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03.この気持ちに名前をつけるなら


 
 最寄りの駅から電車に乗って3駅目。そう遠いところでもないからなにがあるかはある程度知ってはいたが、目立つ大きな施設があるわけでもないし特に利用することもなかった。
 駅前のコンビニを通り越し、企業が入った小さなビルと郵便局がある交差点を曲がり徒歩10分。住宅街のなかにそれはひっそりと立っていた。

「ここ、だよな」

 ハーフパンツのポケットから綺麗に畳んだリーフレットを出して見比べる。SUNFLOWERと書かれたスタンド看板の横には名前通り大きな向日葵がたくさん花壇に植えられていた。今どきというよりも、昔からの常連客がいそうなレトロな佇まいだ。
 案内図に店の名前、可愛らしい字で書いてあるシフトの日時を再度確認して「よし」と大きく頷く。ここで間違いない、彼女のバイト先だ。
 店の大きな窓に映った自分の姿を見て、ちょいちょいと髪の毛を直してみる。店に入るのだからマズイかとお気に入りのイエローのキャップをはずすと、ぺたんこになってしまったへんてこりんな髪型が現れた。いや、こっちのがやべーだろ。
 キャップをかぶりなおして軽く身なりを整える。うん、悪くねえ。誰かみたいに女子にキャーキャー言われてるわけじゃないけど十分イケてんだろ。ふと頭に浮かんでしまったライバル校のとある人物の顔に思わず顔を顰めれば、窓の向こうにひょこっと可愛らしい笑顔が覗いた。


「暑かったでしょ、来てくれてありがとう」

 テーブルに置いてくれたグラスを見つつ、ぼりぼりと頭を掻く。さっきの一部始終を見られてたと思うと少し居心地が悪い。
 土曜日の夕方。ピークタイムでないからか、店内にいるのは彼女と店のママらしき人、そして常連客らしきおばちゃん3人だけ。外観同様レトロな内装の中に如何にもイマドキな彼女が居るのはなにか妙な感じがする。
  
「なにか飲む?」
「あー……、じゃあコーラ」

 これまた年季の入ったメニュー眺めながら答えると、彼女はポンとなにか思い出したように手を叩いた。
 
「あ、言い忘れてたけど私奢るから、他にも好きなもの注文してね」
「は? いやいや、そんなんダメだって。俺ちゃんと払うから」
「だーめ。この前のお礼なんだから信長くんに拒否権はないよ?」

 あーー……、そういうこと?

 そわそわと浮かれていた心にドシンと重い岩でも乗っけられたように気分が沈み込む。期待してた分けじゃねー。いや、実はほんのちょっぴりしてたかもしんねーけど。自分のことを少しでも好ましいと思ってくれてのお誘いだと思わずにいるほうが難しいってものだ。
 まぁいい。別にノーを突きつけられたわけでもないんだからこっから次に繋げれば。持ち前のプラス思考を発揮して、清田はすぐに気持ちを切り替えた。そもそもまだ出会ったばかりなのだから、まだスタートラインにも立ってないのだ。
 
「オーダー入りまーす」

 清田の注文を受けてキッチンに入って行った彼女は今度はトレーにパフェを3つ乗せて出てきた。どうやら先に来ていたらしいおばちゃん3人組の注文のようだ。清田が座った角の席から一つ離れたテーブル席に座っているおばちゃんたちは、パフェを持っていった彼女を捕まえて清田の方を指差した。
  
「名前ちゃん、彼氏できたの。男の子連れて来るの初めてだねぇ」
「やだぁ。違うよー」

 どこで出会ったの。彼は何歳なの。違うと言っているにも関わらず勝手に盛り上がり始めたおばちゃんたちは彼女を質問攻めにしている。女性という生き物は何歳になっても恋バナが好きらしい。
  
「ごめんね、信長くん」
「いや、全然」

 おばちゃんの席から抜け出してきた彼女はほんのり頬を染めていた。彼女は申し訳無さそうに謝るけれど、別になんてことはない。と言うか寧ろ清田としては嬉しかった。いくらでも彼氏と間違えてくれたって構わないのに。

