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01.ある夏の日に


 またここに戻って来るときは、もっと晴れやかな気持ちでいる気がしていた。
 全国大会準優勝、結果だけ見てみればなんとも立派な成績である。強豪校の中にまだ一年でありながらスタメン入りして、勇猛果敢に戦い抜いてきた。きっとこの話をすれば大半の人が、十分凄いとか、良くやったとか、称賛の言葉を述べてくれるに違いない。だけど実際に戦ってきた自分からしてみれば、出場したからにはやっぱり優勝の二文字を攫んで帰ってきたかった。勿論、力の限りやれることはやってきたのだからこれ以上悔いることがないことは分かっているのだ。それでもどうにもこのモヤモヤを消化できないのは、自分が未熟だからなのかもしれない。
 
 閉会式を終え、広島から戻って来た清田は電車を乗り継ぎ最寄り駅のプラットフォームに降り立った。夕方とはいえまだ帰宅ラッシュ前の時間とあって、電車を乗り降りする人もそう多くはない。疎らに流れていく人の波に乗って改札へ向かう階段を上る。
 家に帰ればきっとそれなりに手の込んだ料理が用意されているだろう。それはほかでもなく広島で頑張ってきた清田のためだ。いつもならば喜び勇んで飛び帰って、家族の誰が聞かなくたって大げさな武勇伝を声を大にして語るのに、今はちっともそんな気になれない。大好物の唐揚げやグラタンやハンバーグが出てきたとしても、なんの嫌味だと不貞腐れてしまいそうだ。マジでどんだけ面倒くせーんだよ、俺。
 重い足取りはいつしか清田を階段を上る列の最後尾にまで遅らせていた。ぼんやり上を見ながらのろのろと人の流れについていく。前を歩く人の靴、階段のヘリ、それらを特に意識することなく歩いていた清田の視線がある一点のものに吸い寄せられた。斜め前にいる人の鞄から出ているキーホルダーのようなものだ。クマのマスコットやトロール人形、花の形をしたものやカラフルなビーズで作られたもの。それぞれ一つ一つは特に珍しいものではないが、どう考えても数がおかしい。ガチャガチャと煩い音を鳴らしながら揺れるそれらがついているのは、どうやら鞄ではなく小さなポーチのようだ。
 勿論、清田は人様の鞄の中を覗いたりはしない。ならばどうしてポーチであるか分かったのかと言うと、それが殆ど鞄から出かかっているからである。ジッパータブに大量についているキーホルダーの重みで外へ引っ張られているのだ。

「……っぶねー!」

 咄嗟に動いた身体がいとも簡単にそれをキャッチ出来たのはやはりいつもの弛まぬ努力のお陰と言う他ない。とは言え、清田も他人のポーチをキャッチするために日々鍛錬をしてきたわけではないが。

「あ! ちょっと待って!! これ、落としもん!!」 

 受け止めたはいいが当の持ち主は気付かずに歩いていってしまう。これだけのキーホルダーがついているのだから地面に落ちていればそれなりに大きな音がしただろうが、清田がそれを防いだ。つまりキャッチしたのがある意味裏目に出てしまったのだ。
 
「待ってってば!」
 
 階段を上り切れば他のプラットフォームからの人の波が合流する。一気に人に紛れて見えなくなってしまった背中を追いかけて、波をかき分けるように改札を抜けて行った。それこそバスケ部の本領を発揮して、スペースを見つけるように走っていけば見る間に距離が縮まっていく。
 駅の出入り口が見えてきたころ、伸ばした手が目当ての人の肩へ辿り着いた。
 
「あ……、えっと。これ、落としてた」

 勢いよく肩を掴んだくせに、一瞬言葉を忘れてしまった。女性であることは分かっていたが、振り向いて見えたのは思っていたよりもあどけない顔だ。清田と同じくらいか少し上。茶髪の長い髪の毛をくるんと内側に巻いて、幼い顔立ちに薄いメイクがよく似合っている。平たく言ってしまえば、清田の好みど真ん中だったのだ。
 
「うっそぉー! 超助かったぁ!」

 清田の手にあるポーチを見て、彼女はふにゃりと笑った。人懐っこさそうな言葉と表情は更に彼女を幼く見せる。やっぱり自分と一緒くらいかもしれない。受け取れて良かった、追いかけて良かった。素直に喜んでもらえたのが嬉しくあり、自然と清田の表情も綻んでいた。
 
