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16.初めてのデート


 ポーチにこっそり忍ばせていたのは普段は使わない色付きリップ。ドレッサーから移し入れてきたそれを引けば、透明感のある薄いピンク色が唇を彩った。さり気ない発色が学校帰りにはちょうどいいと感じる。

「珍しいね、どこか行くの」

 クラスメイトであり友人の柚羽ちゃんの問いに頷き、「ちょっとね」と曖昧な返事を返した。素直に言うのも躊躇われるし、かと言って嘘をつくのもどうかと思った私の精一杯の解答だった。

「あ、そっか。今日なんだね、後輩くんとのデート」
「……?!」

 落下したポーチはガシャガシャと激しい音を立てて床へ中身をばら撒いた。チークやらアイカラーやら、いつもは持って来ていないメイクグッズを慌てて拾い集めていると聞こえてきた「大丈夫?」は、なんとなく面白がっているように感じる。こくこくと頷いた私はポーチを通学バッグへしまい込み、頬杖をついて此方を見ている友人と視線を合わせれば彼女は意味ありげに微笑んだ。誰かにデートのことを話した記憶なんてありはしないのに。

「その色いいね。名前ちゃん、顔立ちがはっきりしてるからさり気ないメイクでも凄く映える」

 ニコニコと嬉しそうに私を見る視線がどうにも居心地が悪いのは何故だろう。小さく「ありがとう」と返した私はその視線から目を逸らすように帰り支度を始めた。本当は聞きたかった「どうして」が出てこなかったのは、彼女が全てを知っていそうな気がしたから。実際にはそんなことはあり得ないはずなのだけど。
 本来は友人に話すべき恋の相談が出来ないのは自分の頭がこんがらがっているからに他ならない。清田くんのことを話せば必然的に彰くんのことを話さなくてはならなくなる。幼馴染みで、だけど付き合ってたみたいな人がいて……。その時点でパンク状態になる頭では説明に何日費やすかわからない。結果、一切の恋愛トークを放棄しているわけなのだけど、黙っていることに少しばかり罪悪感を感じているのかもしれない。
  
「学校帰りにそのまま行く感じ?」
「そのほうが時間がたっぷり使えるからって清田くんが」
「要するに少しでも長く名前ちゃんと一緒にいたいってことね」
「え……え、と」

 じわりと熱くなってきた頬をチョンとつついてきた柚羽ちゃんはニヤリと悪そうな笑みを見せた。何かしら反論してやりたい気持ちとは裏腹にパクパクと動くだけの唇からは言葉は出ない。そうしてそのうちに聞こえてきた軽快な足音が私にタイムリミットを告げた。

「名前さん!!」

 いつも以上に大きく弾んだ声と満面の笑みが彼の気持ちをそのものを物語っていた。


**


 7月最後の登校日、つまりは終業式の日を清田くんはデート日に指定した。部活もなく、夏休みにあるインターハイ前合宿の兼ね合いもあり、この日がベストなのらしい。本人は丸一日遊びに行けないことを非常に残念がっていたけれど、大きな試合が控えているのだからこればかりはどうしようもない。
 彼が連れてきてくれたショッピングモールは学校の最寄り駅から二駅。個人的にもたまに訪れるし、来慣れた場所である。なにやら先日部の先輩と名古屋に行った際に“余計な出費”があったとかで「きちんとした場所」を選べなかったことを、清田くんはこれまた非常に残念がって行きの電車で暫くの間零していた。私としては高校生のデートらしいしなんの問題も感じないのだけれど。

「でも! デートって言ったら遊園地とか水族館とかそういう場所行きたいじゃないですか」
「そんなことないよ。ウインドーショッピングも楽しいよ」
「初デートっすよ」
「付き合ってるわけじゃないし、気楽に考えようよ。清田くんがそう言ったんだよ」
「そうっすけど」

 余程悔しいのか、ショッピングモールに入って間もなく清田くんは再びショックを訴える。何度か小さく「赤毛猿のせいで」と彼が呟いているのを聞くに、湘北の子となにかあったのかもしれない。
 彼のデートの誘い文句を持ち出してやれば眉間の皺と勢いが少しだけ緩んだ。特別感のあるデートがしたいという気持ちは理解できるけど、せっかく来たのだから楽しんだほうがいいに決まっている。

「私、デートでこういうところに来たの初めて」

 と言うか、そもそもデート自体がいつかの遊園地以来。うっかり思い出してしまった甘酸っぱい記憶に首を振り、目に入ったショップを指さした。

「ねえ、あのハンバーガーショップ行ってみない? お腹減っちゃった」
「そっすね。とりあえずは腹ごしらえしねーと」

 何度も来たことのある見慣れた場所なのに、“デート”と言う言葉一つで違う景色に見える。妙な擽ったさと新鮮さを感じながら戻った笑顔に顔を綻ばせた。




 食事をして目的もなくフロアを散策したり、気になったショップに入ってみたりアミューズメント施設でゲームしてみたり。お喋りをしながらそんな風に暫く過ごした私たちはふと壁にあるデジタル時計を見上げた。体に感じる感覚とは違うもので、ここに着いてから三時間以上経過していることに驚いた私達は二人して顔を見合わせた。

