momentum+






11.confession


 繰り返し蘇ってくる残像に顔を覆う。けれど視界不良になったところでそれは頭の中に浮かぶわけで、大した意味は成さなかった。
 優しくて穏やかな瞳が私を見つめ続ける。次第に高鳴っていく胸は同時にチクチクとした痛みを覚えた。

 やめて。そんな目で私を見ないで──、、、
 

「名前さんっ!」

 突然聞こえてきた大きな声に跳ねるように顔を上げた。見れば目の前には私を覗き込む清田くんの顔がある。それに驚いて小さな悲鳴を上げて立ち上がれば、手を置いたピアノが不協和音を鳴らした。

「わ、すんません! そんな驚くと思わなくて」
「大丈夫。いきなり現れたからびっくりして」
「俺何度か声かけたんすけど」
「うそ、いつから」
「ここ入ったときからっすよ」

 ついさっき合唱部のみんなと別れた気がしていたけれど、時計の針はすっかり進んでいるし外に見えていた夕焼け空も闇の色に変わっていた。その間なにをしていたかは思い出せないけれど、繰り返し現れていた彼の顔だけはよく覚えている。

「なんか悩みごとっすか」
「そういうんじゃないんだけど」
「なんかあるならいつでも言ってください。俺全力で話聞きますから」

 ドンと自分の胸を叩いて清田くんは言った。確かに彼は真剣に話を聞いてくれそうだし、なんとかしようと全力で動いてくれそうな気がする。すぐにイメージできてしまった張り切る清田くんの姿に思わず口元が綻んだ。

「考え事してたらいつの間にか時間過ぎてたみたい」
「そういうことありますよね」
「清田くんにもあるの」
「ありますよ、夕飯のこと考えてたときとかボーッとすんなって先輩に怒られて」

 ぼやきながら「そんなこと言ってたら腹減ってきた」と続けた清田くんは肩にかけていたショルダーバッグの中を探り始めた。そこから引っ張り出したビニール袋を私に見せて清田くんはニカッと笑う。

「考え過ぎたときは糖分っすよ。一緒に食べませんか」
「ポッキーだ。いいの?」
「もちろんですって! ほら名前さん、どうぞ」

 清田くんは豪快に開けたパッケージの中から小分けの袋を取り出して一つを私に渡した。もう一つを開けて2本ずつ齧っていく清田くんを追うように私も一本取り出して口へ運ぶ。口の中で甘さが広がっていくと少しく気持ちが軽くなってくる。

「美味しい」
「でしょ。疲れたときはコレっすよ」
「疲れてたつもりないんだけどな」
「でも凄え思いつめたような顔してたし考え過ぎて頭使ったんじゃないすか」

 清田くんは私を真似るように眉間に皺を作ってそこをトントンと指さした。案外この子は人のことをよく見ている。彼とは全然タイプが違うけど、心の奥底まで見透かしてしまいそうな目は少しだけ、似ているかもしれない。

「練習終わったらいつも甘いもの食べるの?」
「そんなことないっすけど究極に疲れたときはやっぱコッチかな」

 話を本筋からずらしたくて聞いた質問に清田くんは手にしたポッキーをひらひらと振った。

「清田くんでも凄く疲れることあるんだ」
「そりゃありますよ。地獄のようなトレーニングしたあととか」
「この前の試合のあとまだまだ動けそうな感じだったよ」
「だからそれが日々の賜物ってやつっすよ!」

 かっかっか! と独特な笑い声が広がっていく。同時に緩んだ私の口元からもくすくすと小さな笑い声がこぼれた。

「試合、来てくれて凄え嬉しかったっす」
「今更だけど、お疲れ様。観に行って良かったよ。想像してたよりずっとレベル高くてドキドキした」

 むずむずと嬉しそうに口元を歪めた清田くんの顔に赤みが差す。社交辞令でもなんでもなく心からの気持ちだけれど、そんなに嬉しそうにされるとこちらも照れくさい。
 
「……また、来てくれたり、しますか」
「うーん。そうだね、また機会があれば」
「今度の土日また試合あるんすけど」
「あー……うん、そうね」

 きらきらと期待に満ちた視線が注がれる。ぱきんとポッキーを齧りながら視線を泳がせた私の頭に浮かんだのは、やはり先日の幼馴染みの姿だった。

「ちなみに次はどこと戦うの」
「土曜は陵南で日曜は武里です」

 地元でないから聞いたところでわからない学校名に首をひねる。彼が着ていたジャージはどこの高校のものだろう。肝心なことは何一つ話すことなく別れたからどうして彰くんが神奈川に居るのかすら私にはわからない。スカウトかなにかで此方の強豪校に入ったのだと推測しているけれど、ならば彼の属するチームが決勝リーグに進んだ可能性はかなり高い。再び顔を合わせるのは避けたかった。
 「またな」そう言った彰くんの笑顔が過るとまた胸がちくんと痛む。

