってどこ?」
「四条で昔からお豆腐屋さんやってる」
少年はマキの豆腐屋という単語になぜか食いついてきた。いわく、湯豆腐が好物らしい。
マキの家は代々豆腐屋だけれど、それでも変わってるなと思ってしまった。
囲碁セットを片付け、マキは窓の外に目をやった。
東寺の五重の塔が視界をよぎる。景色が流れるスピードがだんだんゆっくりになってくる。
――京都、京都です。お降りのお客様はお忘れものをなさいませんようお気を付けください――
「ねえ、ここからは近鉄に乗り換えるの?」
出口に向かう人の群れに混ざりながら、マキは初めて少年に話しかけてみた。
「確かそう。3つか4つ先の駅で降りるんだったかな」
「そっか……。あたしはおじいちゃんが車で迎えに来てくれてるから、ここでバイバイだ」
「はは、縁があればまた会うこともあるさ」
京都駅のプラットホームが見えてきた。もう15年も帰省していれば見慣れたものだ。
これからはそれが「日常」になるのだろう。
「短い時間だったけど、結構楽しかったよ。それじゃあ、また」
「じゃあね」
新幹線の扉が開いた。
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