「びっくり。もうこんな時間なんだね」
「どおりで腹減るわけだ」 
「どこかでお茶しようか」
「そっすね。どっか良さそうな店あればそこで」

 言いながらきょろきょろとフロア内を見渡してみたけれど、生憎アパレルショップがメインのフロアで目当てのお店は別フロアに行く必要がありそうだ。とは言え急ぐ必要もないからペースを変えずのんびり歩いていると、今日はまだ通っていなかったエリアで新しいお店を見つけた私は清田くんに断りそこで足を止めた。

「アクセサリーっすか」

 凝った装飾や大きなリボンのついたカチューシャやヘアゴム、キラキラした飾りのついたイヤリングやネックレス。お小遣いでも買える範囲の手頃なものが多く揃うアクセサリーショップは気分を高揚させる。
 出来るなら一つ一つを手に取って自分に合わせて楽しみたいけど、隣に人を待たせているのだからそうもいかない。特に気になったリボン付きのシュシュを手に取り、自分の毛色に合うか鏡で見比べてみる。今日のリップと同系色でとても好みだった。

「そっちもいいけど、俺はこっちのが似合うと思います」

 言いながら清田くんが取ったのは大きな白いリボンがついたヘアゴムだった。合わせるように顔の横に持ってきてくれたそれを鏡で見てみると、なんと言うか非常にしっくりくる。長い丈が自身のロングヘアーにも映えるし肌色にもマッチしている気がするのだ。ちょんちょんと飾りに触れながらポツリと「可愛い」と呟けば、清田くんは「でしょ」と満足そうに微笑んだ。

「買ってきます、これ。俺からのプレゼント」
「え!」

 言うなり勢いよく走って行った清田くんは止める間もなくレジで精算を済ましあっという間に戻ってきた。

「タグ切ってもらったんで良かったらつけてください」
「や、でも……」
「受け取ってください。せめてこんくらいはカッコつけたいし」

 遠慮するにも今更で、タグを切ってしまったものを返品するわけにもいかない。有り難いやら申し訳ないやらで戸惑う私を近くのベンチへ誘導した清田くんは私に少し斜め右側を向いて座るように促した。
 そうして私の背中側に座った清田くんは器用に髪を手ぐしで梳きながら購入したヘアゴムをハーフアップで結んでくれた。

「ほら、マジですげえ可愛い。めちゃくちゃ似合ってます」
「清田くん、髪の毛結うの上手ね」
「俺も部活のときとかは自分の結んでるんで」

 バッグから手鏡を出し髪の後ろ見るように首を左右に振れば、白いリボンがふわふわと揺れる。人から貰ったものをこうして身につけるのは恐らく初めてだ。

「ありがとう。大切にするね」

 じわじわと体に滲み始めた嬉しさと擽ったさ。なにより私に似合うと彼が選んでくれたことが嬉しくて、丁寧にお辞儀して感謝を述べれば清田くんは照れくさそうに笑った。

「待って、私も買ってくる!」

 居ても立ってもいられなくなった私は宣言するなり同じアクセサリーショップへ走った。ヘアゴムを見ていたときに目についた一つを手に取りレジに急ぐ。先程の清田くんばりに会計を手早く済ませ、呆気に取られている清田くんのところへ戻ってきた。

「なに買ったんすか」
「ちょっとね。清田くん、後ろ向いて」

 不思議そうにしながらも素直に私に背を向けて座り直してくれた清田くんの髪の毛を、さっき彼がしてくれたみたいに手ぐしで梳いて一つに纏めヘアゴムで結ぶ。紫色の上に更に黄色いゴムを巻きつけると、一気に海南のユニフォーム感が出た。少しラメが入っていて派手めだけど、思っていた通り清田くんによく似合っている。
 
「私からのプレゼント、ということで」

 慌てて買いに走ったのは清田くんの髪を結んだ紫と黄色の至ってノーマルなヘアゴムである。数本セットになっていた残りのゴムを見せれば清田くんは目を輝かせた。

「海南の色だ」 
「清田くんが買ってくれたのと比べると見劣りしちゃうけど」

 清田くんは「そんなことないです」と否定してくれたけれど、シンプルなものと大きな飾りのついたものとでは値段が倍以上違うわけで。仰々しくお返しのプレゼントだと言うのは気が引けたけれど、彼の本当に嬉しそうな表情を見れてホッと胸をなでおろした。

「あと、これはインターハイの御守り代わりに、よかったら」

 おずおずと小さな紙袋を差し出すと清田くんは目を丸くした。
 敢えてこれをあとに出したのはショップに駆け込んだときは買うつもりがなかったものだったから。金額差があるから付け足したとかそういうわけじゃなくて、たまたま見つけたソレが清田くんのイメージにピッタリに思えて買わずにはいられなかったのだ。
  
「レジ前に置いてあったんだけど、清田くんに似合いそうだから思わず買っちゃった」

 黄色のパキッとしたラインが入った青いリストバンドは、まるで真っ青な空の中にある向日葵みたい。清田くんに似てるよね、と言えば彼は小さく呻いたのち弾かれたように私の両肩を掴んだ。

「ど、どうしたの」
「危うく抱き締めるところでした」
「……へ?」

 両肩にある手はぶるぶる震えて本当になにかに耐えているようである。

「マジで嬉しい。ぜってー負けらんねーや。名前さん、ありがとうございます」

 大事そうに通学バッグにしまって見せた笑顔は、向日葵と言うより太陽みたいに輝いていた気がする。
 

「こっちはいいですよね」

 抱きしめる代わりに手を。そう言わんばかりに繋がれた手は、ショッピングモールに居る間に中ずっと離すことができないまま固く握られていた。


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