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06.Ah, I noticed!


 
「監督、試合まだっすか」

 熊みたいにうろうろと更衣室を歩きながら言った清田の言葉に、高頭は組んだ腕をちらりと見た。

「落ち着け。まだ20分以上ある」

 普段こんなことを言うのは牧の方だ。落ち着きがないのはいつものことだが、珍しく急く様子の清田に高頭は呆れ笑いを浮かべた。それが試合に良い影響を与えるのなら何の問題もないけれど。壁時計を見上げて大きな溜息を零した清田を見て、やれやれと扇子を扇いだ。
 今日は特別国民体育大会、所謂国体の初日である。みな一様に気合は入っているが、清田のそれは突出していた。またも更衣室のの中をうろうろと歩き出した清田に、今度は翔陽の藤真が背中を叩いた。咎めるつもりではなく、彼流のスキンシップのようなものだと思われる。
 
「やけに張り切ってるな、清田」
「バリバリ全開っすよ。絶対活躍するからオレの出番増やして下さい」
「俺に言われてもな。だそうですよ、監督」 
「分かっている。お前が活躍する場面も出てくるだろうからしっかり準備しておけ」
「そう言わず! スタメンからお願いします!」

 ガバッと勢いよくお願いポーズをされて、高頭は呆れながらもワハハと笑った。やる気があること自体は良いことだ。インターハイ予選の決勝リーグへ進んだ3チームから選ばれた選り抜きのメンバーたち。それを采配するのは難しくもあり、楽しくもあるだろう。もちろん清田の出番もあるだろうが、これだけ良い面子が揃っていれば簡単にイエスと言うわけにもいかない。
 なかなか食い下がろうとしない清田を止めたのは牧だった。特徴のある無造作ヘアーごとガシッと頭を掴んでやると、清田はぎくりと青い顔を見せる。
  
「落ち着け。お前の出番はあると言っているだろう」
「分かってますけど……!」

 分かってはいる。こんだけ強い面子が揃ってりゃ俺ばっかが出れるわけねーし、下手すりゃ出られない可能性だってることも。だけど今日だけはそうもいかないのだ。ほんの僅かでもいいから自分が活躍できる場面がどうしても欲しい。5分、いや2分だけでもいい。敵から奪ったボールをガツンとゴールに突っ込んでやる。自分なら絶対できるし、シュミレーションはバッチリだ。
 
「あぁ、今日だっけ。彼女が来るの」

 逸る気持ちを抑えられない清田の肩は、神の言葉でびくりと大きく跳ねた。まさに今考えていたことを言い当てられたからである。その通り、今日は名前が来てくれるというのに活躍の場がないなんてあり得ないのだ。

「は、おい。お前彼女いんのか」

 「彼女」という響きに過敏に反応した湘北の三井が清田に肩を組む。この人と藤真はなんか人に対する距離が近い。ここ何日かの合宿を経て清田はそう感じていた。自分も間違いなく同じタイプに違いないのだが、他校の先輩にそうされると微妙に遠慮してしまう。

「か、彼女じゃないっすけど。別にいいじゃないすか何でも!」
「いや、許せねーな。猿ごときが女連れて来るなんてよ」
「猿じゃねーってば! 離してくださいよ!」

 ブンブンと腕を振って逃れた先には長い前髪を垂らした男がジッと清田を見つめていた。 

「んだよ、流川」
「別に」

 そうだ、コイツにだけは絶対負けてらんねー。もしコイツばっか馬鹿みたいに活躍して名前ちゃんの目がハートになんかになってみろ。そんなもん俺耐えられねーぞ。絶対に流川より活躍してカッコイイ所を見せてやるんだ。
 メラメラと燃える闘志を滾らせていれば、バシッと後ろから頭をはたかれてしまった。 

「集中しろ」

 牧から諌められた清田は静かに息を吐く。そうだ、集中しろ。今日という日は二度と来はしない。長い髪を纏め上げてヘアバンドをつける。
 試合開始まであと10分──。






「名前ちゃーん!!」

 会場内に大きく轟いた声に名前は辺りを見渡した。

 試合が終わったアリーナから出てくる人でロビーは人に溢れている。間違いなく自分を呼ぶ声がして、しかもその声はついさっきまでコートの中で戦っていたハズの人物のように聞こえた。ごった返す人の波の中にその人がいるとは思えないけれど、あの大きくて明るい声色は彼以外には考えられない。
 声がした方を凝視していれば人の波の中にぴょこぴょこと踊る無造作ヘアーが見えて来た。それに応えるように手を挙げながらぴょんぴょんと飛び跳ねると、波の間からお日様みたいな明るい笑顔が飛び出した。

「びっくりした。お疲れさま、出てきて大丈夫なの」
「知り合い来てるってちょっと抜けてきた。せっかく来てくれたのに会わずに帰させらんねーもん」

 そんなことを言いながら清田は名前の手首を掴み、近くのベンチへと誘導するとそこへドカッと腰を下ろした。顔には沢山の汗が滲んでいるけど、その表情には全く疲れが見えない。県の代表に選ばれる人はやっぱり凄いんだなぁ。そんなことを考えながら名前は清田を見上げた。当の本人は勢いよくこちらに駆けて来たわりに、なにかを言い淀むようにしながら口を開いた。

