momentum+






13.願い


 姿見の前で体を左右に捻りながら自分の姿を眺めてううんと唸る。スカートにすべきか、それともパンツにすべきか、昨晩から持ち越した悩みは未だ解決せず頭を支配していた。

「絶対スカートのほうが可愛い」

 好みだけで言えばこのベロアのスカート一択なのだ。それなのに決め切れない理由はこの時期の寒さである。雪がちらつくことも珍しくないこのシーズン、室内デートならともかく屋外にスカートはタイツを穿いてもなかなか厳しいものがある。

「だけど……やっぱりこっちだ」
  
 ベッドの上に放ってあったパンツに穿き替えて、くるりと鏡の前で一回転してみる。可愛さでは劣るけど、仕方がない。あまり寒々しい格好をしていたら彼が心配するだろう。以前に清田が上着を掛けてくれたことを思い出して、ようやく心が決まった。着替え始めて早一時間である。
 決まってしまえばあとは早い。バタバタと部屋を抜け出てキッチンへ駆け込み、作っておいた料理を指さして確認しながらそれに合ったお皿を食器棚から取りセッティングして、流れるように母の部屋の前へ走って行く。

「お母さーん」
 
 トントンとドアを叩いてから開けると、既に着替えを済ませた母はベッドの上に座っていた。

「びっくりした。起きてたの」

 いつもならこの時間、起きてはいてもベッドの中で気怠そうにしていることが多い母がきちんと身なりを整えて座っていることに名前は面食らってしまった。本当なら喜ぶべきことなのだろうけれど、いつもと違う様になにかあったのではと逆に不安が過ったのだ。

「あけましておめでとう」

 そんな心配を他所にニコリと微笑みながらされた新年の挨拶に名前は「おめでとう」と頭を下げた。年が明けた実感がないのは明けた時刻に寝ていたからか、それともバイトばかりの年末を過ごしていたからだろうか。「あけましておめでとう」という響きにピンとこないまま、久しぶりに薄いメイクをして綺麗に髪の毛をセットしている母の顔を見つめた。こんな姿を見るのはたぶん父親が亡くなる以前ぶりだ。

「これからは少しずつやれることやっていくね」
「無理しなくてもいいんだよ」
「ずっと思っていたことだから。いつまでも名前に迷惑かけてばかりいられないでしょう」

 父が亡くなって二回目のお正月。母なりに気持ちの区切りをつけたのかもしれない。身体のことは心配だけれど、前を向こうとしているその気持ちが嬉しくて名前は小さく頷きを返した。

「今年の目標は仕事を見つけることかな」
「うん。できる範囲で頑張ろう」

 今度は大きく頷いて飛びつくように母を抱きしめた。入院していたときよりも少しふっくらした背中の柔らかさに思わず涙が出そうになる。
 じわじわと涙がせり上がってきたときに、家のチャイムが鳴り響いた。元旦の午前八時。予想外の来訪に二人は顔を見合わせる。

「名前の友達かしら」
「駅で待ち合わせの予定だし、まだ時間も早いよ」

 今日は初詣に出掛ける。相手は誰とは告げずに母には一応伝えはしていた。けれど約束の時刻にはまだ早いし、なにより態々家まで来るだろうか。
 とは言え、他に来訪者なんて年賀状配達の郵便局員くらいしか思い浮かばない。恐らく彼であろうと、ドアスコープを覗かずドアを開ければ、勢いよく足元になにかが飛び付いてきた。

「名前!」
「あれ、竜馬くん?」
 
 彼そっくりの笑顔が足に抱きついてきて目をパチクリとさせていれば、その後ろに気まずそうに頭を掻いている清田本人が立っていた。

「ワリィ。どうしても一緒に行くって聞かねーから。そのまま待ち合わせ連れてくのもなんだし一言詫び入れとこうと思って」
「名前ー、一緒に行こうぜ」

 期待に満ちたこの笑顔を見るのは久しぶりだ。母が退院以降はあの公園に行くこともなく、バイト帰りに清田について保育園の迎えに行ったときに顔を見たのが最後だった。名前は頷きながら彼の髪を撫でる。

