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05.最初の約束


 最近一年前のことをよく思い出す。

 寿くんが帰ってしまって迎えたGW明け。一年前のちょうどその頃に私達は再会したんだ。悲しくて、苦しくて、あなたが憎くて堪らない。あの頃はそんな気持ちばかりだった。私達が今のようになることを誰が想像しただろう。私も考えもしなかった。きっと寿くんも思ってなかったよね。
 再び巡り会って惹かれ合ったのが運命ならば、こうしてまた離れてしまったこともそうなのかもしれない。
 だけどもう、今度は絶対に寿くんから手を離さないよ。




 毎日とはいかないけど、時間さえ合えばお決まりにしている寝る前の電話。今日はどうしても寿くんに聞きたいことがあったんだ。

「寿くんが一番欲しい物なに?」
『あー? ……名前』

 私の問いに少し考えるように間を置いたあと寿くんはこう答えた。まさかの反応に頬がほんのりと染まるのを感じる。顔が見えない電話で良かった、なんて思う。

「え、と……。そうじゃなくて、物だよ? バッシュとか、アクセサリーとかさ」
『……今は特にねぇよ。何か答えろっつーなら名前』
「……」
『お前、今どーせ顔赤くしてんだろ』
「そんなことないよ!」
『そーか? じゃあ今からビデオ通話にしようぜ』
「そんな……いつも嫌がるくせに!」
『今、すげーお前の顔見たい気分なんだよ』

  寿くんの顔は凄く見たい。だけど今の私の顔を見られるのは恥ずかしい。だって寿くんが言う通り真っ赤な顔をしているだろうから。普段は恥ずいとか言って嫌がるのは寿くんなのに。こんな時は堂々たるものなんだからズルイと思う。完全に私を誂う気でいる。

『カメラつけるぞ』
「ま、待って!!」

 私の意見なんて聞かずに寿くんはカメラをオンにしてしまった様だ。私は耳に当てていたスマホを慌てて手で覆い隠した。

『名前、顔見せろ』 
「……笑わないでよ?」

 恐る恐る画面から手を離すと大好きな寿くんの顔がハッキリ映し出されていた。 そして彼は私の顔を見るなりブハッと吹き出してから笑い出す。そんな酷い顔をしているのだろうか。

「ねぇ! 笑わないでって言ったじゃん!」

 笑い声と一緒に画面から消えてしまった寿くんにそう抗議すると、涙目になって未だに笑っている彼の顔が現れた。
 悔しいけど寿くんが笑ってくれて嬉しい。彼の顔が見れて嬉しい。少し拗ねていた自分の気持ちが寿くんの顔を見てみるみる萎んでいった。

『……可愛いな、お前』
「……」

 笑い泣きの涙を拭ってマジマジと私の顔を眺めて言った寿くんの言葉に益々私の顔は熱を持った。彼が普段言わないというのもあるけど、こういう事はいくら言われても慣れる気がしない。

『まーた顔赤くしてやんの』
「何で今日、いつも言わないような事ばっか言うの?」
『別にいいだろ、本当のことなんだし。それとも、もう言わない方がいいか?』
「それは……嫌。もっと言って欲しい」

 笑われたっていい。もっと寿くんのこんな言葉を聞いていたい。「また今度な」なんて言った寿くんの顔はさっきの私みたいに少しだけ赤く染まっていた。  




 座席の上にショッパーとバッグを置いて腰を掛ける。置いたバッグの中からスマホをだして「今から行くよ」と一言だけトークを送信した。
 窓の外の見知った景色が段々と遠ざかっていくのを見ていると期待と不安が入り交じった不思議な感覚が私の中に沸いてくる。寿くんも神奈川を出るとき似たような気持ちを味わったのかも知れない。
 窓の景色を見るかスマホを見るかくらいしかない手持ち無沙汰な時間。既読にならないトークをもう一度開いて暫く眺めてから再び閉じる。今度は無意味にミラーを取り出して前髪をサッサと整えた。どうせ到着前にもう一度チェックするのだから、本当に無意味な行為だった。
 だけど落ち着かない。まだまだ目的地までは先が長い。

 地元の駅から出て一時間位経った頃、外は大分薄暗くなり雑居ビルのネオンが光の線を作っていた。車内は人に溢れ、人との距離が近いせいで居心地が悪い。
 ちょうどそんな時にスマホが震えだす。「寿くん」と表示された画面をタップして申し訳程度に声を潜めて彼に応えた。

