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残業続きで遅く起きた朝


 テレビの音に、ガチャガチャと戸棚からなにかを出す音。お世辞にも静かとは言えないドアの開閉音や、キッチンから聞こえる生活音。
 他の人はどう思うか分からないけど、私にとってはそれらが心地良い子守唄みたいなものだ。聞こえていると安心するし静かだと寂しい。だってその音こそが、彼が傍にいることを示してくれているから。

 ぱち、と心地良い眠りから目覚めたのは急に静かになったから。もしかして帰っちゃったのかもしれない。ざわりと不安を感じた胸は、瞬く間に柔らかく解れていった。ごろんと横に寝返りをうつと、私を覗き込む信長の顔がすぐ傍にあったから。
 
「おはよ」
「びっくりした。静かだからいないかと思った」
「名前まだ起きねーのかなって、寝顔見てた」
 
 ベッドの脇にちょこんと座って頬杖をついて私を見ている姿は、さながら忠犬ハチ公のようである。思わずよしよしと頭を撫でたくなったのを堪えていると、反対に信長の手が私の頭へ触れる。きっと寝癖だらけだろう髪を梳かすようにして、こちょこちょと猫にするみたく頬を撫でてきた。擽ったくて身じろげば、ふっと信長の頬が緩む。
 あ、この表情すごい好き。またしても撫でくり回したい衝動に駆られたけれど、むずむずする指をこっそり布団の中に隠す。3つ下の信長は年下扱いされるのを嫌うから。
  
「いままでなにしてたの」
「いつも通りの時間に目ぇ覚めて、とりあえず走りに行っただろ。んで、テキトーにパン食って、テレビ見て……、あ、あとシャワーも浴びた」

 私の部屋でバタバタと動き回る信長の姿が目に浮かぶ。夢の中で聞こえていた物音一つ一つと彼の行動がカチリと嵌った気がした。信長はきっと嫌がるだろうけど、素直というか、率直というか……とにかくこういう分かりやすいところが可愛くて堪らない。それは彼が年下だからというわけでなくて、それ自体が信長の魅力だと思う。
 
「つーか起きたんならどっか行こうぜ。名前のパンも用意してあるから早く食えよ」

 急かす声にテーブルの方を見てみれば、昨夜信長が買ってきてくれたクロワッサンとメロンパンがお皿に出してあった。すかさず立ち上がった信長は「お前、朝はカフェオレだろ」と言ってこれまた買ってきてくれたらしいパックコーヒーを冷蔵庫から取り出した。

「んー……待って。最近遅かったからもう少しゆっくりしたい」

 ありがたいけれど私の体はまだベッドの上で転がっていたいと言っている。このところずっと残業続きだったからか、ゆっくり寝たはずなのにまだ疲れが残っているみたいだ。
 今日は久しぶりの休み。そのうえ信長がいる。彼の騒がしい声と物音を聞きながらずーっとゴロゴロしていたい。考えただけで幸せすぎるんだけど。
 布団に巻き付いてそんなことを考えていれば瞼がとろんと落ちてくる。それが私の一方的な願望であることなんてつゆとも知らず。
 
「それさ、二週間前も同じようなこと言ってたぜ」

 ワントーン落ちた声に顔を上げると、ツンと突き出した信長の口が見えた。……しまった。と、今更になって置き時計を確認すると時刻はとっくに九時を回っている。早起きが染みついてる信長のことだから、もうけっこう長い時間私が起きるのを待っててくれたに違いない。前に会ったときも、繁忙期だからって気を使ってくれてたのに。
 自分がすっかり信長の優しさに甘えてしまっていたことに気付いた私は、ようやく布団から出て背を向けた彼の方へ向き直った。 
 
「どこ行きたいの、信長」
「別にいいよ、もう少し寝てて。無理しても疲れるだけだろ」

 そっぽ向いたままだし相変わらず唇も尖ったままだけど、返してくれた言葉には私を気遣う優しがあった。その背中に一歩近付いてコテンともたれ掛かると、彼のジーンズの後ろポケットからなにかのパンフレットらしきものが飛び出しているのが目に入る。

「……周年……イベント。……イルカショー?」

 見えている文字を読み上げるとガバッと振り向いた信長は「別にこれはちげえ!」と真っ赤な顔で叫んだ。
  
「ここって初めてのデートで行った水族館だよね。ここ行きたかったの?」

 抜き取ったパンフレットを見ながらそう言えば、また信長の唇がツンと突き出す。でも今度は怒ってるわけじゃないとすぐに分かった。
 
「30分待って。パン食べて急いでメイクするから」 
「でも疲れてんだろ」
「信長の顔見てたら元気出たよ」

 信長の横に座り「いだきます」してクロワッサンに齧りつくと、真横から豪快なハグが飛んできた。
 
「名前ラブ! 大好き! 愛してる!!」

 ぎゅうっと抱きしめられたから私もそれに倣ってぎゅうっと抱きしめ返す。
 年下の彼はいつも騒がしいくらいに元気で、それでいてすっごく優しくて頼りになって、めちゃくちゃ素直で可愛らしいの。やっぱり私はこの人のことが好きで好きで堪らない。


 残業続きで遅く起きた朝。私は大好きな彼氏の愛と、彼が大好きすぎる所以を再確認した。ノロケちゃってごめん。

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