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07.初めてのデートと・・・


 ささっと日焼け止めを塗った肌にファンデーションをして眉を整えて次はアイメイク。ポーチの中から引っ張り出したいくつかのアイシャドウを並べ、自分の姿を見下ろして「ううん」と首を捻る。ベージュのニットに黒と緑のチェックスカート。このコーデならばシャドウは茶系にするべきだろうか。
 悩みに悩んだ名前は、結局スカートと同系色のグリーンのアイシャドウを瞼の上に乗せた。アイラインをひいてマスカラ、そしてチークをして今度は口紅を取った手がピタリと止まる。

「ちょっと気合い入れすぎかな」

 鏡の中の自分とにらめっこでもするようにちょっと顔を顰めてみせてから顔を覆う。やっぱりどう考えても気合が入り過ぎている。
 重ね合った手と手、俺のこともっと見て欲しいという言葉、私を真っ直ぐに見る目。目を瞑れば即座に浮かんでくるそれらのせいで身体中が熱くなってくる。

「……違うからっ」

 放っておけば延々と蘇り続ける残像を切り離すべく大きな声を出して首を振った。静まり返る部屋の中に、キンと自分の高い声が響いてなんだか逆に恥ずかしくなってくる。

「なにが違うんだろう」

 ぽつりと独りごちてまた鏡を見つめる。出しておいた口紅を引き、ぎこちない笑顔を向けてみた。別に気合が入ってたっていいじゃない。それは誰に向けるでもない自分自身を納得させるための呟きだった。
 キーホルダーだらけで少々閉めにくいポーチの口を閉じて、出しておいたお気に入りのバッグへ入れた名前は隣の部屋の戸をノックした。

「いってきます」

 一呼吸待っても返ってこない返事に首を傾げ、暫しの間逡巡したものの、名前はそのまま家を出た。





「やっべ。息止まるかと思った」

 待ち合わせの場所に既に居た清田は、名前を目にするや否や胸をおさえた。 

「え、どうしたの」
「名前ちゃん凄え可愛いから」
「……へ?」

 間の抜けた声がぽろっと出たあと、名前はきょろきょろと周りを見渡した。そのストレートな褒め言葉が自分へ向けてだと俄には信じられなかったが、清田が真っ直ぐに見ているのは自分に違いなかった。というか間違いなく自分の名を呼んでいたのに。遅れて理解すれば、じわじわと体が熱くなってくる。

「あ、待って! 言っとくけどいつも可愛いからな。今日は一段とって意味で!」
「あ、あ……あり、がとう……ございます」
「なんでカタコトになってんだよ」

 熱の集まった顔をコクコクと揺らせば、清田はアハハと笑った。誰のせいでこうなってると思ってるんだろう。無自覚に更なる爆弾を投げつけてくる張本人から視線を逸らして俯いた名前は、口紅で赤く染まっている唇にちょんと指を触れた。良かった、あれこれ自問自答してたあの時間は無駄ではなかったらしい。
 行こうぜ、と促された名前は清田の後に続き改札を通る。バイト先とは反対方向に向かう電車に乗り込んで、丁度並んで2人座れる席を見つけた彼らはそこへ腰を下ろした。
 以前から清田が言っていた"デート"のタイミングは思っていたよりも訪れた。国体から1週間後の土曜日、部活が午前だけだからとつい先日迎えに来てくれた清田の誘いで決まったのだ。つまり、今日がそのデート当日というわけである。

「ねえ今日はなに観るの」

 半日まるっと使って遊園地だとか水族館だとか、そういう場所へ行ければ彼も気分転換になって良いかもしれない。そう思っていたけれど、残念なことに夕方からバイトが入っていた。遠くまで遊びに行く時間ないからと、清田が提案してくれたのは映画だったのだ。 

「これ。前売り貰ったし評判良いらしいぜ」

 そう言って清田が財布から出したチケットにはテレビでも取り上げられていた新作映画のタイトルが書かれていた。ファンタジー要素もある泣けるラブストーリーらしいことは名前もテレビや周りの人からの話でなんとなくは知っているけれど、前売りを貰ったとは言え清田がそれを選ぶのが意外に思えた。

「もしかしてもう観た?」
「まだ。信長くんそういうの好きじゃなさそうだからちょっと意外だっただけ」
「実はあんま観ねーんだけど、女子はこういうのが好きなのかなって」
「私に気を使わなくていいんだよ」

 確かにこういったラブストーリーは単純に好みではある。けれどこのデート自体が彼への"お礼"のはずなのに、自分に合わせてもらって本当にいいのだろうか。チケットから清田の方へ視線を向ければ、そこには遠足前の子供みたいにワクワクと心躍らせている表情があった。

「名前ちゃんが楽しくなきゃ意味ねーだろ」

 頭をぐしゃぐしゃっと撫でた手が離れると、いつものかっかっかっと言う笑い声が電車内に響いた。
 下を向いて顔を真っ赤にしていた名前はそれに応えることが出来なかった。さっきの清田の表情を目にしたときから心臓が煩くてそれどころではなかったからだ。





「マジで見んなって。頼むから」

 カフェのテーブルに顔を突っ伏した清田は、少しだけ顔を上げた後また頭を抱えるようにして顔を隠した。一方で鼻をすんすんと啜る清田を見つめる名前はくすくすと笑う。

「ごめん。でも可愛いから」
「マジそれナシだって!!」

 大きな叫び声をあげながら清田はジタバタと手足を揺らす。でも頑なに顔は上げてくれない。まだ鼻をぐずぐすさせながら「マジでかっこわりぃ」と呟いている。でも名前からしてみれば、全然カッコ悪いとは思わない。寧ろ全力で映画を楽しんでくれて嬉しいし、素直に感情を出す清田がとても好ましく思えた。