「そっか。うん、私は構わないよ」
「よっしゃー!!」

 ぴょんぴょんと飛び回っている竜馬を微笑ましく見ていれば、背後に視線を感じて振り返った。後ろには部屋にいると思った母がさっきの名前のように微笑まし気な視線を向けていた。
 彼氏どころか好きな人すらいない、なんて言った記憶はまだ新しい。気恥ずかしさから説明を省いていたことに焦りを感じた名前だったが、それよりも更に焦っている清田が母に向って大きく体を折り曲げた。

「あ、は、はじめまして! 海南大附属高校一年の清田信長です! 名前さんの彼氏やらせてもらってます!」

 他人事のように見ていてはいけないのだけれど、その言い方が可愛らしくて思わず名前は口元を抑えた。母も同じように感じているのか、清田を見る目は変わらず柔らかい。
  
「こんなに素敵な彼氏がいたのね」
「……あ、あの。黙っててごめんね」
「別にいいわよ。いても怒らないって言ったでしょう」

 そうは言ってもやっぱり気恥ずかしいものは気恥ずかしいわけで。なんとなく次の言葉が見つからずもじもじしていれば、母は名前の後ろにいる竜馬のほうを覗き込んだ。

「ボクは何歳かな。お名前は?」
「……」

 完全に口をロックしてしまった竜馬は顔を隠すように名前に抱きついた。 

「すんません。コイツは弟の竜馬です。コラ、聞かれてんだから返事しないとダメだろ」
「竜馬くんは6歳なんだよね?」 

 清田が頭を小さく小突いても顔を上げない竜馬は名前の言葉にコクコクと頷いた。今は自分の足に縋り付いているけれど、こんな風に警戒心を露わにしていたのは割と最近のはずなのに。少し前の竜馬を思い出しながらその頭を撫でる。

「なんだか名前の弟みたいね」
「マジでそれ。コイツがこんな懐くの珍しいんすよ」
「名前小さい子好きだものね。昔は先生になりたいなんてよく言ってたのよ」
「止めてよ、そんな昔の話持ち出して」
「いいじゃないの、別に。それよりちょっと上がってもらったら」

 にこにこしながら手招きを始めた母に名前はぶるぶると顔を振った。お母さんが調子が良いのは嬉しいけど、これ以上余計な話をされるのは勘弁だ。

「そんなの二人とも気を使うでしょ。もう私たち行くから」
「でも予定よりまだ早いんでしょう」
「来てくれたんだし約束の時間まで待つ必要ないよ。すぐ出るから」

 まだなにか言いたそうな母に大袈裟に手を振った名前は、自分の荷物を持ってくるなり二人を押し出すようにして家を出てた。


「ごめん。うちのお母さん煩くて」

 家を出て暫く歩いた名前が謝ると清田はからからと笑った。

「全然煩くねーって。今度うちのと比べてみ? 一生喋ってるから耳痛くなるぜ。な、竜馬」
「名前のかーちゃん、キレイ」
「そんなこと聞いてねーよ。でもまぁ確かに綺麗だよな、名前に似て」

 親が褒められるのは単純に嬉しいけど、オマケでついてきた言葉に名前は目を丸くする。彼はどうしてこういうことを躊躇なく言えるのだろうか。思わず下へ向けてしまった視線の先には自分を見上げる竜馬の顔があった。
   
「名前、顔赤い」
「それは信長くんが急に変なこと言うからだよ」
「どこが変なんだよ」
「そういう無自覚な攻撃が一番心臓に悪いの」
「なんだよそれ。誰がいつ攻撃したよ」
「信長くんだって急にカッコイイって言われたら照れるでしょ」

