momentum+






10.小さなコーチ


 大きく空へと飛んでいったボールが弧を描き下に落ちてくる。それはリングの中へ吸い込まれていくかと思いきや、ガンとリングの端にヒットしてコロコロと地面に転がっていった。

「あー……! おしい!」

 絶対に入ると思ったのに。ボールを拾って戻ってきた先には、どこかのコーチみたいに腕組みして名前を見守っている小さな男の子がいた。

「へったくそだな、名前」
「うーん、なんでだろう。どうしても右にズレてっちゃうんだよね」
「フォームが悪いんだよ」

 小さなコーチは子供用のバスケットボールをバウンドさせて、以前も見せた綺麗なフォームでそれを投げる。そうすればさっきの名前のとは違って吸い込まれるようにリングの中にボールが入っていった。くるっと此方を振り向いたドヤ顔はお手本通りやってみろと言わんばかりに顎で名前を指す。
 それがナマイキだなんて露ほども思わなくて、ただただ微笑ましくて名前の口角は自然と上がっていた。見せてくれたフォームを思い出しながらボールを構えてみる。

「……こう?」
「ちがうよ、ここもう少し上にあげて……こう」
「……やりにくいけど、ホントにいける?」
「そのまま投げてみて」

 直してくれた左肘の位置を維持するのは思ったりよりも窮屈でやり辛い。肘が開かないように気を付けながら投げてみると、さっきまでとは違って真っ直ぐにゴールの方へ進んでいったボールは綺麗にリングを通り抜けていった。

「凄い! リョーマくんの言う通りに投げたら入ったよ!」
「だから言っただろ」
「教えるの上手! やっぱりリョーマくんに頼んで良かったよ」
「まーな」

 そうやって照れ臭そうに鼻の下をごしごしと指でこするのは、例の少年、リョーマである。名前がバスケを教えてくれと言った翌日から行われている練習会は今日で3日目。この公園のすぐそばに住んでいるというリョーマは、名前が病院帰りにグラウンドで待っていると大人サイズとキッズサイズのボール2つを抱えて何処からともなく現れる。親が近くにいないのが気になっていた名前だったがどうやら公園が見える位置に家があるようだ。

「にいちゃんはもっとスゲーんだぜ。走るのもはえーし、ジャンプもすっげー高く飛べるし」
「リョーマくんお兄ちゃんいるの? じゃあ、お兄ちゃんがバスケで教えてくれてるんだね」
「前までは。最近はブカツが忙しいってあんまり教えてくんなくなった」 

 寂しそうに眉を下げたリョーマの頭を撫でてやると、その顔はほんのりピンクに色付いた。弟、って言うには年齢が離れているけど、自分にも兄弟がいたらこんな感覚だったのだろうか。

「……そっか。じゃあその分私と一緒にやろうよ」
「でも名前ヘタだもん」
「いいじゃん。リョーマくんが教えてくれれば」

 名前の言葉にリョーマはツンと唇を突き出したけれど、その表情はまんざらでもなさそうだ。
 なんで自分はこの子に声を掛けたんだろう。その上どうしてバスケを教えてなんて言ったんだろう。自分で自分の行動を振り返ってみても理解不能だったけれど、接すれば接するほど見えてくる彼の影が自分を動かしたのではないかと今は感じている。
 こんな小さな子とダブるなんておかしい、そう思っていたけど、リョーマは清田と似ているのだ。

「私の好きな人も、バスケやってるんだよ」

 こんなことを言ってなんになるんだろう。それでもリョーマといると見えてくる彼の姿に、どうしても言葉に出したくなってしまった。目を見開いたリョーマは面白くなさそうに名前から視線を逸らした。

「ふーん。でもにいちゃんのほうがぜってー上手いぜ」
「ふふ、そうかもね」

 6歳のリョーマがこんなに上手なのだから、それを仕込んだという彼の兄もきっと凄い選手に違いない。
 だけど信長くんも凄いんだよ。自分よりも背の高い選手を飛び越えて、恐れることなくダンクを決めるの。なんて、偉そうに思うほど彼のプレイを見たわけでも、知っているわけでもないけれど。彼がここにいたらなんて言うだろう。面倒見が良さそうな彼ならリョーマくんのこと可愛がってくれるのではないか。考えたって無駄なことが頭に過ぎり、名前は自嘲の溜息を吐いた。

「名前はそいつとケッコンすんの?」
「どうかな。もう会えなくなっちゃったから」
「なんで?」
「部活、頑張って欲しいから」

 名前の言葉にリョーマは眉根を寄せた。意味がよく分からない。聞くまでもなく表情全てで物語っているリョーマの気持ちに名前はくすくすと笑う。

「リョーマくんは、お兄ちゃんとまたバスケしたい?」
「したい。もっと教えてほしいしもっと上手くなりたい」
「じゃあ……お兄ちゃんが部活辞めてリョーマくんにバスケ教えるって言ったらどうする?」
「それはダメ!!」

 間髪入れずにそう叫んだリョーマは名前の腕をガシッと掴んだ。
 
「にいちゃんはぜってープロになるんだから! ブカツやめたらダメだろ!」

 ぶんぶんと名前の腕を揺さぶるリョーマを落ち着かせるように背中を撫でる。こういう例え話はするものじゃないのかもしれないけれど、他にどう言えば伝わるのかよく分からなかった。別にそれをこの子に説明しなくたっていいのに、きっちんと分かってほしいという気持ちが少なからず出てきたのは、やっぱり清田に似ているからなのだろうか。

「私も、そういう気持ちだからだよ」

 くっきりと入っているリョーマの眉間の皺がさらに深くなっていく。 

「名前が言ってること難しい」
「そうだね。変なこと言ってごめんね。

 よしっ! もう一回やろう、シュート!」

 言うなり思い切り放ったボールはゴールとは全く明後日の方向へ飛んでいった。

「あーーー! ばか! そうじゃねーって!」

 リョーマの大きな声に続いて名前の「ごめんね」が小さく公園内に響いていった。



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