03.叶うことのない願い
いつの頃からか、この生活を当たり前のように送り始めてる自分に強烈な違和感と不安を感じ始めた。
何かあれば一番に寿くんに聞いて欲しい。嫌なことがあった日は寿くんに髪の毛を撫でて欲しい。寿くんに抱きしめて欲しい。寿くんとキスがしたい。そんな欲求が消えることは無い。
毎日何度でも寿くんに会いたいと思うし、声が聞きたいと思う。だけど自分の体が寿くんが居ない生活に慣れ始めている気がした。体育館や学校からの帰り道、近くに居るように感じられていた寿くんが少しずつ私の中から薄れていった。
いつまでも寂しがって泣いてばかりはいられない。……分かってるけど、嫌でも人間の体はそんな日常を受け入れていくという事実が何だか無性に悲しかった。
*
GWに入り学校は休みになった。部活は数日の休みはあるけど、基本的に朝から夕方まできっちり入っているから変わらず学校に行く毎日だ。
寿くんが神奈川から離れて一ヶ月。寿くんとはまるっと一ヶ月会っていない。寿くんと帰るのが当たり前だった帰り道が、今では一人で通るのが当たり前になっている。今の日常に上書きされるかのように薄れていく寿くんとの日々がどうしようもなく恋しかった。
もう会えないとどうにかなってしまいそうだった。毎日の様に電話して、たまにビデオ通話して。だけどそれだけじゃちっとも満たされない。少しすつ薄れていく寿くんとの毎日が、まるで宝物が日に日に消えていってしまうように感じられた。
一刻も早く寿くんを側に感じて満たされたかった。そんなどうしようもない喪失感を抱きながら、今日も一人で家路を歩いていた。
マンションまであと少しという上り坂。登る毎に姿がはっきりしてくマンションのエントランスの前に、今日は珍しく誰かがベンチに座っている。その人物の姿がくっきりと私の目に映り込んだとき、思わず息を飲んだ。信じがたいというか、夢みたいだった。
「おう、部活終わったか」
「……」
「おい、名前。固まんな」
「……本物?」
動けなくなってしまった私の方に歩いてきた彼に怖怖と手を伸ばすと、しっかりとその手に彼の温もりが伝わってきた。夢でも幻でもない。……本物の寿くんだ。
「GW帰ってくるって言ったろ」
「だって……まだ日にちはっきりしないみたいな感じだったじゃん」
「急遽ミーティングが無くなったから今日帰ることにしたんだよ」
彼の胸に触れていた手をギュッと握ってそのまま寿くんの胸に顔を埋めた。彼の腕が私を包むと一気に寿くんの匂いで満たされる。
ずっとこれを感じたかった。ずっとこうして欲しかったんだ。
「なーに泣いてんだよ」
「……会いたかった」
空っぽになってたグラスに水が注がれていくように、みるみる心が満たされていった。そうして満たされたものが溢れ出していくかのように涙が流れていく。
何をしたって満たさなかったものが寿くんの温もり一つで簡単に一ぱいになってしまう。だってこの温もりこそが、私が一番欲しかったものなんだから。
「……キスしていい?」
「バーカ、こんなとこで出来ねーだろ。後でな」
背伸びしながらねだると、手で遮る様にしながら寿くんがマンションの周りをきょろきょろと見渡した。照れ屋な所は相変わらずだ。
寿くんに手を引かれながらマンションのエントランスホールに入った。こんな風にして歩くのは随分久しぶりで何だかこそばゆい感じもする。
「いつ帰ってきたの?」
「昼。一旦家帰ってからここ来た」
エントランスホールの自動ドアのロックを解除すると、寿くんは慣れたようにその先のエレベーターの上りボタンを押す。何度も一緒に私の家に来てたんだ、と当たり前のことがとても嬉しかった。
エレベーターに乗り、勝手知ったる様に21のボタンを押した彼の手がそのまま私を振り向かせて顎をくいっと持ち上げた。ドアが閉まっていくのを目で追っていた寿くんの視線が私に戻り、エレベーターが動き出すのを待っていたかのように彼の唇が私に触れた。
「……ん、」
もどかしくて仕方がなかった。唇と唇が触れ合うだけの柔らかな感触なんかじゃちっとも足りない。背の高い寿くんに届くように目いっぱい背伸びして、首にしがみついて彼の顔を引き寄せた。息継ぎする時間さえも惜しくて何度か離れようとする寿くんの唇をその度に追い掛ける。
