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05.ファーストキス


 私をまっすぐに見る瞳と私に向けてくれる笑顔が、他の人を見るそれと違うことはずっと気付いていた。だけど彼が前に言ってくれたみたいに、それは私が"家族みたい"な存在……幼馴染であるからだと思っていたのだ。
 けれど、もしかしたら違うのではないか。それ以上の意味を持つのではないか。そんな風に思い始めたのは、あれから一ヶ月、6月に入った頃だった。


「──遊園地?」
「うん。今度の日曜、一緒に行こうぜ。部活午前だけだから」

 虐めは彰くんのお陰でピタリと止まった。だから私も隠れたりせず彼と普通に接するようになった。それは元通りの関係と言うよりも、もっとずっと前に近い。小学生のときほどべったり仲良しとまではいかないけど、以前みたいに肩肘張らずに彰くんと話せるようになった気がしている。
 誘われれば一緒に登下校するし、いつかみたいに偶にベランダに出てお喋りもするようになった。例によってお風呂上がりにベランダで涼んでいたら今日もアイスを持ってきた彰くんが出てきたのだ。これはそんな折に言われた誘い文句だった。

「誰と行くの」
「だからあだなと」
「じゃなくて。他には誰が来るの?」
「こねーよ。あだなと俺の二人」

 にこにこと笑顔を絶やさず言ってのけた言葉に私は眉を寄せた。それではまるっきりデートである。

「他に行く人いないの?」
「俺はあだなと行きてーんだけど、ダメ?」
「タメではないんだけど」

 もちろん嫌な訳ではない。ただ二人っきりで行こうという言葉に戸惑っているだけなのだ。彼はなぜ私に構うんだろう。長年一緒にいるし彼といることは苦痛でなく寧ろ心地良い。それはつい最近自分でも再確認したばかりだ。けど、わざわざ幼馴染と二人っきりで遊園地なんて行きたいと思うものなのかな。
 彰くんが持ってきてくれたアイスを齧ると甘くて爽やかな味が喉を通っていく。今日のは大好きなスイカの片割れであるメロンのアイスだった。これはこれで美味しいけれど、私はやっぱりスイカの方が好きだ。曖昧な答えしか返せないままそれを食べ進めアイス棒が見え始めてきた頃、チラッと彼の顔を伺い見た。
 彰くんは相変わらず笑みを湛えたまま、アイスを食べる私を見つめていた。私を捉える瞳がどうにも熱を待っているように見えて途端に胸が苦しくなってくる。
  
「な、いいだろ」  

 結局、いつも通り私は彼の頼みを断れず、コクンと小さく頷きを返すのだった。

 



 そわそわと待ち合わせのゲート前で佇んでいれば、珍しく彼は時間通りの時間に現れた。
 
「あだな、凄え可愛い」
「……それはどうも」
 
 開口一番言われた言葉が恥ずかしくて思わず髪の毛に手を伸ばす。そういえば私服を見られるのは久しぶりだし、私自身も彼のを見るのは久しぶりだ。Tシャツとジーンズというごく普通の格好なのに、なぜだか妙に格好良く見える。
 一方、彼が褒めてくれた自分の姿を見下ろしてみれば、彰くんのTシャツと同じカラーである白いフリルのついたカットソーに動きやすいジーンズと、まるで合わせてきたみたいな服で余計に恥ずかしさを煽った。まさに今からデートをするのだとみんなに向けて発信しているみたいだ。
 
「隣同士なんだから一緒に来れば良かったのに」

 くるくると毛先を玩びながら、照れているのを隠すようにそんなことを言ってみる。出る場所は一緒なのに敢えて現地集合にした彼の意図が読めなかったから。
 
「いいだろ、待ち合わせ。なんかデートっぽくてさ」

 これはデートなんかじゃない。必死に自分の心に言い聞かせているのに、ハッキリとそれを言葉にされたら堪らない。燃え上がるように熱を持ってしまった顔はきっと真っ赤になっているに違いない。どうにか熱を冷まそうとぱたぱたとハンカチで扇ぐ私に、彼は「はい」と手を差し出してきた。
 
