momentum+






11.もう一度


 ──おかしい。

 そう思いながら見つめる背中は今日もそわそわと落ち着かない。公園がよく見える二階の子供部屋の窓に張り付いていたそいつは、なにかに気付くと滑り落ちないかと心配になるくらいのスピードで階段を駆け下りて行った。そうして玄関前の廊下に掛けてあるジャケットを羽織ってキャップをかぶって、何を意識しているやら姿見で自分の姿を念入りにチェックし始めた。
 やっぱりおかしい。こうして後ろから見ていることにも気付かないその背中を見めながら清田は首を傾げた。
 こいつがそんな洒落っ気を出したことなんて今まで一度もなかった。その上、玄関のラックに置いてある自分のボールまで持ち出してどっか行こうとするものだから、清田は我慢できずに弟の背中に声を掛けた。

「お前最近家抜け出してどこ行ってんだ」

 大きくビクンと跳ねた背中は恐る恐る此方へ振り返った。いまようやく自分が見ていたことに気付いたらしい弟は見事なまでに青い顔をしている。

「……れ、れんしゅーだよ」
「なら母ちゃんに言ってけよ。黙っていなくなるから心配してんだろ」

 弟の竜馬の様子がおかしい。それは母親経由で知らされた。黙って家を抜け出して隣の公園でバスケしてることは以前からたまにあって、今までも散々注意はしていたがここ最近はほとんど毎日だと言うのだ。
 すぐそばの公園でバスケしてるだけなら別にいいんじゃねーか。その話を聞いて内心そう思わなかったわけでわはない。というか、実際に言ったらいつもの小言が倍になって返ってきた。まぁ確かに行くなら行くで一言言っとけっつーのは分かるし、テスト期間で久々に部活なしで帰ってきた清田はじっくり弟の様子を観察してみた。
 結果は見ての通りで、単に遊びに出かけてると片付けるにはどうにも落ち着かない様子である。竜馬はいまにも飛び出して行けるように足先をドアの方へ向け、もごもごと言いにくそうに言い訳を並べていた。
 
「ヒミツのとっくんだから言ったらイミねーだろ」
「だからって母ちゃんにまでヒミツにする必要ねーだろ」
「母ちゃんに言ったらすぐにいちゃんに言っちゃうからダメなんだって!」
「はぁ? なんで俺に隠れて特訓する必要があんだよ」
「にいちゃんが最近教えてくれねーからだろ!」

 勢いよく飛んできた竜馬の言葉に清田は頭をおさえた。思い当たるフシがありすぎる。朝練で朝早くに出て行って部活やって帰って来たら既に弟は夢の中なんてのは常で、高校入学以降は弟と関わる機会がめっきり減っていたのだ。

「それは悪かったよ。今日はちょっと落ち着いてるから一緒にやるか」
「いい。オレ一人でやれる」
「意地張んなって。アレやろーぜ、ダンク。俺が持ち上げてやっから!」
「いいって! オレやくそくしてるから、じゃーな!」

 言い終わる前から家のドアに手をかけていた竜馬は、ボール2つを抱えて飛び出して行った。

「……誰と約束してんだよ」




 グラウンドの脇にあるベンチに座っていると、ボールを2つ抱えた少年が見えてきて名前は立ち上がって手を振った。けれどいつもなら笑顔でそれに応えてくれるその子は、今日は随分と青い顔をしている。

「そんなに焦ってどうしたの、リョーマくん」
「にいちゃんにバレた」

 目をパチクリとさせた名前はリョーマが走ってきた方を一旦見やってから再びリョーマの方へ視線を落とす。この様子はお兄ちゃんどころか親御さんにも内緒で出てきているのかもしれない。

「じゃあ今日はお兄ちゃんとバスケする?」
「いい。オレ、名前とやるほうが楽しいもん」
「ほんとうにいいの?」
「いいってば」
「お兄ちゃんとやれるの久しぶりでしょ? 私はまたいつでもここに来れるよ?」
「いいの、オレが名前とやりてーんだし」

 初めてあったときは警戒心剥き出しだったこの子がこんな風に言ってくれることを素直に嬉しく思う。……けれど、自分が軽々しくしてしまったお願いのせいでご家族に心配をかけているのならそれを手放しで喜んではいけない。リョーマは嫌がりそうだけど、やっぱり一度お宅に挨拶に行くべきだ。そう思った名前が小さな背丈に視線を合わせてしゃがみこんだとき、背後から大きな足音が迫ってきた。

