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17.二度目のデートと約束と


 少し遅い朝食をとり、ソファーに座り流れるニュースをぼんやりと眺めていた夏休み4日目の朝。あまり来客のないこの時間に鳴ったインターハイに少し違和感を感じたけれど、お母さんに促された私は部屋着のまま玄関のドアを開けた。

「おはよ」

 全く目線が合わない位置から聞こえた声に一瞬息を呑み、遅れて見えた笑顔に眉を開いた。彼と会うのは一週間以上ぶりだ。

「どうしたの、こんな朝から」
「あだなに用があって。……あ、おばさん、おはようございます」

 いつの間にか後ろに立っていたお母さんは、きっと彼の声が聞こえたから顔を出したに違いない。来るならば最初から自分が出てくれたらいいのにと、部屋着姿の自分を見下ろしながら思う。
 そのうえ彰くんときたら、にっこりと微笑みながらお母さんにとんでもないことを言い出したのだ。

「今からあだなとデートしたいんですけど、連れてっても大丈夫ですか」
「……え?!」
「あら、いいわね。いってらっしゃい」

 ニコニコしたまま、なにもおかしなことは言っていない体の彰くんと、部屋着の娘を彰くんの方に押し出してサラリと快諾したお母さんに挟まれた私は両者の顔を見比べたのち、大きな溜め息を吐いた。

「なに勝手に決めてるの。私聞いてないよ、彰くん」
「だから、いま言っただろ」
「いま言えばいいってことじゃないの」
「ノブナガくんと行ったんだから今度は俺の番」

 彼が耳元で囁いたことは、彼には知り得ないことのはずだった。

 私は彰くんには話していない。……じゃあ、清田くんが? いつ、どこで彰くんと会って、そんな話をしたの。
 そんなことを考えていても仕方がないけれど、なんとなくバツの悪さを感じた心臓がバクバクと嫌な音を立てている。にっこりとしたまま私を見下ろしている瞳にどこか威圧感を感じてしまうのは、私にちょっとした疚しさがあるからだろう。誤魔化すように大きな声で「準備してくる」と宣言した私は慌てて自分の部屋に駆け込んだのだった。




「どこに行くの?」
「それなんだよな、俺まだこっちのことよく分かんねーし。せっかくだから地元のほう帰ってみねえ?」


 そんな会話をして乗り込んだ各駅停車。のんびりと進む時間と景色が徐々に見せる懐かしい景色に心臓が高鳴っていく。乗り換えを経て降りた三年ぶりの駅は、記憶の中となに一つ変わることなくそこにあった。

「こっち来んの久しぶり?」
「引っ越してからずっと来てない」
「莉子ちゃんとかとは会ってねーの」
「うん、電話はたまにしてるけど」

 話しながら改札を出て出口へ向かう足は自然と前の家の方へ歩いていた。彰くんも特になにも言わない。たぶん目的地なんて決めてないんだと思う。
 駅の傍にあるコンビニ、家族でよく行っていたレストラン。懐かしい建物を通り過ぎ、迷うことなく進んで行く足は気付けば以前住んでいたマンションのすぐ近くまで来ていた。

「滑り台、こんなに小さかったっけ」

 記憶の中よりも随分と小さく見えるのは、それが幼いときの記憶だからかもしれない。
 久しぶりに訪れたのはマンション横にある公園である。やはりどうにも小さく思える滑り台やブランコを見比べていた私は隣にいる彰くんを見上げた。どちらかと言えば遊具の大きさ云々よりも、彼のほうが違和感があるかもしれない。この人だって一緒に遊んでいたときはここにいてなんの違和感のないサイズ感だったはずなのに。

「俺が乗ったら壊れるかな」
「……止めたほうがいいと思う」

 滑り台の手すりに触れながら楽しそうに笑う彰くんは、止めなければきっと本当に滑っていたと思う。子供と一緒に滑るパパさんを何度も見たことはあるし簡単には壊れないだろうけれど、少なくとも私は彰くんより大きなパパさんをここで見かけたことはない。

