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15.Epilogue
一番の感謝を君に


「名前ちゃーん! そろそろいいんじゃない?」
「はーい!」

 使い慣れないキッチンをバタバタと小走りしてオーブンの前へ急ぐ。ミトンをして天板を取り出すと、ふわっと甘い美味しそうな匂いが漂ってきた。

「よし。ちゃんと焼けてる」

 焼き具合の確認で刺した竹串には生地はくっついてない。うん、上出来だ。ガトーショコラはこれで完成である。

「ほら、ここに乗せて。熱いからゆっくりね」
「はい」

 用意してくれていたケーキクーラーにそーっとそれを乗せる。どこからどう見ても美味しそうな出来映えに自然と頬が緩む。これならきっと喜んでくれるだろう。

「じゃあ冷ましてる間に別のもの準備しちゃおう」
「はいっ」

 元気よく返事をすると彼に似た笑顔が返ってきた。ここは清田家のキッチンである。数日前に初めて会ったばかりだけれど、人当たりが良くてさっぱりしていてとても話しやすく、なんと言うか如何にも彼のお母さんという感じ。彼が居らずとも緊張せず話せるのはその人柄の良さのお陰だと思う。
 以前シュート練習をした公園から見える清田家の場所は知っていたけど、お邪魔するのは今日が初めて。そしてその初めてのお宅でなぜケーキなんかを作っているのかと言うと、大方の予想通り清田のためである。自分のために準備してくれた卒業式。と言うか、出会って以来ずっとお世話になりっぱなしな彼に何かしたい。そこで勇気を出して3日前にこの家のインターホンを鳴らした。出て来た彼の母親に包み隠さず全て相談した結果、進級祝いサプライズパーティーという案が出た。そして今日がそのパーティー当日というわけなのだ。
 
「なぁ、これちょっと食べてもいい?」

 その声に振り返れば待ち切れない様子でダイニングをうろうろしていた竜馬がキッチンに入り込んでいた。どこからか持ってきた踏み台に乗って、さっき出したばかりのガトーショコラを指差している。

「バカ。ダメに決まってんでしょう」
「でもこれオレの入学祝いだろ」
「兄ちゃんの進級祝いも兼ねてんの! つーか、夕飯まで待ちなさい。ったく、行儀の悪い」
「ちぇーっ」

 口を尖らせたその表情があまりにも清田そのものでむずむずと唇が歪む。来月から小学生になる竜馬の存在は当然無視できなくて、今回のサプライズは彼の入学祝いも兼ねさせてもらうことになった。

「お兄ちゃんが帰ってきたら一緒に食べようね、竜馬くん」
「わかったよ。しょーがねーからにいちゃんが来るまで待ってやる」

 喜んでくれる人が増えるだろうことが嬉しくてワクワクが止まらない自分は単純なのかもしれない。ぶっきらぼうに言いつつも、輝きの隠しきれない瞳が可愛らしくて竜馬の頭を撫でた。

「将来のお姉ちゃんが優しい子で良かったねぇ、竜馬」

 一瞬意味がわからなくて目をパチクリとさせていれば竜馬が身を乗り出して母親の方を見た。
   
「……え! 名前、オレのねえちゃんになんの!」
「信長と名前ちゃんが結婚したらそういうことになるよ」
「ちょ……ちょっと待ってください!」

 誂い口調でもなくて大真面目に竜馬に説明している清田母の言葉を堰き止めるように手を前に出す。嬉しいか嬉しくないかで言えば間違いなく嬉しいけど、余りに先走りすぎている。けれど言った本人は何がいけないよかとキョトンとしていた。

「しないの、結婚」
「え……いえ。まだそういうのはちょっと早いかと」
「もちろんそれは分かってるよ。だけどうちは名前ちゃんなら大歓迎だよ。ねえ、竜馬」
「おう! 早くオレのねえちゃんになってよ、名前」

 「信長のこと考えてこんなことしてくれる子中々いないよ」続けて言ってくれた言葉に心がむず痒くなる。それを言うのなら、私のことを想ってずっと助けてきてくれたアナタの息子さんの方だ。あんな素敵な人は他にいない。