「正直、武里に負ける気しねーからどっちかっつーと陵南戦に来てほしいっすね、俺としては」
「りょうなん?」
「すっげえ背の高い猿みたいなキャプテンと二年のエースが強いんすよ」

 敵チームを認めるようなことを言うのが癪に触るのか「まぁうちの先輩のほうが全然凄えっすけど」と、清田くんは口を尖らせた。一方私は「二年」という響きに胸騒ぎを覚える。私と同学年でエース級のプレイヤーなんかいくらでもいるだろうに。

「どうしたんすか、名前さん」
「……ん、うんう、なんにも」
「……けど、顔真っ青っすよ」

 言われて自分の頬に手を伸ばせば、いつもより随分冷たい感触を指に感じた。

・・
 
「大丈夫っすか、俺送っていきますけど」

 ここに来るまでに何度も聞いた言葉に肩を竦めた。清田くんに急かされるようにして昇降口を出た私はこれまた何度目かの台詞を口にする。

「大丈夫だよ」
「でもふらふらしてるしせめて途中まで!」
「ふらふらって、そんなことないよ」
「いや、そんなことあるって! 今日名前さんずっと変っすもん。俺、ぜってー送ってくから」

 繰り返してきた同じやり取りに眉を下げるだけだった清田くんだけれど、今回は強く言い切って私の手首を掴んだ。私よりも随分高い体温がそこから一気に伝わってくるように体が熱くなってくる。
 
「き、清田くん、本当に大丈夫だよ」
「大丈夫じゃねーって。一人で帰してもし名前さんに何かあったら俺嫌だから」
「ちょっとボーッとしてただけで体調悪いわけじゃないよ」
「だとしてもダメ。もう暗いし、今日は諦めて下さい」

 グイグイと私を引っ張るように進んで行く清田くんは頑として首縦に振りそうにない。前を行く背中を見上げながら暫く悩んだのち、「お願いします」と小さく返せば清田くんはようやく安心したように笑ってくれた。
 ぺたりと自分の頬に触れる。私はそんなにひどい顔をしていたのだろうか。頬に触れたのとは反対側に視線を落とせば、掴まれたままの自分の手首に残像が映った。以前よりもずっと大きくなっていた手と、振り向きざまに見えた……少し切羽詰まったような瞳。消えても消えても浮かび上がってくる残像に出てくるのは自嘲の溜息ばかりだ。 
 校門付近まで来ると清田くんは突然足を止めた。前触れのないその行動に驚き前を見れば、彼は校門の外側を見て目を丸くしている。

「……なんでお前がここに居んだよ」
「ちょっと用があってな」

 心臓がドクンと嫌な音を立てた。

 清田くんが話しかけたその人物の姿は暗がりであることとその人がしゃがんでいる故にはっきりとは見えない。けれど見えなくとも間違うことはない。私は今し方聞こえてきた声の響きを、よく知っている。

「態々敵チームの学校になんの用だよ」
「別にノブナガくんたちに用があるわけじゃねーよ」

 ゆっくりと立ち上がった人物が此方を振り返った。清田くんの後ろにいる私を覗き込むように視線を落としたその人が私を捉える。既に私がいることがわかっていたのか、その瞳は驚くこともなく頭に何度も浮かんだのと同じ笑みを見せた。
  
「3日ぶりだな、あだな」

 心臓の音ばかりが耳の中に煩く響く。

 どうしてここに居るの。なんて、当然浮かぶべき疑問すら出てこない。彼の瞳の中に閉じ込められたみたいに私はその場から動けずただ唇を震わせた。

「あだな……?」

 中心にぎゅっと眉を寄せた清田くんが私を見る。自分に向いている二つの視線に耐え切れず私は顔を俯向けた。
 二人とも知り合いだったの? 軽く聞いて、偶然だねなんて笑って、それでお終いじゃない。なのになんでこんなに心が重苦しいんだろう。この前久しく会ったときみたいに、普通に、以前と変わらない会話をすればいい。──それだけなのに。