「懐かしいよな。小学生くらいまではよくここで遊んだろ」
「そうだね」

 それこそヨチヨチ歩きの頃から来ていたし、自転車の練習だってここでした。小学生の頃は下校してランドセルだけ家に置いてすぐにこの公園に走ったりしたものだ。そんな思い出の大半に彰くんがいて、過ごした時間の長さに改めて驚きを感じる。
 滑り台から離れた彰くんは今度はブランコの鎖に手を掛けた。一瞬ひやりとしたけれど、彰くんを乗せてもびくともしないブランコはキイキイと懐かしい音を鳴らして揺れる。「ちっせー」と言ってはしゃいでいる彼の表情はいつもより少し幼く見える。
 
「あだな、かくれんぼで隠れんの得意だったよな」
「そうだったかしら」
  
 久しくこんな場所に二人でいるから彼も昔のことを思い出すのかもしれない。懐かしそうに目を細めている彰くんの横に座り、彼みたいに小さくブランコを揺らしてみる。確かに隠れる側のときは最後のほうに残っていることが多かったかもしれないけれど、言うほど私の記憶にば残っていない。
   
「最後まであだなのこと見つけらんない子がいてさ、めちゃくちゃ泣いちまったの覚えてねえ?」
「やだ、なにそれ。なんでそんなこと覚えてるの」
「そんときのあだなの泣き顔がすっげえ記憶に残ってんだよ」

 あそこに隠れてたんだよな、と彰くんが指した場所を見て記憶が蘇ってくる。大きな岩を重ねて作られたモニュメントが公園の入口付近にあるのだけれど、そこに子供一人入れるくらいの隙間があるのだ。
 彼が言っているのは、近寄ってよく見てみなければ気付きにくいその隙間を知って私が初めて隠れたときのこと。最後まで見つからなかったことに普通は喜ぶべきなのだけど、そのときは誰も来なくて怖くなって泣いてしまったのだ。
  
「でも最終的には彰くんが見つけてくれたでしょう」
「泣いてる声聞こえてきたから。あだな、俺の名前ずっと呼んでたんだぜ」

 またそうやって変なことを思い出すんだから。

 様々な場所から聞こえてきた「みーつけた」の声がいつまで経っても近付いてこなくて、段々と不安になって涙が零れて、気付けば祈るように彼の名を呼んでいた。

 彰くん、早く来て。彰くん、お願い。

 すんすんと啜り泣きながら、彼が自分を見つけてくれると願って。

「そうそう、ちょうどこんな感じで──」

 まるでその時の自分みたいな啜り泣きと、探し求めるように「ママ、ママ」と呟く声に顔を見合わせた私たちは、慌ててその方向へ走ったのだった。


***


「次は商店街の八百屋さんだったか」
「そうなの。じゃがいもと人参と玉ねぎ買ったよ」
「じゃあ晩ご飯はきっとカレーだな」
「せいかーい!」

 彰くんに肩ぐるまをしてもらってはしゃぐ女の子は、先ほど公園で泣いていた迷子の“ひなこちゃん”である。本人が言うには現在4歳で、ママとお買い物中にはぐれてしまったのだとか。心当たりを探しているうちによく遊びに来ているさっきの公園に辿り着いたらしい。
 最初は泣いてばかりでなかなか話してくれなかった彼女だけれど、彰くんの一言ピタリと涙が止まった。
 
「ここ、乗ってみねえ? 高いからすぐにママ見つかると思うぜ」

 彰くんが指した肩に恐る恐る跨ったその子は、自分の目線が一気に高くなるとパッと目を輝かせたのだ。

 そうしていま、私たちはひなこちゃんの記憶を頼りにはぐれるまでにママと一緒に行ったところを周っているわけ。あっという間に彼女と打ち解けてしまった彰くんの存在に、ひなこちゃんだけじゃなく私も救われていた。彼がいなければきっと私一人でオロオロしていたに違いない。

「ここにも来てないみたい」
「そっか。別の心当たり探してんのかな」

 郵便局にシューズショップに商店街の八百屋さん。これで3軒目だけれど、ひなこちゃんのママらしき人が再び訪れたという情報は得られなかった。なかなか見つからないことに不安が募っていくのは当然で、笑顔だったひなこちゃんの顔が段々と曇り始めてしまう。