「……どうだった?」
「あ、うん。凄かったよ。おめでとう」

 そう名前が答えるなり清田はガクッと肩を落とした。

「じゃなくて! それも嬉しいけどさ!」

 大袈裟に身振り手振りを交えながら、ホラ、他になんかあるだろ。と清田は言う。それに対して名前はどう答えるべきかと頬を掻いた。目にした光景があまりにも凄すぎて、それを言葉で表現する術を持っていない気がする。
 前に来た信長くんの先輩たちも背が高くて大っきいと思ったけれど、今日見た選手たちはもっと大きい人たちが沢山いて。信長くんだって背が高いほうだと思っていたのに、その中にいる彼は全然小さく見えて、その上そんな自分より大きい選手を飛び越えてダンクシュートを決めたものだから腰を抜かしてしまうかと思った。それくらい衝撃的で、凄かったのだ。

「えっと。格好良かったよ、信長くん。まさかダンク出来ると思わなかった。……あれ、ダンクだよね? ごめん、ルールとかよく分かんなくて。とにかく凄かったよ」

 そう、とにかく凄かったのだ。言葉では上手く言い表せられないけど、凄いの中に色んな気持ちが凝縮されている。辿々しくはあるけれど、素直な気持ちを答えれば清田は両手でガッツポーズをとり「っしゃーーー!!」と大きな声で叫んだ。まるで今し方勝敗が決したみたいに。

「頑張った甲斐あったぜ。勝ったのはもちろん嬉しいんだけどさ、今日は名前ちゃんにバスケしてるところ見て欲しかったから」
「話聞いてたから分かってはいたんだけど、信長くんて本当にバスケ上手いんだね。感動しちゃったよ」
「普段バイトの帰りしか会わねーもんな」
 
 本当、そうだなあ。清田の横顔を見ながら名前はぼんやりと考える。私がポーチを落としてなければ出会ってなくて、しかもそのままその縁がこうして続いてる。沢山話すようになって、私は沢山彼にお世話になっているけれど、よく考えれば彼のことなにも知らないのだ。 

「学校も違うしさ、今まで関わってこなかったじゃん、俺ら。だからその分俺のこと知ってほしいっつーか。上手く言えねーけど、俺のこともっと見てほしい」

 それはまるで告白みたいだった。膝の上に置いていた手の上に自分の手を重ねて、真っ直ぐに名前の目を見つめる瞳はとても熱っぽい。
 途端に胸が苦しくなって誤魔化すように視線を明後日の方へとやれば、行交う人たちが目が自分たちに向いているのが分かり余計に恥ずかしくなってきた。まだユニフォーム姿の彼がいるのだからそれだけでかなり目立つのだ。

「あのう……、恥ずかしいな。信長くん」
「え、あ! わりっ!」

 自分がしていたことを言われて意識したのか、今度はバッと手を離されて二人して赤い顔して顔をそらした。私たち、一体なにしてるんだろう。
 ちらりと横を伺い見れば、清田が染めたままの頬をぽりぽりと掻いていた。勢いよく登場して、褒めてと言わんばかりに私に感想を求めて、その答えにまたしても勢いよく喜んで……今度は真剣な眼差しで私の手を握ってくるんだから、本当によく分からない。
 彼はなにを考えているんだろう。何度となく思っていることだけれど、益々疑問が湧く。部活だけでも大変なはずなのに遅番の日は必ず来てくれるし、この前は下校後も送るなんて言ってくれて。凄く親切な人かと思いきや、お礼はデートでいいとか試合に来てくれとか、親切と言うよりもそれは好意の類のような。
 ……好意。そこに思い至った名前はマジマジとその瞳を見つめた。──まさか。まだ出会ったばかりだしそんなこと。否定しつつも、理解不能だった行動のあれやこれやが、そこにカチリと嵌まるのだ。引き始めていた熱がぶわっと全身に広がっていく。まさか、まさか、まさか……。

「……なんか名前ちゃん顔赤くねえ?」
「え! や、信長くんだって赤いよ!」
「は? あ、赤くねーし!」
 
 そんなことを言い合って二人はまたぷいっと顔を背けた。いやいや、本当になにしてんの私たち。だけど完全に意識してしまったいま、彼を直視できる気がしない。
 黙ったまま目を泳がせながら、視界の隅に見える彼の気配を辿る。いま、なにしてるんだろう。なにを考えるんだろう。気になるのならそちら側を見てみれば良いのに、身体は強張って動かない。そうやって目線だけきょろきょろさせながら自分の前を何人か通り過ぎて行くの見届けたあと、唐突に手の上に熱が重なった。

「国体終わったら今度はデートだからな」

 固まった身体でぎこちなく頷けば、重なった手がぎゅっと自分を包んだ。手を繋いだのは二度目だけれど、今日のそれは燃え尽きてしまうかと思うくらい、手も顔も、心臓も、全部が熱かった。

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