「竜馬!」
「げっ……」
「お前、約束してるって友達じゃねーのかよ! こんな大人……と……」

 さらに青くなっていったリョーマの顔よりもなによりも、後ろから聞こえてきたその声に驚いて心臓が止まりそうになった。

「名前ちゃん……?」

 もう一ヶ月近く見てなかった彼がここにいる。幻ではないかと疑ってしまいたくなるくらい信じられない現実に呆然と立ち尽くした。

「にいちゃん、名前のこと知ってんの」
「……は、なに呼び捨てにしてんだお前!」
「べ、別に大丈夫だよ、信長くん」
「いや、でもさ……!」

 間できょろきょろと二人の顔を見比べている少年は、見れば見るほど彼に似ていた。気付いてはいたけど、こうして並ぶと髪型が違うだけのミニチュアに見えてくるレベルである。口調も、仕草も、全部が彼そっくりだ。なんでその可能性を考えなかったのかと今になって思うほど。

「……もしかして名前の好きなひとって、にいちゃん?」
「リョ……リョーマくん……!」

 慌てて小さな口を塞げば、きょとんとしていた彼の頬が僅かに赤みを帯びた。



「お母さん体調どう」
「……うん、お陰様で。もうすぐ退院できると思う。あの……リョーマくんとは、通院の帰りにここで会って仲良くなって……」
「すぐそこだもんな、白波病院」
 
 清田は公園からも見える白い建物を眺めたあと、キッズ用の小さなゴールの方へ目を向けた。そこには此方をちらちらと気にしながらシュート練習をしている竜馬の姿がある。ちょっと話そうと言われた名前は清田と共にベンチに座っていた。
 言いたいことも謝りたいことも山ほどあるけど喉元でつっかえている。偶然出会えたことにまだドキドキしているし、未だに抜けない驚きと動揺で心が落ち着かない。

「バイトの時間変えただろ、名前ちゃん。だから、ずっと会えなくて……その、」

 珍しく言いにくそうにしている清田へ名前はぺこりと頭を下げた。

「……ごめんなさい。もう会わないほうがいいと思ったの」
「やっぱ、迷惑だったよな、好きって言ったこと。……いや、言えてはねーけど」

 ぶんぶんと振った首を下へ向ける。あんな風に突然会わないようにするなんて狡いやり方だった。けれどこの真っ直ぐな眼差しを向けられると、自分の気持ちがブレてしまいそうだったのだ。
 
「店長に、私の家のこと聞いた?」
「一応。お父さんのこととか」

 なにから言おうか。一瞬逡巡して小さく首を振った。ぐずぐず考えるだけ無駄だ。

「私は信長くんに相応しくないよ。高校も出てないし、まともに働いてるわけでもないし……、お母さんのお世話もしなくちゃいけないし。
 信長くんは凄い学校行ってて、その上部活も1年生からレギュラー取ってるわけでしょう。私みたいなのに構ってる時間が無駄だよ」

 自分で言っていて悲しくなってくる。だけどこれが自分が感じていた素直な気持ちに違いない。
 私と彼はあまりに違いすぎる。そんなの最初から分かってたのに、彼の勢いに巻き込まれているうちにそれが心地良くて楽しくなっていた。このまま一緒にいても良いかもしれない。そんな風に思い始めていたけれど、今までだって散々助けてもらってたのにこれ以上迷惑をかけるわけにはいかないんだ。
 名前の話を黙って聞いていた清田は眉根を寄せている。納得いかねー。声を聞くまでもなく表情がそれを物語っていた。

「俺、頭悪ぃのかもしんねーけど、名前ちゃんが言ってることが理解できねー。相応しいとか相応しくないとか、そんなもん当人が決めることじゃねーし、かと言って周りが決めるもんでもねーだろ」
「……そうかも、しれないけど」

 真っ直ぐに自分に向く視線から目を逸らす。

 あぁ、だめ。やっぱり私はどうしたってこの目に弱い。

「高校のランクとか部活やってるとかレギュラー取れてるとかそんなもん関係ねーよ。大事なのは気持ちだろ。
俺は凄いと思ったぜ、名前ちゃんのこと。お父さんが亡くなって辛いのにずっと一人でお母さんのこと支えてたんだろ」

 その眼差しと同じくらい強い力を持っている言葉は私の中にスッと染み込んでいった。その言葉一つでさっきまで鉛みたいに重かった気持ちがフッと軽くなった気がする。
 だから嫌だったんだ。この人と真正面から向き合うのは。どんなに否定したって、抗ったって、彼は全部を受け止めてくれるし前向きなパワーに変えてしまう。だってほら、今は彼といれば全部なんとかなるんじゃないかなんて思い始めてるんだから。

「仕切り直していい?」

 態とらしく咳払いをした清田が名前の左手を包んだ。
 あのときと一緒。熱のある眼差しと熱い手のひら。
 
「初めて会ったときから名前ちゃんのこと、好きでした。俺と付き合って下さい」

 アナウンスで途切れてしまったときと全く同じ言葉を告げてくれた清田に、名前は小さく頷いたのだった。

prev< return >next


- ナノ -