「ほら、コーラきたよ。そろそろ顔上げて飲もうよ」

 注文していたものが運ばれてきたのでそう声をかけると、清田は渋々赤い目を擦りながら顔を上げた。 

「いい映画だったね。観れて良かったよ」
「それは間違いねー」

 でもこんなはずじゃなかったんだけどな。そう続けた清田はストローに口をつける。観た映画は本当に素晴らしいものだった。泣けるラブストーリーというキャッチコピーはまさにで、名前は涙腺が崩壊するかと思うくらい涙を流した。それは隣で観ていた清田も一緒で、序盤から鼻をぐずぐすさせていた。恐らく暫くの間涙を堪えていたのだと思う。だけど一度溢れてしまうと涙はそう簡単に止めることはできないものだ。最終的には名前以上に号泣していたのだ。

「引いてねえ?」
「まさか、引くわけないよ」

 寧ろ可愛かったよ。なんて言おうものならまた清田は顔を伏せてしまいそうだから名前はその言葉を呑み込んだ。まだ赤みの残る目にハンカチを押し付けてやると、清田は「さんきゅ」と言いながらそれでごしごし目を擦る。たぶんとっくに涙は引いているだろうけど、緩んでしまった涙腺のためのお守り代わりだ。

「信長くんがこの映画の選んでくれて感謝だよ。想像以上によかったから」
「前売り貰ったこと話してたらさ、クラスの女子が面白いから絶対見ろっつってて。みんなが言うだけのことはあるな」

 ──女子。彼の言った言葉を反芻してみながらざわりと痛んだ胸に手を当てた。
 そうか、当たり前だけれど清田くんの学校は共学なんだ。つまり同じクラスには女の子がいるわけで……。あんなにバスケ上手いんだしもしかしたらファンとかいたりするのかな。それこそ同じクラスに清田くんのことを好きな子だっているかもしれない。
 学校にいる清田は一体どんな感じなんだろう。クラスではどんな風に過ごして、女の子と喋ってるんだろう。自分が知らない清田が存在するのだ。そんな当たり前のことがなぜかショックで胸が痛い。

「名前ちゃん。おーい、聞いてんの」
「へ、え? なに?」
「いや、そっちが急に静かになったから」
「ごめん。もしかしてなにか話してた?」
「いや、映画の話だけど、別に大したことじゃねーから別にいいよ」

 気付けば清田に顔を覗き込まれていた名前は慌てて自分が頼んだオレンジジュースに口をつける。彼の話が全然耳に入ってこなかった。一体なに変なこと考えているんだろう。

「信長くん、クラスの女の子ともよく話すの?」
「ん、どーかな、わかんね。意識したことねーや」
「そう……」

 それでもどうにも心のもやもやを消化してしまいたくて、一つだけ単純な疑問を口にしてみた。けれど聞いたところでもやもやは消えることなく、ぐるぐると渦をつくったまま自分の心の中に留まり続ける。
 変なの、なにこれ。嫌な感じのする胸を撫でながら口をキュッと引き結べば、清田は不思議そうに首を傾げた。

「それって、もしかしてアレ?」
「……あれ?」
「ヤキモチ、的なやつだったりする?」
「やき……もち」

 ちょっと赤くなっている頬を掻いている清田の顔を見つめながらぽかんと口を開けた。やきもち。……はて、ヤキモチとは……?

「ち、ちちちち違っ……!」

 ようやく意味することを理解した名前は立ち上がってぶんぶんと両手と首を振った。

「だよな、わり。チョーシ乗った」

 清田の返事はあっさりしたものだったが、あからさまに落胆しているのが見て分かった。コーラのグラスに入っていたストローを取っ払って直でグビグビとそれを煽った清田は「だったらちょっと嬉しかったんだけど」とぽつりと零した。瞬間、蘇ってきたのは先週の試合のあとの彼である。
 やっぱり、これは間違いなく"好意"なのではないか。顔に熱が集まるのを感じながらもじもじと指を絡ませて、名前はおそるおそる口を開いた。
 
「わ、私って……もしかして口説かれてたり、するのかな」
「えっ!」

 目を見開いた清田は、カッと顔を赤くすると「あー」とか「えー」とか、何やらもごもごと言葉にならない言葉を発している。
 あ、これは困らせてしまっただけなのでは。途端に気まずさが込み上げてきた名前はぺこりと頭を下げた。

「ごめん、気の所為だよね。私の方こそ調子乗り──「いや、違え!」」

 話を切り上げようとした名前を遮るような清田の声が響いた。

 国体のときみたいの真剣で真っ直ぐな瞳が自分へ向く。伸びてきた手が、また私の手を包みこんだ。
 
「口説いてます。俺、初めて会ったときから名前ちゃんたのことが────」

 ──ピンポンパンポーン

 最悪のタイミングで館内アナウンスが鳴り響いた。お客様にお呼び出し申し上げます。有りがちなアナウンスに二人して目を瞠り、その後ふふと笑みを溢した。

 しかし、続くアナウンスの言葉に二人はまた顔を見合わせる。

 ──C市からお越しの、名字名前様。名字名前様。お知らせがございます──……

「……今の、」
「私、だよね」

 
 アナウンスが終わりざわめきの戻ったカフェの中で、二人は暫しの間呆然と互いを見つめ合っていた。

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