「つーか、名前ちゃんって言うんだな、名前」
「あ、言ってなかったね。名字名前だよ。今更だけどよろしくね」

 エプロンにつけた手書きのネームプレートを見せて、名前はにこりと微笑んだ。やっべぇ、今の完全に撃ち抜かれましたケド俺。ドクンドクンと激しく鳴る心臓に手を当てて、やっぱりこれは恋なのだと清田は改めて思う。
 横を見れば、おばちゃんらが微笑ましそうな目で自分たちを眺めていたから清田はぐっと親指を立てて見せてやる。お望み通り彼氏彼女になってやるから見といてくれよ、という意気込みを表していた。
・   

「なんかごめんね。お客さんだけじゃなくて店長まで信長くんのこと引き止めちゃうんだもん」
「別にいいよ。昔っから年上に好かれんだよな」
 
 日が沈む前に来たのに気付けばすっかり外は闇の色に染まっていた。テーブルを飛び越えておばちゃんや店のママと話しているうちに清田は彼女たちのハートをがっちり掴んでしまったらしい。帰る機を失って、気付けばカフェの閉店時間を迎えてしまった。
  
「よかったらまた来て? 店長も喜ぶと思うし、私も…………っ!」

 なにかを言いかけた名前が突然清田の胸に飛び付いた。ふわっと靡いた髪から甘い匂いが薫る。えぇと、これはなんかのご褒美だったりする? その華奢な背に腕を回すべきか否か。一瞬の葛藤を振り切って名前の肩に手を置くと、彼女が小さく震えている事実に清田は気付いた。
 遅れてチリン、と首輪の鈴を鳴らして黒猫が通り過ぎて行く。店の駐車場を抜けて闇の中に紛れていったその子を見送った清田は、トントンと名前の肩を優しく擦った。
 
「大丈夫。いま通ってったの猫だから」

 そう言うと名前は恐る恐る顔を上げて清田が指差した方を見やる。なにも居ないのが分かると、青褪めていた顔に安堵の表情が浮かんだ。
 それを見て清田も胸を撫で下ろすが、それにしたって怖がりすぎではないか。なにか理由があるのか、清田が問う前に彼女の方が先に口を開いた。
  
「実はこの前、変なお客さんに絡まれちゃって。初めて来た人なんだけど、連絡先教えろってしつこくて、昨日は帰りも待ち伏せされたんだよね」
  
 店長にも警察にも相談したんだけど、今のところできる手立てがないみたい。そう続けた名前は、清田に飛び付いたことを今になって自覚したのか青褪めていた顔をほんのり朱色に染めた。「急に抱きついちゃってごめん」と申し訳無さそうに俯いた名前を見て、どうにかしてやりたいと清田が思うのは自然な流れである。

「これから俺と一緒に帰ればいいんじゃねえ?」

 深く考えずに発した清田だったが、言葉にしてみるとそれが最高のアイデアに思えた。それしかない、絶対それがいい。くりんとした目を丸くしている名前に清田はさらに付言する。

「どのみち降りる駅一緒だろ。男といたら変に近寄って来れないだろうし、絶対それがいいって!」
「え、えと。ありがたいけど、信長くんは部活もあるし無理しなくていいよ?」
「じゃあさ、今日みたいにバイトがラストまでのときだけっていうのは? この時間なら夏休み明けでも来れるぜ」

 学校からの帰りの電車の沿線上。ここならば下校するときにちょっと寄り道するだけでそんなに負担にもならない。名前は傘を差し出したときみたいに眉を下げているけれど、清田は引く気はなかった。
 
「……本当にいいの?」
「おう、信長様に任せとけ! 名前ちゃんはどーんと大船に乗ったつもりでいてくれれば問題なしっ!」

 コクリと頷いて見せたはにかんだ笑顔が、すぐ後ろにある向日葵よりもずっと綺麗だと思った。

  

 

 バタバタとキッチンの裏の部屋に入りロッカーにある自分のバッグを手に取って、備え付けてある鏡を見ながらさっと髪の毛を整える。

「リップくらい塗ろうかな」

 もう家に帰るだけなのだから普段は気にしないのだけど、今日は待ち人がいるせいか変に意識がいく。それこそその人をあまり持たせるわけにはいかないからとポーチから出したリップでさっと色を付けて、入って来たときみたいにバタバタと足音を鳴らして店の外へと走った。

「お待たせ!」

 花壇の前にあるベンチに座っている人物のところに走っていけば、待ち人である清田は名前を見てぷっと吹き出した。正確に言えば、清田が目にしたのは名前と言うより彼女が持つバッグである。名前の動きに合わせてガチャガチャと騒がしい音を立てて揺れているのは、さっきバッグへ放り込んだポーチに付いている例のキーホルダーだ。

