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04.見えない恋の火種


 この場所に来なくなってそれ程時間は経ってない。だけど目に映るもの全てが懐かしかった。もうここは自分の居場所ではないんだと改めて認識した。昨年それなりの成績を残すことができたお陰か、バスケ部には今までに無いくらいの人数の一年が入ったらしい。と言っても、厳しい練習に耐えきれずにその半数以上が既に辞めた様だが。
 俺等が居なくてもこうしてしっかり回っていく様を見ると、誇らしくもあり少し寂しくもある。引退後にやたらソワソワしていた赤木の気持ちが今になって何となく分かった気がした。

「やるよーになったじゃねぇか、宮城」
「当たり前でしょ。つーか三井さんに褒められても嬉しくねーよ」
「素直じゃねーな、お前は」

 思ってた以上にキャプテンをしっかりこなしている宮城にそう褒めてやりゃあ、全く可愛くない返事が返ってきた。まぁそれもいつもの事ではあるが。
 一ヶ月ぶりに神奈川に帰ってきた日の翌日、部活だと言う名前と一緒にこの体育館に訪れた。一見何も変わってない様に懐かしく感じるこの景色も、すっかり新しい湘北バスケ部の色に変わっていた。
 新しい部員がいるのは勿論だけど、元々のメンバーがすっかり先輩の面になっている。それはあの桜木ですら例外ではない。今も偉そうに指示を出しながら一年に手本を見せたりしている。自分もついこの間までシロート同然だったくせに。
 そんな様子を面白く、頼もしくも思いながら俺もたまに練習に参加して久しぶりの湘北バスケ部を堪能していた。

「やっぱり三井先輩がいるとチーム全体が締まるわね」

 彩子が体育館を見渡しながらそう言うと、大袈裟にそっちを振り返った宮城が涙目になって彩子に飛びついた。

「アヤちゃん! それどーゆー意味?! 俺、毎日頑張ってるでしょ?!」
「分かってるけど、やっぱ先輩の力って偉大ねって話よ」

 そりゃー普段来てない俺がいれば良いところを見せたくて自ずと二年、三年も気合が入るだろう。そしてそれを見て一年も頑張るだろうし、特段不思議な事ではない。
 それでもそれを彩子に言われるとコイツは気に食わないのだろう。わなわなと肩を震わせる宮城にわざとらしく誇らしげな顔をして誂ってやった。

「どーだ。俺の事存分に見習っていいぞ、鬼キャプテンさんよ」
「くっそ……! 棚ぼた推薦のくせに……!」
「あ? なんか言ったか?」
「何もねーよ!」

 宮城は心底嫌そうな顔をしてそう言った。こいつは本当に彩子が絡むとたちが悪い。

「三井さんいつ戻るの?」
「明日の朝」
「じゃあ別に学校来なくて名前とイチャついてりゃ良かったのに」
「んなことで部活休ませらんねーだろ。それにたまにはお前らの顔も見てーし」
「いや、別に俺はいいよ。アンタらのイチャイチャ見なくて済むし」
「てめーはよ! 素直に先輩来てくれてありがとうございますとか言えねーのか!」
「思ってもねーことは言えねーよ」
「くそっ、相変わらず生意気なやつ」

 本当は宮城が言ったみたいに久しぶりだから名前と二人だけで過ごすことも考えていたが、恐らく名前は部活を休むのを嫌がるだろうと思い口にしなかった。
 昨日、名前は俺が一緒に部活に行くと言っただけで死ぬほど嬉しそうな顔で飛びついてきた。馬鹿がつくほどクソ真面目だし、そんな事で喜ぶ事も素直に可愛いと思う。だけど、それだけに心配は尽きなかった。
 
「宮城、前も言ったけど名前の事頼むぞ」
「分かってますよ。つっても、引退するまでしか見れねーけど」
「冬まで残りゃいいじゃねーか。お前なら推薦来るだろ」
「アンタみたいに一か八かに賭けらんねーすよ」