「大丈夫だよ。きっと入れ違ってるだけだから」
「ママと会えるかな」
「絶対会えるからひなこちゃんは心配しなくていいよ」

 ポンポンと柔らかく髪を撫でる彰くんの声のトーンはいつもよりずっと優しくて、ひなこちゃんを見つめる目はまるでお兄ちゃんのそれである。擽ったそうにそれを受け止めて、ごしごしと涙を拭ったひなこちゃんの頬は心做しか少し赤らんでいた。
 その表情になんとなく既視感を感じるのは恐らく幼い頃の自分がダブって見えるせいだ。いつまでも誰も見つけてくれないかくれんぼで、彰くんが来たとききっと私はあんな顔をしていた。彰くんが癖のように撫でる自身の髪に触れ小さく首を傾げる。彼の“好き”は一体いつからの好きなのだろう。

「もしかしたら交番に行っているかもしれないから一度行ってみない?」

 考えても答えの出ないことは考えても仕方がないし、いまはそんな状況でもない。親子みたいにひなこちゃんを真ん中に手を繋いだ私たちは商店街にある交番へと向かった。


 親子の再会はその交番へ行く途中、突然訪れた。

「ひなこ!」
「ママだ!」

 探し求めていた人の声にいち早く反応したひなこちゃんは、その胸に飛び込んだ。ひなこちゃんのママは予想通り交番へ駆け込んだあと、商店街中を探し歩いていたようだ。


「うちの子がご迷惑かけてすみませんでした。本当にありがとうございます」
「お兄ちゃん、お姉ちゃん、ありがとう」

 深々としたお辞儀と可愛らしい笑顔に、私と彰くんは頷き手を振り返した。凡そデートとは思えないドタバタ帰郷になったけれど、これで一件落着である。
 彰くんの家にでも寄って神奈川に帰ろうか。そんな話をしながら歩いていると、別れたはずのひなこちゃんが「お兄ちゃん」と彰くんのもとに駆け寄ってきた。

「ねえ、お兄ちゃん、ひなこが大きくなったら結婚してくれる?」

 どこかで摘んできたらしい野花を手にした、とんでもなく可愛らしい逆プロポーズに胸を射抜かれてしまいそうになったのはきっと私だけでないはずだ。目を丸くしたのち、彼女の目線の高さに合わせてしゃがみ込んだ彰くんはあやしていたときみたいに髪をポンと撫でた。

「凄え嬉しいけど、お兄ちゃんには先約があるんだ」
「せんやく?」
「先に約束した人がいるってことだよ」
「えー!」
「約束したのに破っちまったらお兄ちゃん嘘つきになっちまうだろ」
「んー、嘘はついちゃダメなんだよ」
「だろ。だからごめんな」

 ポンポンと、柔らかく二つ髪を撫でた彰くんは手を振って再びひなこちゃんと別れた。少しだけ眉を下げていた彼女が、涙目でなく笑顔でサヨナラを出来たのは彰くんが真正面からひなこちゃんの気持ちを受け止めて断ったからかもしれない。

「小さい子からの可愛いプロポーズなんだから頷いてあげてもよかったのに」
「でも約束は守んねーと」
「あんなの時効でしょう」
「そう? 俺の中では大事な約束だけど」

 少し捻くれた言い方をしたのは彼が言う“約束”に身に覚えがあるから。だけど今の今までしていたことすら忘れていたその約束を、律儀に彰くんが覚えていたとも思えなかった。照れ隠しみたく「何歳の頃だと思ってるのよ」と返せば、彼は考えるように暫し首を捻った。

「……年少さん、くらいかな」
「年長よ」

 そーだっけ。と、とぼけるように笑いが響いたのち、私たちは何方ともなく手を繋いだ。


‥ ‥ ‥ ‥


「ねえ、彰くん」
「なーに」
「大きくなったら名前と結婚しましょう」
「けっこん?」
「そうよ。大人はね、好きなひと同士が結婚するのよ」
「ふーん、そうなんだ」
「名前と彰くんは好き同士でしょう?」
「うん。おれ、あだなが好きだよ」
「だから大人なったら結婚しましょう」
「いいよ」
「絶対よ。約束」
「指切りげんまんだな」

 
 小さな指同士を結んだ、小さな小さな約束
 


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