・・・

「グラタンに、ハンバーグにエビフライ。あと……サラダを置いて……これで全部かな」

 清田の母親と作った料理をテーブルにセッティングして一息つく。あとは彼が帰って来たら汁物とご飯をよそって出すだけだ。
 するとタイミングよく玄関先からドアを開ける音が聞こえてきた。それに真っ先に反応したのは竜馬で、嬉しそうにパッと顔を綻ばせた。

「にいちゃんだ!」
 
 バタバタと大きな足音を鳴らして竜馬はあっという間に玄関の方へ消えて行った。 

「おかえり! 今日ご馳走だぜ! 早くこっち来て!」
「おう、ただいま。ご馳走って、今日なんかあったか?」

 弾む竜馬の声に不思議そうな清田の声。見えないけれど、いま二人がどんな顔をしているか手に取るように分かった。笑みを作っていた口元が足音が近付くにつれて徐々に下がっていく。彼の笑顔だけを想像していたけれど、果たして本当に喜んでくれるのだろうか。いざその時が迫ってくると途端に不安が込み上げてくるのだ。
 
「びっくりすんなよ、にいちゃん」
「そんなに凄えご馳走なのかよ」
「まーな」

 得意げな竜馬の声も共に部屋のドアが開く。入って来た清田とばちりと目が合うと、彼は信じられないものを見たように目を大きく見開いた。

「……名前?!」
「おかえりなさい」
「なんで名前がウチにいんの。ご馳走って……は?」
「ええと、お母さんと竜馬くんにお願いして、信長くんの進級祝いと竜馬くんの入学祝いがしたいなって」
「……それは、凄え嬉しいけど」

 テーブルの上にある料理、キッチンにいる母親に隣りにいる竜馬、そしてテーブルの前に立っている名前。それらを順番に見比べながら清田は困惑の表情を示す。

「この前のお礼。と言うか、ずっと信長くんには助けられてきたから何かしたくて」
「はーー、……マジかよ」

 頭を抱えながら清田はその場にしゃがみ込んだ。思ってたのとだいぶ違う。彼が居ないときに勝手に上がりこむのは流石にやり過ぎたかもしれない。背筋に嫌な汗が流れ落ちるのを感じながら、清田の元へ歩き自分も同じようにしゃがみ込んだ。

「ごめん。図々しかったかな」
「じゃなくて」

 清田は顔を上げると名前の耳元へ顔を寄せた。 

「流石に今は抱きしめらんねーだろ」

 近くにいる竜馬に聞こえるか聞こえないかくらいの小さな響き。見れば少し顔を赤らめている彼の顔を見て、名前も同じく顔を染めた。怒っているわけではなかったのだ。

「帰って来て早々なにイチャついてんの。早く座りな」
「っばーか! どっこもイチャついてねーだろ!!」
「かーちゃん、いちゃついてってなに?」
「お、お前には関係ねーって。ほら、早く食おうぜ」
 
 
・・・

 あれから暫くして清田の父も帰って来て5人で夕食を囲んだ。流石運動部と言うべきかそれと男所帯だからか、大量に用意した食事はあっという間に彼らの胃袋の中へ消えてしまった。食後のガトーショコラも清田と竜馬の二人がほとんどを食べてしまい、ちょっとは遠慮しろと母親から怒られたほどである。

「もー、マジで限界だったぜ」

 食器を下げた後、清田の部屋に連れてこられた名前は、部屋に入るなり彼の腕の中に閉じ込められた。清田の言う"限界"とは、もちろん満腹具合のことではない。"早く抱きしめたくて仕方がなかった"言葉にせずとも伝わってくるその気持ちが嬉しくて、名前も清田の背に回した手にギュッと力を入れた。

