赤司の誤算


赤司にとって、今日ほど誤算が続く日は珍しかった。


まず、マキが電話に出ない。朝の10時にかけても繋がらない。
寝坊、という考えに至った瞬間、赤司は軽く絶望した。

考えてみると、日曜日、決まってデートの日に、マキが死んだように寝ていることが何度かあった。
だが、最近はそういうことが減ったせいで、油断しきっていた。
こうなると絶対に午前中には起きてこないだろう。

仕方がないので、病院から昼過ぎに一度かけたが、やはり出ない。
今日会うことはもう諦めよう、そう思ったときだった。

マキの方から掛け直してきたのだ。



「もしもし、征十郎? どうしたのー?」



その、あまりに緊張感のない調子に、赤司は脱力した。
連日、父親との面談で気の休まることがなかっただけに、ある種の救いだったのかもしれない。


「声が聞きたくなったんだ」


気付けば、そんな台詞を吐いていた。
マキの素っ頓狂な声が響く。
その一瞬、電話の向こうで聞こえていたノイズが途絶えた。

どうやらマキは騒がしい場所にいるらしい。自宅で、今起きたばかり、という訳でもなさそうだ。



「朝もかけたんだが、どうしたんだ。寝坊?」
「えーっとね……違うんだけど、なんて言えばいいのかな」


マキは口ごもりながら、申し訳なさそうに事情を説明した。
それは、赤司の第二の誤算だった。


マキは今、東京にいるのだった。



その理由がまた赤司の想像の斜め上を行っていた。
なんとかという横文字の、アイドルグループのコンサートを見に行くためだと言うのだ。

赤司もマキがアイドルの追っかけをしていたことは知っていた。
マキが一度、ブロマイドを見せてきたことがあった。
そのとき、どの女も特別マキより可愛いとは思えない、と言った記憶がある。
本心からの言葉だったが、マキは照れるどころか、本気で怒っていた。


不思議な奴だ、まあどうせすぐ飽きるだろうがと思い、それ以来、赤司はその趣味についてあまり言及してこなかった。
それが、今やわざわざ東京まで来るほどの熱中ぶりとは。驚きだった。



「電話に出られなかったのは、新幹線乗ってたからなの。ごめんね」
「いやいやいや……釈明すべきはそこじゃないだろ。東京に来ていること自体、初耳なんだけど」
「言おうと思ったんだけど、最近忙しそうだったし、バカにされそうだなーーって思って……ほら今ため息ついた!」
「よく分かったな」
「分かるわ!」


マキは一生懸命に噛みついているつもりでも、その実、赤司には猫がじゃれている程度にしか受け取られていないのである。
恋人の自分に黙って、旅行していること自体には思うところがないわけでもなかったが、昨夜女を連れ込みかけた自分を省みれば、水に流そうと思った。

三年も一緒にいると、なんとなく距離感がつかめてくるものだ、と赤司は思った。



とにもかくにも上機嫌の赤司の顔が、待合室の窓に映っている。
その大きな窓からは、展望台のように、都内を一望できた。
ここ数日の雪曇りが嘘のような青空の下、摩天楼と雑居ビルの狭間を人と車が行ったり来たりしている。
マキの文句を聞き流しながら、赤司が眺めていたそのガラスに、もう一つ影が映り込んだ。




「おまえでもそんな顔をするんだな。父親としては嬉しいが、寂しくもあるな」


赤司はばっと振り向いて、白い廊下からゆっくりと歩いてくる父親の姿を認めた。
赤司の顔にはもう和やかな表情は消え失せていた。
「聞いてるの」と怒るマキの声を、どこか遠くのところで聞いていた。



「父さん。まだ安静にしなければ、先生に怒られてしまいます」
「構うものか。それより、おまえの恋人は、この辺りにいるのかね」


いつから聞いていたんだ、と内心毒づきながら、赤司は「はい」と答えた。
そして、赤司にとって最大の誤算が訪れた。



「わたしも彼女に会ってみたい」



赤司も、電話ごしに聞いているであろうマキも、言葉を失った。



「見苦しい姿ですまないが、今、会いたいんだ。なんとか都合をつけてくれるかな」



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