「だからそれつけ過ぎだって」
「賑やかな方が可愛いよ?」
「また落としたらどうすんだよ」
「そしたらまた信長くんにキャッチしてもらうよ」

 悪怯れなくそう言えば清田はなぜか頬を赤くしている。少し口を尖らせて「しょーがねえな」と返ってきた言葉はぶっきらぼうだったけれど、彼が気を悪くしたわけでないだろうことが名前にはすぐに分かった。
 清田とはまだ出会ったばかりなのに、なぜだかそんな気がしない。それなりに人見知りだってするタチだけれど、この人にはそんなもの一切感じなかった。ときたま見せる暴風雨ばりの勢いに圧倒されることもあるけれど、それだって嫌な気ひとつしない。突然名前の前に現れた清田信長という男は、なんとも不可思議な存在だったのだ。
 会うのは今日で3回目。それなのにこうして隣に並んで一緒に帰っているだなんて未だに信じ難い。彼は一体何を考えているのだろうか。名前は単純そうに見えてよく読めない清田の横顔を見上げた。
 
「部活って毎日あるの?」 
「基本そうだな。体育館使えないときとテストんとき以外は」
「じゃあ勉強と両立大変だね」
「マジでそれ! テストもそこそこ点取れてねーと何だかんだ言われるからすっげー大変」

 言葉とは裏腹にそれを感じさせない笑顔を見せる横顔に名前は小さく首を傾げた。前に会ったときに着ていた県内でも有名な進学校のジャージに全国大会準優勝いう成績。見た感じはごくごく普通男子高校生に見えるのに、どうやら隣にいる人はけっこう凄い人らしい。
 そんな人がどうして私にこんなに親切にしてくれるんだろう。益々疑問で頭の中にハテナマークが浮かぶ。

「名前ちゃんは部活…………っと、あぶねーっ」

 清田の顔ばかり見て歩いていた名前は小さな段差に躓き、気付けば清田の腕に支えられていた。
 
「うぅ……本当にごめんね」

 さっき思わず飛び付いてしまったときも思ったけれど、見た目の割に胸も腕もしっかり靭やかな筋肉がついている。本当に一生懸命バスケをやっているんだと変なところで感心してしまった。

「けっこう抜けてるよな、名前ちゃんて」
「うそ。そんなことないよ」 
「だってさ、初めて会ったときだってポーチ落とすわ、声かけても気づかねーわ、今日だってバイト中何回か皿落としそうになってたし」
「もうやだ、変なところ見てないでよ。恥ずかしい」

 おっちょこちょいな所があることは自覚していたが、会って間もない人にまで見抜かれてしまうほどだとは思ってなかったのに。気恥ずかしくなって早足で先を歩けば、後ろからポツリと信じ難い言葉が名前を追いかけてきた。
 
「でもまぁ、そーゆーところが可愛いけどな」
「へ……?」

 振り返った名前が目を丸くすれば清田まで大きく目を見開いた。互いに頬をあわあわと染めて唇を震わせて。清田に至っては手足をバタバタさせて「そうじゃねえ」となにか訴えかけてくる。
  
「あぁ……だからほら! 男からするとちょっと抜けてる子って可愛く見えるから、その……変なお客さんにも目ぇ付けられちまったのかもしんねーよな」
「そ……そう、なのかな」

 取って付けたような感じがするけど、そういうことにしておこう。「本当にそうなの?」なんて聞き返せるほどの度胸は名前にはなかった。


 そうして二人で電車に乗って最寄りの駅に降り徒歩15分。無事に家の前まで送り届けてもらった名前は清田の方へぺこっと頭を下げた。
 
「今日はありがとう。本当にすごーく助かったよ」 
「いいってことよ! じゃあ次は月曜日な。部活終わったら行くからちゃんと待っとけよ」  
「うん。でも、本当にお願いしていいの?」
「大丈夫だってば。この清田信長様に任せとけって言ったろ」
 
 親指を立てて自信満々に答えてくれた笑顔に再びお礼を言った名前は、清田の背中が見えなくなるまで見送った。
 なんだか胸のあたりがきゅうっと疼くのはなんでだろう。いつもより少し早いリズムを刻む心臓が気になってすぐには寝付けそうにない。
 
 私はこの気持ちの名前をまだ、知らなかった。

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