宮地の改悛

1年前、俺は京都のしょぼくれたライブハウスで、生まれて初めて、既視感を経験した。
ライブの真っ最中にも関わらず、俺はペンライトを下ろし、入り口で逡巡していた彼女のもとに駆け寄っていた。


「こういうとこ、初めてなの?」と声をかけると、彼女は身を硬くして、そうだと言った。

頭がくらくらした。東京体育館の天井が見えた。歓声もはっきりと聞こえた。俺は体育館の真ん中にいて、彼女は洛山のベンチにいた。
あのとき、あの場所に、俺たちは確かに存在した。




もっともマキちゃんは、俺のことなんて覚えちゃいなかったが、むしろ好都合だった。
彼女は警戒せず、俺の言うままに「同志」になったからだ。

そして俺は、彼女の「一番仲の良いポジション」に滑り込むことに成功した。野郎ばかりの「同志」に敵は多かった。皆、かわいいJKにお近付きになりたがった。俺は大学で覚えた全ての対人技術を駆使して、その座を勝ち取った。


ここまでして、マキちゃんとお近づきになったのは、ちょうどその頃、緑間からある話を聞いて、赤司に何かしてやらなければ死ぬくらいの気持ちになっていたからだ。



もし、赤司からマキちゃんを奪えたら。
そこまで行かなくても、赤司の預かり知らぬところで、彼女と共有できるものがあったら。

俺は、何も知らないマキちゃんを使って、本気であの日の復讐をしようとしていた。









「宮地さんは良い人ですね」


長い沈黙の後、マキちゃんは、皮肉もお世辞も込めず、そう言った。
何か見当違いなことを言っているのかと思ったが、彼女は俺に口を挟ませない。


「だって、何も言わないことだって出来たのに、ネタバレしちゃうんですから。
今の話、あたしが赤司の彼女だから近付いた、って言ったようなものでしょ。なんで教えてくれたんですか」

彼女は、怒りも悲しみもない、きれいな顔を俺に向けた。
「中身はヤンキーみたいなところがありますよね」と言ったときと同じだ。あっけらかんとしている。


「わかんねーんだよ。俺ね、本当にマキちゃんに赤司と別れてほしかったんだよ。
でも、気が変わったんだ。赤司と別れちゃいけない気がした」


分からないのは本当で、口に任せてそう言っていた。
俺はそんな風に思っていたのか、と自分でも驚く。


「なあ、緑間から聞いたんだけど、赤司が東大目指してるってマジなの? 親父さんに言われるから、バスケ辞めちまうって、正気なのか」
「……何ですか、それ」
「知らねーのな。俺も信じられなかったよ。初めて聞いたときは。あんなに強いのに、 俺たちの夢を潰したのに。自分の気が済んだら、はいサヨナラなんて。あんまりだろ」


マキちゃんは大きな目をまんまるにしていた。
それに少し満足している自分がいた。
俺は、マキちゃんがどんな反応をするか見たかったのだ。
我ながら幼いな、と苦笑していると、今度は俺が驚く番だった。



「あたしは……あたしは、征十郎がスポーツ推薦を取った大学に、進学するつもりです」



スポーツ推薦、という単語を理解するのに時間を要した。
つまり赤司は、東大なんてハナから考えていなくて、京都のバスケ強豪大学にそのまま進学する、ということか。

いや、まさかあのエリート意識の権化のような男が、東大に行きたいと思わないわけがない。


「宮地さんの言うことが本当なら、征十郎は誰にも言えないまま、すごく迷っているはずなんです。
今、征十郎はお父さんと学費の最終確認をしているはずです。
あたしは、彼のお父さんが、征十郎を東大に入れたがってるなんて知らなかった」


それでも赤司は、この女のためにバスケを選ぼうとしているのだろうか。


そんな可能性が頭を過ぎった瞬間、マキちゃんのスマホがけたたましく鳴りはじめた。
どうぞ、と言ったが、マキちゃんは電話を取ろうとしない。
3コール鳴ると、突然切れた。


「いいの?」
「聞こえてるんですかね。征十郎からです」
「おっそろしーな、お前の彼氏」
「本当に。でも、そこが好きなんです」


マキちゃんは微笑むと、コートを取って、席を立った。


「すみません、ちょっと外で話してきます」
「はいはい。ごゆっくり」


ひらひらと手を振ると、マキちゃんはふいに真顔になって言った。


「宮地さん。ありがとうございました」


彼女は軽く頭を下げると、くるりと踵を返した。
それは俺にとどめを刺すのに十分だった。
彼女は赤司のもとへ帰ってゆく。
一瞬だけ、とても近くにいた存在は、なんとあっけなく離れていくのだろう。



俺はその後ろ姿を見送る代わりに、目を伏せた。

なんとなく、彼女と会うのはこれが最後だという気がした。
今夜のワンマンライブどころか、二度と「同志」のもとに現れないだろう。


やれやれ、生身の女はもう懲り懲りだ。
アイドルこそ至高である。









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