「なにニヤついてんだよ」
「うそ、笑ってる? 私」
「凄え顔してる」
「やだな。嬉しさが隠しきれなくて」
「ぶちゃいく。まぁそれも可愛いけどな」

 緩んだ頬をさすっていると、豚鼻を作るみたいに指を押し付けられた。

「信長くんのほうが可愛いよ」

 可愛いって言うなら確実に彼のほうが可愛いと思うのは自分のほうが少し歳上だからなのだろうか。家族の前とはちょっと違う甘えるような表情と声色。それを自分に見せてくれているのがすごく嬉しい。

「だからそれ言うなってば」
「だって可愛いんだもん」

 男の人が言われるのは嫌かもしれないけどこれは紛れもない事実なのだ。出来ることなら今すぐ髪の毛をわしゃわしゃして撫でくり回したいくらい。だけど流石にそれはやり過ぎだろうから、むずむずする手を抑えているくらいなのに。

「ちぇ」

 大袈裟にふくれっ面をつくって清田は顔を背けた。

「あ、拗ねた」
「別に拗ねてねーしっ」
「拗ねてるじゃん」

 それが本気で拗ねてるわけでも怒ってるわけでもないことは名前には分かる。だってほっぺは少し赤いし、抱き締める腕は未だ解かれていない。そっぽ向いた顔に背伸びして、チョンと触れるだけのキスを彼の頬へ落とした。

「信長くん、ありがとね」
「……なにが」
「色々。卒業式のこととか、送り迎えしてくれてたこととか、出会ったときのことも」
「もうそれ耳タコなんだけど?」
「でも言い足りないんだよ」

 清田に感謝を伝えたい。そのために協力してもらったサプライズパーティーだけれど、それでもまだまだ足りない気がしている。だっていま自分が前を向けているのな間違いなくこの人のお陰で、彼が傍に居てくれることがパワーになっているから。思っている気持ちは余すことなく伝えたいのだ。

「信長くんに出会えて良かったな」
「まーな。それは俺も思ってる」
「あの日、私がポーチ落としてなかったらどうなってたのかな」

 もしも落としていなかったら、私たちは言葉を交わすことすらなかったかもしれない。同じ生活圏内にいたとしても、学校も知り合いも何一つ接点がないのだから。清田は考えるように少し天井を見上げたのち、真っ直ぐ名前の方へ視線を向けた。

「そん時はまた別の形で出会ってたよ。つか、名前と出会えねーとか俺が嫌だし。何としても名前と出会う方法を探す」

 もしもを考えたとき、自分はマイナスなイメージしか湧かなかったのに、自分とは違ってひたすら前向きな彼の考えに思わず笑みが零れた。また会えるそのときを待つのではなくて、その方法を何としても探すと言うのが彼らしい。
 きっとこういう人だから溢れんばかりのパワーを貰えて、前を向こうって思えるのだ。こういう人だから私は──

「好きになったんだよね」

 無意識に口から出ていた言葉に清田は目を丸くした。

「……それ、心の声ってやつ?」
「うん。抑えきれなくて」

 止め処なく溢れてくる「ありがとう」と「好き」はもう抑えようがない。
 引き寄せられるように互いの唇が触れ合う。くっついて離れて、またくっついて。啄むキスを何度かしながら清田の手は腰に、名前の手は彼の首の後ろへとまる。ピタリと体が密着し合うと、だんだんとキスも深くなっていく。
 僅かに開いたドアの向こうから思いも寄らない声が響いたのはそんなときだった。

「あーーーっ! とーちゃん、かーちゃん!! にいちゃんと名前がチューしてる!!」
「……っ竜馬! お前いつから覗いてやがったんだ!!」

 階段を駆け下りていった竜馬を追って清田もバタバタと下へ走って行ってしまった。残された名前は驚きと恥ずかしさでバクバクと心臓が煽っている。
 だけど暫くすると笑いが込み上げてきた。こんな状況も、竜馬のことも、もちろん清田のことも、全部が微笑ましくて愛おしい。

「だいすき」

 一番の感謝と目一杯の愛情を君に。これからも傍でずっと伝えていきたい。

--END--

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【Spinoff】
彼女は信長くんとシたい
信長くんは彼女にシてほしい


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