私の口をこじ開ける様に少し強引に寿くんの舌が入る感覚を感じた頃には殆ど理性なんて残ってなかった気がする。ぬるぬる絡み合う自分達の舌の動きがやたらと卑猥に思えた。お互いにそうして絡まる舌なんかよりもっと深く繋がりたいって感じているのが分かる。
もっともっと深く、と求め合う舌がくちゅくちゅ水音をエレベーター内に響かせ始めると、その音が耳に入るだけでもう意識が飛んでしまうような感覚さえ感じた。
ジャージの上から私の足やお尻を撫でていた寿くんの大きな手がTシャツの下に潜り込んでするすると上に上がってくる。直に肌を滑るその触感だけで体がぞわぞわと粟立っていった。
プチンとブラのホックが外されてブラの下を滑るようにして寿くんの手が私の胸に辿り着く。先端を掴むようにしながらやわやわと揉まれるその刺激に耐えきれず、キスしていた唇が離れて声にならない吐息が漏れる。
「……っ、寿く……ん……」
寿くんの熱く昂ったものが私のお腹の辺りに当たっているのが服の上からでも分かる。お互いにもう限界だと感じた。
エレベーターのドアが開いて私から離れていった寿くんの顔は完全に獣じみたものだった。だけどきっと私もそれと変わらない。エレベーターから自分の部屋までの短い距離すらもどかしい。急かすような寿くんの視線を感じながら慌てて家の鍵を開けると、彼に腕を引っ張られて押し込まれる様に家の中に入った。
*
「まだ怒ってんの?」
「………」
「……悪かったよ。そろそろ機嫌直せって」
ベッドの上で掛け布団を頭まで被って顔を背けて寝転んでいる私の頭をヨシヨシと寿くんが優しく撫でる。だけどその優しさはもう少し前に見せて欲しかった。
もぞもぞと顔を半分だけ出してチラッと寿くんの顔を見ると、気不味そうな目をしながら私を覗き込んでいた。
「……痛かった」
「ごめん。でもお前、気持ちいいって何回も……」
寿くんが全部言い切る前に近くにあったクッションを彼の顔に投げつけた。 それは事実ではあるけど怒っていることとそれは切り離して考えて欲しい。
「そんなの気持ちいいに決まってるでしょ! でもあんな急に挿れたら痛いよ! しかも良いって言ってないのにニ回目も勝手に挿れたし!」
玄関に入ると完全にスイッチの入っていた寿くんに殆ど慣らされる事なく挿入されてしまった。あんな大きなものがいきなり入ってきたら痛いなんてものじゃない。そりゃあ行為を始めてしまえば次第に痛みも忘れて気持ち良さで我を忘れてしまうのは事実ではあるけど。
その上、エッチが終わってぐったりしていた私をベッドに運び込んでくれた寿くんは何故か勝手に二回戦を始めてしまった。ただでさえ何時もよりも激しくてヘトヘトだったのに、衰える様子のない寿くんに散々いじめられて腰が立たなくなってしまったのだ。
「溜まってたんだからしゃーねぇだろ」
「言い方!」
別のクッションをもう一度投げつけると、今度はそれをがっちりとキャッチされてしまった。キャッチしたそれをポイッと床に転がすと、寿くんは私の髪の毛を撫でてからおでこにチュッとキスをした。
「名前に会いたかった」
「……ホントに?」
やりたかっただけじゃないの?なんて口につきそうになるけど、止まらなかったのは私も一緒だ。寂しくて恋しくて堪らなくて、寿くんとのキスでそんな気持ちが一気に弾けてしまった。
「嘘なわけねーだろ。頭おかしくなるかと思った」 「……私も」
ポタポタと流れ落ち始めた涙を寿くんが掬ってくれる。 離れても余裕そうに見えていた寿くんも同じ様に思っていてくれたことが嬉しい。あんな風に強引になってしまう程私を求めてくれたことすら嬉しくて愛しく思う。
「泣き虫」
「……寂しかった。寂しかったの。ずっと寿くんとくっつきたかった。キスしたかった……。死んじゃうかと思った」
拭っても拭っても落ちてくる涙を寿くんがまた掬い取る。触れるだけのキスが落ちてきた後に寿くんの低くて優しい声が耳元で響いた。
「名前、愛してるよ」
「私も……」
側にいるとこんなにも満たされる。ずっと感じてた寂しさも不安も全部何処かに飛んでいってしまう。好きな人の側にいられる幸せは他の何にも代えることなんてできないものなんだ。
まだ寿くんと離れてたったの一ヶ月。なのに思わずにはいられない。
ねぇ、ずっと側にいてよ。もう離れてなんていかないで。叶わないけど願わずにはいられない、たった一つの望み。