 マジで意味がわかんねー。表情全体でそう言っている清田はじっくりと考えるように首を傾げる。

「いや……普通に嬉しくね?」

 暫く考えたのちに導き出した清田の答えに名前はガクッと肩を落とした。勿論自分も嬉しくないわけじゃないけれど、毎度こんな攻撃を受けていたらこちらとしても心臓が保たないのだ。

「にいちゃんのどこがカッコイイんだよ」
「はァ? こんなカッコイイ兄ちゃん他にいねーだろ!」
「オレのがカッコイイよな、名前」

 竜馬に勢いよく体を揺さぶられた名前は苦笑いを返す。話が変な方向へ飛び火してしまった。

「それより竜馬くん、神様になにお願いするの?」

 分かりやすくそらしてしまった話題に竜馬はううんと声を出して悩み始めた。

「バスケがもっとうまくなれますように!」
「お兄ちゃんみたいに?」
「まぁ、とりあえず目標はにいちゃんでもいいけど。いつかはぜってー抜かしてやるからな」
「お前はマジでナマイキだな。抜かせれるもんなら抜かしてみな」
 
 口を尖らせながら清田は言ったけれど、竜馬が言ったのはそっくりそのまま清田が言いそうな台詞だ。この年であれだけバスケが上手いのだから大きくなったら清田並みに、いやそれ以上に凄い選手になるかもしれない。

「そう言う信長くんはどうするの」
「俺は神奈川ナンバー1になることと全国制覇。

 ……って言いたいとこだけど、それは自分の力で成し遂げてーから名前と家族の健康と安全だな」

 淀みなく言ってのけた清田の答えにまたもや顔が熱くなってくる。
 それは真っ直ぐに目標へ向いている強い眼差しに対してでもあるし、お願い事に家族と一緒に自分のことを並べてくれた嬉しさでもあった。

「名前は?」

 考えれば順当に来るべき自分の番に名前はふるふると首を振った。

「内緒だよ」
「人に聞いといてそれはズリぃだろ!」
「わ、私もお母さんと信長くん竜馬の健康と安全」
「うーわ、ぜってー嘘!!」

 決して隠すような内容ではない。けれど思っていた以上にしっかりとしていた二人の願いと並べるには余りに幼稚な気がしたのだ。取ってつけたよう言ったことだって決して嘘なんかじゃない。「違うよ、嘘じゃないよ」なんて手と首を振り続けている名前に向って清田が大袈裟に指さした。

「竜馬! 名前こちょこちょ作戦だ! いけ!」
「おう!」

 なんの合図かと思いきや、キリッと敬礼した竜馬が名前をこちょこちょと擽り始めた。

「……っや、やめて……! ふ、……ふ……ふふっ……!」
「さぁ、吐け。お前の願いごとはなんだ」
「なんだ?」

 容赦なく続く攻撃に敢え無く撃沈した名前は涙目になりながらハァと息を吐く。

「の……信長くんとずっと一緒に居られますように」

 か細い声が小さく広がると、途端に沈黙が訪れる。だから言いたくなかったのだ。
 自身がもっと上達することを望んだ竜馬。自身の目標は自分で成し遂げると言って、人の幸せを願おうとする清田。それに比べて自分の願いはなんて陳腐なんだろう。

「あ、こんどはにいちゃんの顔が真っ赤!」
「う、うるせーな! なるだろ、そんなもん!」

 竜馬がさした清田の顔は本当に茹でられたみたいに真っ赤になっていた。それを腕で隠すようにしながら此方へ来た清田は、名前の手をギュッと掴むなりズンズンと歩き始めた。

「あ、ズリー! オレも名前と手ぇつなぐ!!」
「お前は大人しく俺の手掴んどけ」

 そんなんぜってーやだ! 叫ぶ竜馬の声に緩んだ頬と、掴まれて絡んだ手が熱くて仕方ない。

 「これでいいのだ」熱くて騒ぐ胸を撫でながらそう肯定する気持と、「このままじゃいけない」焦りと燻りが胸の奥で広がっていくような両極端の気持ちが生まれた新しい年の始まりだった。

prev< return >next


- ナノ -