30

社会科研究室と書かれたプレートは、じっとりとした存在感をもってマキを急かしてくる。

数秒ためらった後、やっとのことで意を決したマキは、そっと拳をうちつけた。


「失礼しまーす……」

ドアノブを回した途端、古い紙の独特のにおいが鼻をかすめる。
部屋の大部分が古びた資料で占められているけれど、白金専用と揶揄されるだけあって、明らかに授業に使われなさそうな背表紙も多々紛れ込んでいた。

その中の1つーーバスケットボールに関するらしい資料が集められた一角に、見慣れた赤色の後ろ姿があった。


「和泉、か。どうした?」

思わず身構えたマキだったが、赤司が手元から視線を上げようとしないのを見て、ほっと力を抜いた。

今までの経験からして、赤司は物事を同時進行させるのはあまり得意じゃない。
その「不得意」が、常人平均以上なのは当然のことなんだけれど。でも、赤司の洞察を逸らすには十分だ。


「えりかが、教室に来てほしいって。白金先生は?」
「さあ。さっきまでいたような気はする」
「気がするって、何なのそれ」

みんなマキに背を向けてくれればいいのに、とふと思った。
そうすれば、こんなにも安心して話せるのに。


でも、ボロがでない内に退散したほうがいいかもな。
「じゃ、あたし、仕事の途中だから先帰るね。ほどほどにして降りてくるよーに」

「おい、和泉、」

赤司がこちらを向いたのは、まさにマキがそそくさとドアに手を伸ばした瞬間だった。


「……一体、どうしたんだ」

何もない。必死で「そこ」に顔を思い浮かべようとしても、特徴的なあの眼すら、猫またの姿すら出てこない。

すぅっと深く息を吸い込む。
ーー気付かれちゃダメだ。


「何が?」
「何がじゃないだろう。それはこっちの台詞だ。僕に、その程度のごまかしが通用するとでも?」

一段低い、威圧感を込めた声。赤司は取り出したMDを机に置くと、マキに近付いてきた。
歩くたび、真っ赤な前髪が白い平面を上下する。
まるで足が竦んでしまって、マキは対上洛高校と題されたそれに視線を逃がすことしか出来なかった。


だから、赤司のとった行動に咄嗟に気付けなかった。
「っ、放して」

ドアノブにかけていた方の手首を赤司に掴まれていた。


「僕の目を見ろ、マキ」

「……え?」


今、名前を?

やっぱりそこには何も無かったけれど、思わず顔を上げ、赤司の目の奥に真意を探そうとしてしまった。


赤司はそれだけ分かれば十分だと言う風にマキの手首を放すと、くるりと背を向けた。

「和泉、その目は精神的なものか?」
「……どうして」

「何を見たかは知らないが、僕の顔を見た途端、著しく心拍数が上がった。それに比べ、お前に背を向けている今は落ち着いている」

心拍数は精神状態の変化を如実に表す、と言う。
マキが赤司に掴まれたのは、ちょうど脈のところだった。



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