「……なに」
「手、繋ごうぜ」
「嫌よ。彼氏彼女じゃないのに」
「昔はよく繋いでただろ」
「すぐそうやって昔のこと言い出すんだから」

 どうしようかと伸ばしかけた手を、彰くんはパッと掴んで歩いて行ってしまった。彼に連れられて遊園地の中に入ると、魔法がかかったみたいに一気に気分が高揚してくる。賑やかな雰囲気と楽しそうなアトラクション。このドキドキとワクワクはこの場特有のものに違いない。彰くんと手を繋いでいることなんかすっぽり頭から抜けて、ぐるっと辺りの景色を見渡した。こういう所に来るのは何年ぶりだろう。

「なに乗る? あだな怖いのダメだよな」
「観覧車とジェットコースターとお化け屋敷以外」
「はははっ。それじゃあなんも乗れねーじゃん」
「悪かったわね」

 遊園地に来るのが久しぶりなのは絶叫系と高い所が苦手だという理由が大きいけれど、来てみればそれが勿体ないと思えるほど心が弾む。別に絶叫系じゃなくともアトラクションは色々あるのだ。
  
「じゃああれにしようぜ」

 彰くんが指した、入ってすぐのところにあるメリーゴーランドは並ぶ人も少なくすぐに順番が回ってきた。小さい子が競って好きな木馬を選ぶ中、私も童心に帰ってピンク色の鞍をつけた可愛らしい木馬を選んだ。

「彰くん、乗らないの」
「俺が乗ったら壊れちまいそうだろ」

 木馬に跨がろうとしている私をただニコニコして見ているだけの彰くんにそう言うと、なんだか変な答えが返ってきた。確かに彰くんは背も高いし中学生にしては大きいけれど、大人だって乗っているのに。
 
「じゃあ馬車のほうにしようよ」
「でも俺、あれやりたいんだよね」

 けれどやっぱり他に意図があったらしい。私が誰も乗っていない馬車を指差せば、彼は全く違う所を指さした。そこには木馬に乗る小さな女の子と、その横に立つお父さんらしき男性がいる。小さな子が落ちないように傍で見守っているのだ。
 その光景を見てゲンナリしたのは言うまでもなく。彰くんにジト目を返してやれば、何故だか彼は嬉しそうに笑った。
 
「彰くん、私のこと何だと思ってるの」 
「可愛い幼馴染?」
「ふざけないで」 
「だって観覧車もジェットコースターもお化け屋敷もダメなんて子供みたいだろ。俺が見守ってやんねーと」

 そのふざけた回答に口を尖らせた私は、黙って彼の手を引っ張り馬車の方へ乗り込んだ。彼の言う通り、優しい眼差しに見守られながら一人木馬に乗るなんて絶対に嫌だ。
 けれどその後も私が乗れるものと言えば、汽車やボート、ゴーカートとか主に子供向けのライドアトラクションばかりだった。彰くんが言ったことも強ち間違いではないのかもしれないなんて思いつつも、私たちは遊園地を楽しんだ。
 空の色がオレンジに変わりそろそろ帰ろうかという雰囲気になりかけた頃、彰くんは「最後に」と一つのアトラクションを指差した。


「絶対だめ!」

 大きく聳え立つそれを見て私はぶるぶると勢いよく首を横に振った。

「怖いからだめって言ったでしょう」
「分かってんだけどさ、俺も好きなやつ乗りてーじゃん」
「じゃあ彰くん一人で……」
「流石に一人で観覧車はねーよ」

 確かに。彰くんから誘ってもらったのに私に合わせて子供向けのものばかりに乗らせてしまって申し訳けなかったと思う。……けど。高さ何十メートルとあろうその物体を見上げて固唾を呑む。
 
