赤司の決断
夜にかけて降りだした雪は、眠らぬ街を少しずつ覆いはじめていた。
その中を傘も持たず足早に過ぎていく少年が一人。赤司征十郎である。
「もしもし」
その声が暗い空にむなしく吸いこまれるのは、もう何度目になるだろうか。彼は小さく舌打ちした。コートのポケットに携帯を突っ込む代わりに、鍵を取り出す。
彼が足を止めたのは、その街でひときわ目立つ高層マンションの前だった。エントランスで他の住民とすれ違ったが、彼は挨拶もしない。
いつになく、不機嫌だった。身体は疲弊しきっているのに、思考がいやに冴えている。少なくとも三つの思考が同時進行している。
父親の説得に失敗したこと、高尾某に女と寝ることを白状させられたこと、家で待っているはずのその女が一向に電話に出ないこと。
身体と思考をつなぐものはやはり心だろうか、などと考えはじめそうになって、首を振った。そろそろ頭を休ませなければ、眠れなくなってしまう。
彼は自宅を前にして、なんと言ったものか少し迷ってから、「ただいま」と言って玄関のドアを開けた。
しかし、家から返ってくる言葉はなく、妙にしんとしている。明るく、あたたかいリビングには誰もいない。
はっとして玄関に戻った。
赤い傘がない。
彼は、ドアの外に突き出した首をもとに戻して、すぐに錠を下ろした。
悪夢から覚めたばかりのような感覚が全身を襲った。女は帰ったのだ。
それから、失策った、と思った。
マキの顔が浮かんだ−−正確には、その顔はぼんやりとしか思い出せなかった。
「俺は何をしているんだ」
彼は呆然としたまま、冷えた大理石に座り込んだ。分裂した思考が一つになっていた。
自分が何をしていたか? 簡単だ。適当な女を見繕って、寝ようとしていた。現実逃避だ。
でも、一体何から?
「そうだ、俺は選ぶ責任から逃げようとしていた。
俺は今、選ばなければならない。
親父の期待に応える道と、マキとともに生きる道と。俺は、選んだあとの後悔を恐れている。
でも、決めなければならない。言葉にしなければならないんだ」
会えるだろうか、と彼は思った。
この目でマキの顔を見られるだろうか。
そうしたら選べるだろうか。
赤司征十郎は、マキに会わなければならない。
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