「……うん。今向かってる。本当だよ?……たぶんあと一時間半くらい。うん……分かった。…………じゃあ後でね」

 周りの目が私に集まっているのを感じながら通話の終えたスマホをバッグにしまい込んで俯いた。「あと一時間半」自分で口にして少し信じられなかった。まだ半分も来ていないんだという事実が。
 地図で見る分にはそう遠くも見えない。だけど実際に自分の足で行き来するとよく分かる。私と寿くんの距離の遠さが。
 そうして何度か乗り換えをして電車に揺られ続け、寿くんの寮の近くの駅に辿り着く頃には時刻は20時を過ぎていた。


「名前」
「寿くん!」

 ロータリーで待っていてくれた寿くんを見つけて彼の胸に飛び込んだ。
 この匂いと温もりに包まれると一気に心が満たされる。知らない土地に来た不安も、今までの寂しさも体の中から溶け出していく気がした。

「マジで来ると思わなかったぜ」
「えへへ。今日は大事な日だから」
「何かあったか、今日」

 前置きなしで突然トークで「今から行く」なんて言ったものだから驚いたのかもしれない。だけど今日が何の日か気付いていれば察しがつくだろうに、寿くんはそういうことにはとことん無頓着だ。

「去年はお祝い出来なかったでしょ?今日はケーキ焼く時間なかったから改めてまた一緒にお祝いしようね」
「そうか……今日は俺の、」

 ようやく合点がいったらしい寿くんがマジマジと私の顔を見つめた。まだ少し信じられないといったような面持ちでもある。
 去年の今頃の私達は、誕生日をお祝い出来るような関係ではなかった。部員の為と称して焼いたケーキが懐かしい。今思えばあれは殆ど寿くんの為に焼いた様な気もしているけど。

「寿くんさ、欲しい物は名前って言ってくれたでしょ? だから来ちゃった。……って本当は私が会いたかっただけだけど」

 照れくさくて辿々しくそう言うと、緩く抱き締めてくれていた彼の腕に力が籠もる。密着した寿くんの胸からトクトクと優しい音が耳に響いてくる。

「スゲー嬉しい。ありがとな、名前」

 ちょっと掠れた声でそう言ってくれた寿くんが愛しくて溜まらない。サプライズなんて聞こえは良いけど、突然行くなんて言って会えなかったらどうしよう。嫌がられたり怒られたらどうしよう。そんな気持ちも少なからずあったから。

 ご飯も食べずに電車に乗ってそのまま二時間半。流石にお腹ペコペコだったから、近くのコンビニで買った軽食を食べて寿くんとそのまま駅の近くに留まった。終電に間に合う様に帰るには本当に残り僅かな時間しかない。
 プレゼントは"私"みたいな感じで来たけど、ちゃんと用意していたプレゼントも寿くんに渡した。ハートが模られたシルバーのキーリング。ちょっと可愛すぎるかなと思ったけど、ペア物だし寿くんのネコのキーホルダーはもうボロボロだった。その場所にまた新しいお揃いをつけて欲しいというのは私の勝手な想いだったけど、寿くんは嫌がらずにネコのキーホルダーと一緒にそのキーリングを付けてくれた。まだネコを外さずに付けていてくれる気持ちも凄く嬉しかった。


「はー……、マジで帰したくねぇ」

 駅前でうろうろしたり話したりしているだけだったけど、タイムリミットはあっという間に訪れた。来るまではあんなに長く感じた時の経過が寿くんと過ごすと一瞬の様に感じる。

「プレゼントと一緒に持って帰って」

 そんなこと無理だと分かってるけど、もしもそれが叶うならそうして欲しい。ずっと寿くんの側に置いて欲しい。小さくなって寿くんのポケット中に入れば一緒にくっついていけるのに。なんて馬鹿みたいな事を考えてしまう。

「今は無理だけど、いつか迎えに行く。お前のこと。だから……それまで待ってろ」
「うん。なんかプロポーズ……みたいだね」
「そんな仰々しいもんじゃねーけど。でもまぁ……そうかもな」

 プロポーズみたい。思わず口に出してしまった言葉にまた照れたり怒られてしまうんじゃないかと思ったけど、予想外の返事が返ってきて抱き締めてくれていた寿くんの顔を見上げた。
 だけど上げようとした頭は寿くんの手に押さえられてしまいそれは叶わなかった。

「ねぇ、寿くん顔見せて?」
「ムリ。今見んな。見たら死ぬ」

 それは……困っちゃうな。ホントなら寿くんの顔を見てキスでもしたい気分だった。だけどもう十分。寿くんの言葉だけで胸がいっぱいだ。
 私の事を更にギュッと力強く抱き締めた寿くんの腕の中で幸せを噛み締めた。寿くんが神奈川を出た年の彼の誕生日。この日あなたがくれた初めての約束を私は今も信じて待ち続けてる。

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