凋落

ねばつくような夕陽の中、マキの前に、二人きりの家族がいた。

嫌いじゃない。
マキは思わずそう言っていた。


「征十郎は、あなたのようになりたいとどこかで思っているんです」
「……マキ、ちょっと」


征十郎は信じられないという顔でマキを見たが、もはや後には引けない。


「でも、あなたを超えられないことも分かっているんです。
だって、政治家をやるには感じが悪すぎる。
実際、色んな人に、征十郎のせいで青春が台無しとか自信喪失とか、言われてます。無理でしょ。

バスケをとるのは、あなたは全く関係なくて、征十郎の意思です。そして素質です。
皆に聞けば分かります。3年間、チームを勝利に導いた、素晴らしいキャプテンでした。
さっき言った、恨みを持ってる人たちでさえ、征十郎の強さは認めます。
自分たちの分までバスケをやってほしいって、それが勝者の責任だと、言っていました」


二人ともしばらく何も言わなかった。
マキの考えの浅さに絶句しているようにも、何かを考え直しているようにも、とれた。

その沈黙を破ったのは、意外にも征十郎パパだった。


「征十郎、おまえの彼女はずいぶん言ってくれるじゃないか。感じが悪すぎる、か。確かにな」
「そうでしょう。彼女は酷いんです。俺もずいぶん鍛えられました」
「……あれ? 真剣だったんだけどな」


征十郎も少し笑って、マキを無視して続けた。


「マキはああ言いましたが、俺は、何度も負けているんです。それでもバスケは、負けても楽しかった。
マキが、勝利が全てではないと気付かせてくれました。
あなたに褒められようと努力した日々も、その時はただ苦しいだけだったけれど、マキに出会った今は、少しは意味があるように思えるんです」


そう言うと、征十郎は深く頭を下げた。


「あなたの言う通り、東大を選ぶことにまだ少し未練があります。
でもその先は茫洋としていて、現実味がないんだ、バスケと違って。
OBと一緒に練習して、どこかの企業チームに所属して、プロのプレイヤーとして世界に行く。
俺にはその道がはっきり見えているし、実力もあります。
お願いします。俺の好きにさせてください」


マキは、プライドの塊のような男の、後頭部を初めて見た。

一瞬とも永遠ともつかぬ、間があった。
その間ずっと、征十郎は微動だにせず、真下の白いベッドのしわを見つめていた。


征十郎パパは「分かったから、頭を上げてくれ」と言った。
マキはそのとき、老人のひたいの生え際が赤いのに気が付いた。
征十郎と同じ赤い髪をわざわざ黒く染めていた。


「全く、昔の自分を見ているようだよ。
わたしも、親父はどうしてこうも保守的なのかと思っていた。
それが、いつの間にやら、親父の側に来ていたんだな。

……勝利が全てではない、か」


少年は悲しげにモナリザを眺めていた。
どうしてか、喜びもせず、勝ち誇りもしない。

こんなに古びて小さな絵だったろうか。
むしろ、大きく見えていたのが、錯覚だったのだろうか。


「いささか疲れた。おまえの気持ちはよくわかったから、もう出て行ってくれ。
スポーツ推薦でも何でも好きにすればいい。わたしはもう何も言わん」


征十郎は黙ってドアを開けた。
マキは慌ててその後を追い、「ありがとうございます。元気になったら、またゆっくりお話しましょう」と手を振った。
閉まるドアの隙間から、老人の影が長くのびていた。




「待ってよ、征十郎」


征十郎は振り向きもせず、橙色の廊下を早足で進んでいく。
見晴らしのいい待合に、あのやかましい老婦人たちはもういない。
天井から5時を知らせる時報が鳴ると、いくつかの照明が一斉に点灯した。


「ちょっと待ってってば」


マキがようやく追いつくと、征十郎は顔を背けた。


「あの父さんが、小さく見えた。僕に反論しなかった」


征十郎の左目から、涙がつーっと落ちていった。
マキには何も言えなかった。

なんて綺麗に泣くのだろうと、思った。


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