「ファンデ割れちゃったかなぁ」
「たぶん大丈夫。俺がスーパーキャッチしたし」
 
 化粧ポーチであるらしいそれを心配そうに見つめる彼女へ清田が答えれば、くりっとした目が丸くなる。
 
「それ凄くない? 落ちてきたのキャッチしたってこと?」
「まぁ、バスケやってるし。動体視力いいからな」
「やば、スーパーマンじゃん」

 そう言われて悪い気がするわけがない。少し丸まっていた背筋がピンと伸びる。口元がゆるゆると持ち上がっていく。ついさっきまで薄暗かった気持ちが吹き飛んで、気付けばいつもみたいな高笑いをしていた。男というのは単純なものだ。

「そんなにいっぱい付けてるから落ちるんじゃねーの」
「やっぱり? でも可愛さには勝てないんだよね」
「いや、落ちるほうが困るだろ」
「あはは、そしたらまた君がキャッチしてくれればいいんじゃない?」

 けらけらと笑いながら言った冗談も不思議と嫌な気はしなかった。初めて会ったはずなのに昔から一緒にいる友達のように違和感がないのだ。清田がなにか言えばすぐにレスポンスが返ってきてそこから話が膨らんでいく。落としたポーチを届けただけなのにいつの間にやら話はあっちゃこっちに飛んでいき、気付けばインターハイで広島から帰ってきたことまで話していた。自分でも呆れてしまうけど、彼女に「全国2位ってヤバくない?」なんて言われてつい嬉しくなってしまったのだ。
 
 改札の上にある時刻表を見れば、電車を降りた時間からだいぶ進んだ発車時間を案内していた。清田たちがけっこうな時間話し込んでいたのが分かる。
 
「わり、俺と話してたせいで帰るの遅くなっちまったな」
「んーん、全然。今日傘持ってないしさ、ちょっと」
途方に暮れてたんだよね。こういうときバスもタクシーも待つでしょ」 
「え、あれ? 今雨降ってんの?」

 言われて外へ目をやれば、大粒ではないが静かな雨粒が地面を濡らしていた。傘を畳んで駅に入ってくる人や、傘を持たず鞄を頭の上にのせて外に飛び出していく人なんかが次々に自分たちの横を通り抜けていく。
 それに気付かないくらい話に集中してたんだな、すげー盛り上がってたし。清田はそう思ったが、彼女に言わせれば電車に乗っているときから雨は降っていたらしい。うっかり口にしなくて本当に良かった。

 さて、それはそれとしてこれからどうするかと清田も途方に暮れる。彼女が言うように雨の日のバスの列に並ぶのは億劫だしタクシーで帰るほどの金もない。駅のコンビニは当然の如く傘は売り切れているし、親に迎えでも頼むべきか。
 帰宅すれば約10日ぶりに会うことになる母親の顔が浮かぶと、清田は慌ててスポーツバッグの中を探り始めた。遠征用の大きなバッグではあるが、当然ながら中身はぎっしり荷物が入っている。整理もせずテキトーに詰め込んだ荷物をかき分けて、見えてきたバッグの底に目当てのものが入っていた。傘を持っていけば学校に忘れてくるし、持っていなければびしょ濡れで帰って来る息子の為に、母親が入れておいてくれた折りたたみ傘だ。
 それを掴んだ清田は、さも自分の手柄のように意気揚々と彼女へ差し出した。

「これ使えよ。俺走って帰るから」
「なに言ってるの、君が使いなよ」
「俺んちすぐそこだから。女の子が濡れたら大変だろ」
「男の子だって濡れたら大変だよ?」

 その申し出は確かにありがたいのだろうが、それと引き換えに清田が濡れると分かっていて受け取れるわけがない。よく考えてみれば分かることなのだが、そのときの清田も必死だった。
 実際、家は走って帰れば15分とかからない距離だし、バスやタクシーは随分待つ羽目になるのだ。ならばこの選択が一番いい。初めて会った子と言えど、女の子が困るのを放って置くなんて考えられなかった。

「大丈夫だって、全然問題なし! じゃあな!」

 強引に傘を押し付けて、清田は雨の中に飛び出した。「スーパーマン」だと彼女が言ってくれたけど、本当にヒーローにでもなったような気分だった。

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