 名前のことを側で見ててくれるやつがいれば安心だ、なんていうのは俺の勝手な都合だ。実際、宮城なら推薦の話は来るだろうが俺が強制することなんてできない。

「アイツ大丈夫だったか、この一ヶ月」
「まー、元気はなかったよ。最近はちょっと慣れたみたいな感じだったけど。明日からまた泣くんじゃねぇの?」

 体育館の端っこでボケッとしている名前が目に浮かぶ。その目には涙を溜めて、鼻をぐずぐず言わせて必死で泣くのを耐えている。「大丈夫か」なんて聞けば、むりやり笑って「大丈夫」なんて思ってもねぇことを言うんだろう。
 たぶんこの一ヶ月に何度もそんなやり取りがあったのだと思うとぎりぎりと胸が痛むようだった。

「悪いな、迷惑かけて」
「別に。あれでも健気に頑張ってるし、ちゃんと褒めてやってよ」
「……珍しく優しいこと言うじゃねーか」
「俺だってこれでも心配してんすよ! 名前のことは妹みたいに思ってるし」
「そうか。お前が見ててくれて正直助かるよ。アイツの様子が変だったらまた連絡くれ」

 宮城は少し照れた様な面をして頭をガシガシと掻く。

「あぁ。変と言えばちょっと気になることが」
「気になること?」

 宮城は一度チラッと後ろを見てから俺の方に顔を戻して「思い過ごしかもだけど」と前置きしてから口を開く。

「流川とやたらぶつかってんだよね。今までそーゆーの無かったのに」
「流川と? ……珍しいな」
「でしょ? 同じ中学だし、仲良いとは言わねぇけどそれなりに上手くやってたのに。なーんか流川の方が名前に突っ掛かってる感じすんだよね」

 体育館の奥の方を見やると、いつの間にか桜木に変わって名前が一年に指示を出していた。部活後の後片付けの仕方を教えている様だ。一年のマネージャーが入ってこなかったから自分が引退した後を見越しているのだろう。
 流川は名前とは真反対にあるゴールで自主練をしていた。今の俺には前と変わらない距離感に見える。そんなに話すこともないし、かと言って避けてる訳でもない。話せば普通に話すし、宮城の言うように特段仲良くもなくごく普通にチームメイトとしてお互い接しているように見えた。
 まさかな……。見えなくなると不安だ手が届かなくなると余計に恋しくなる。だけどそれを自分自身でどうすることも出来ないことが一番悔しかった。





 また温もりが消えてしまった。寿くんが神奈川にいたのはたったのニ日。私の手から滑り落ちる様に消えてしまった寿くんの熱が、今では幻の様に感じてしまう。
 本当に寿くんは居たのかな? キスしたのも、抱き合ったのも、エッチしたのも、全部夢だったんじゃないかなんて思える。あんなに幸せだったのに、もうその幸せをくれる人は隣からいなくなってしまったから。
 次にいつ会えるか、なんて明確な約束は無かった。確かな物なんて何もない。離れてしまえば全てのものが「不安」の一色に染まる。

「名前おはよう」
「おはようございます」

 寿くんは昨日私の家に泊まっていき、今朝早々寮に戻って行った。寿くんがいるときは全てが輝いて見えたのに、途端に現実が色褪せて見える。
 体育館に入り、ぼんやりと周りを見渡した。昨日はここに、寿くんがいたんだ。

「大丈夫?」
 
 挨拶したもののぼんやりしている私を見てか、彩子さんが私の肩に手を置いて顔を覗き込んだ。

「……はい」

 そう返事をしてから彩子さんを振り返り彼女にギュッと抱きついた。寿くんとは全く違う柔らかな感触に顔を埋める。情けないけど誰かに甘えたい気分だった。
 彩子さんは何も言わずにヨシヨシと頭を撫でてくれた。本当に子供みたいだと思いながら目を閉じた。人の温かさを感じていると、少し寂しさが埋まっていく気がする。
 だけど、こんな時間も長くは続く事はない。