 私の表情を捉えていた彰くんが視線をずらした。

「友達って、ノブナガくんのことだったんだな」

 彼が一瞬だけ捉えたのは、清田くんに掴まれたままの手首だ。

「……名前さん、仙道のこと知ってんすか」
「よーく知ってるよな、あだな」

 にこりと笑んだ表情の中に、この前にはなかった感情が混じっているのがわかった。一見いつもと変わりない笑顔の中に恐らく怒りに近いだろう負の感情が隠れている。
 そうよ、幼馴染みなの。たったそれだけの簡単な台詞なのに、私は口を開けない。だってそれは否定しているのと一緒なのだ。自分たちの関係性がなんであるのか、見い出せなかった甘くて苦しいあの数ヶ月間を。
 なに一つ言葉を絞り出せないまま口を結んでいると、手首にあった清田くんの手に力が入った。 

「え……っ? き、清田くん!」

 清田くんは突然、なにも言わずに走り出したのだ。私を引っ張って校外へ飛び出していく。
 唖然としている彰くんの姿はあっという間に小さくなって見えなくなってしまった。


***


「すいません、急にこんなとこまで連れてきちゃって」

 整う気配のない息を必死で整えながらこくこくと頷く。近くにあったベンチに誘導されて座ると、清田くんはすぐ横に設置されていた自販機でお茶を買ってきてくれた。お礼を言うのもままならないままそれを流し込んで大きく息を吐くと、少しだけ落ち着いてきたような気がする。
 彼が猛スピードで駆けて私を連れてきたのは、学校の最寄り駅近くにある公園だった。あまりの速さについていくのに必死で、見覚えのある場所についたこともいまになってようやく気づいたところなのだけれど。


「名前さん、仙道と付き合ってるんすか」

 どうして突然こんなところに連れてきたの。私が聞くまでもなく清田くんのほうから疑問が投げかけられた。
 額に汗しているけど私と違って息一つ切らしていない清田くんの表情は真剣そのものだ。当然感じただろうその疑問に私は小さく首を横に振った。

「……東京に住んでたときの幼馴染みだったの。中2のときにこっちに引っ越してからはずっと会ってなかったんだけど、……この前の試合の日に偶然再会して」

 観戦自体を自分で言い出した手前か、清田くんは複雑そうな表情を浮かべた。もちろんあの日あの場所へ行かなければ私は彰くんとは再会していなかった。けれどそれは「まだ」と頭に付くだけで、同じ県内にいるのなら機会は幾らでも転がっていたのだ。

「アイツのこと、好きだったんすか」

 これも予想できていた疑問だった。

 けれど私はその答えを持ち合わせてはいない。考えて考えて……考えすぎて、それでも導き出すことができなかった自分の気持ちだから。買ってくれたお茶のペットボトルをぎゅっと握りながら、俯いて口を固く結ぶ。「わからない」なんて曖昧な答えを簡単に口に出すのは何方にも失礼な気がした。


「まだ言うつもりなかったんすけど」

 いつまでも返ってこない私の答えに痺れを切らしたのか、清田くんはベンチから立ち上がった。彼にしてはゆっくりとした歩調と前置きとして述べた言葉が、あとに続く台詞を物語っている。
 私の前に立ち「こっち見てください」と言った清田くんの言葉通り顔を上げると、射抜かれてしまいそうなほど真っ直ぐな目が私を捉えていた。

「名前さんのことが好きです」

 既に予感のあった想いを告げられて私はまたペットボトルを堅く握りしめる。私はその好意を少しばかり軽く考えていたのかもしれない。

「え……と、ごめんなさい。私、清田くんのことまだよく知らないし」
「わかってます。だからちょっとずつでいいから俺のこと考えてくれませんか。弟みたいとか後輩とかじゃなくて、男として見て欲しいです」

 頷きを返すこともできなければ、はっきりとノーと言うことも出来なかった。
 ただ頭の中に鮮やかに浮かんでいたのは、最後の日に私の背を撫でてくれた彰くんの優しい眼差しだけ。

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