「チュース」と聞き馴染みのある声が聞こえた後に「あーーー?!」と大きな叫び声が体育館中に響いた。もちろん声の主はリョータ先輩。

「テメッ! アヤちゃんから離れろ!」
「嫌です。女同士なんだからいいじゃないですか」

 彩子さんから無理やり私を引き剥がそうとするリョータ先輩に抵抗して更にギュッとしがみついた。女同士抱きつくのに何が問題あるのだろう。

「だからって羨ましすぎんだよ! 俺のアヤちゃんから離れろって!」
「リョータのものになった覚えないけど」
「アヤちゃん! そーじゃなくて……っ! あーーもう!名前はやく退けっ!!」

 涙目になって焦りだしたリョータ先輩を見て若干呆れ始める。まさかそこまで嫌がられるとは思わなかった。 別に嫌がらせをしているわけではない、と彩子さんから手を離すと今度はリョータ先輩よりも大きな人がやってきて私に何か言いた気な目で見下ろした。
 それは不機嫌そうな顔をした流川だった。

「流川おはよう。……わっ?!」

 流川は挨拶を返すこともなく、まるでネコの首根っこを掴むようにTシャツの後ろを掴んでずるずると私を引き摺っていった。

「イタイイタイ!! 流川やめて!!」

 そう訴えても無言でゴール付近まで引っ張ってきた流川に突然パッと手を離されてドスンと尻もちをついた。何故こんなことをされるのか意味が分からず、機嫌の悪そうな彼を訝しげに見返すと流川は素知らぬ顔で綺麗なシュートを決めた。

「パス寄越せ」

 彼はリングを通って床に転がっていったボールに目をやってから私にそう言い放つ。今日私に初めて言う言葉がそれってどうなのか。

「流川最近私に対して酷くない?」
「しらねー。別に普通だ」

 言いたいことは山ほどあるけど、大人しくボールを拾って流川に返すと彼はもう一度それをリングに通す。暫くそうやって彼の練習に付き合いながらモヤモヤと考えた。最近確実に流川の当たりが強い。
 隣の席になって起こされるのが気に食わないのか、それに対して文句を言っているのが気に食わないのか。それともぐずぐず泣いてばかりいる私自体が気に食わないのか。よく分からないけどそうならそうと言ってくれればいいのに。
 何度か静かに流川にパスをし続けていると、ついさっきの光景が蘇ってハッとした。

「……もしかして流川、彩子さんのこと好きなの?」 「……は?」

 心底呆れた顔をしていた流川にペコッと頭を下げる。正直もう他に原因が思い浮かばなかった。

「ごめん、もう抱きつかないようにするから」
「どあほう。おめーはもう黙ってろ」

 流川にパスしたはずのボールが勢いよく此方に返ってくる。的確に私の手元にめがけて投げられたから落とすことは無かったけど、余りの速さに手がジンジン痛い。

「ねぇ、やっぱ酷い! 前そんな風じゃなかったじゃん! 普通に会話してよ!」

 負けじと思い切りボールを投げ返すと、いとも簡単に片手でそれをキャッチされる。

「マトモな会話できてねーのはどっちだ」
「それ流川にだけは言われたくない」
「んだと……?」
「何よ?」

 流川と睨み合っていると「二人共いい加減にしなさい!」と彩子さんに頭を叩かれてしまった。悲しいことに最近の私達はこんなことばかりしていた。
 前はこんなケンカみたいなことすることなんてなかった。沢山話すこともないけど、話せばちゃんと会話のキャッチボールは出来ていた。こんなに喧嘩腰なんかじゃ無かったのに。
 だけどこんな馬鹿みたいなケンカのお陰で暫しの間寂しさが紛れることも事実ではある。出来れば……というか、本当なら違う方法で紛らわしたいものだけど。

 私は気付かなかった。そしてたぶん流川も気付いてない。恋の火種が燃えるのも、私がそれに気が付くのも、もっとずっと先のこと。

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