「最後にこれだけ。な?」

 そのお願いを断固拒否できるほど私は無情ではないけれど……。


「あだな目ぇ開けて」
 
 彰くんに手を引かれ、勢いよくそれに乗り込んだものの。ベンチに座ってすぐに私は固く目を閉じた。目を閉じれば揺れをよりリアルに感じるけれど、高さをより恐ろしく感じる光景を目の当たりにするよりずっとましだ。
 
「絶っっ対に嫌よ。下に行くまで開けないから」
「でも凄え綺麗だぜ、景色」
「なに言ってもダメよ」

 あれ、東京タワーかな。なんて呑気な声に耳を塞ぎたくなる。確かに、写真なんかで見る高い所からの景色は素晴しく綺麗だ。けれど実際にその場所で見るそれを想像したくはない。目を瞑っていたって足元がゾワゾワして今にも落ちるんじゃないかという感覚に襲われるのに。
 ただただ、無事に地上に戻って来ることだけを考えてギュッと膝の上の拳を握った。
 
「……ひゃっ、な、なに!」

 突然大きくゴンドラが揺れたことに驚き目を開ければ、向かい側に座っていた彰くんが私の方へ来ようと立ちがっていた。

「やっと目ぇ開けた」
「や、やめて! こっちに来ないで、揺れてるじゃない!」
「暫くすれば落ち着くよ」
「落ち着かないわよ……ほら、傾いてる!」

 ぐらぐらとゴンドラを揺らしながらこちら側へきた彰くんは私の隣に体を滑り込ませて座った。そうすれば一気に窓が近くなる。見たくもない外の景色を視界に入れたくなくて私は再び目をぎゅうっと瞑った。
 
「お願い、向こうに戻って」
「でもあだなの隣にいてーし、怖いなら俺を見てればいいよ。そうしたら解決じゃねえ?」
「ねぇ、本当にふざけないで……!」

 彰くんには高い所が怖い人の気持ちが分からないのだ。こんなに心臓が煽って冷や汗が背筋を通って足ががくがくするのに。震える指で彼のTシャツの袖を掴んで急かすように言えば、柔らかな声色で彼は言った。
 
「別にふざけてるわけじゃねーよ」

 その言葉と同時に肩を抱き寄せたられた私はピタリと彰くんに密着した。
 なにが起きているのか分からなくて硬直する私の耳に、私とは違うリズムの鼓動が響く。ドクドクと少し速いその音と、私よりずっと高い体温に私自身も熱くなってくる。

「予選観に来てくれる? 全中でもいいけど」
「なんでいまそんな話……」
「あだなが来てくれたら俺頑張れそうだな」
「私が行かなくても彰くんなら応援いっぱい来るでしょう」
「俺はあだながいいんだけど」
  
 彼の腕の中から抜け出せないのは、下手に動いてゴンドラが揺れるのが怖いから。……というわけではなかった。そんなことは頭から抜けていた。
 いま起きていることが信じ難いのだ。上から降ってくるいつもと変わらぬトーンの彼の言葉と、いまの状況が全く合致しない。いつもの彰くんだ。本気なのかよく分からないこと言ってへらっと笑ってる彼。だけどその腕はしっかりと私の肩にまわり、逃さぬようにと強く私を引き寄せている。前に虐めから助けてくれたときよりもずっと強く。

「目ぇ開けて」

 顎に何かが触れてびくりと肩が震えた。恐らく彼の指だろうそれは私の返事を急かすようにチョンと唇をつつく。

「あだな、目ぇ開けて。俺のこと見て」

 ふるふると小さく首を振っても変わることのない彼の言葉に薄く目を開けると、驚くほど間近に彰くんの顔があった。

 鼻と鼻がくっつくほどの距離。息遣いまでリアルに聞こえてくる。いまのいままで、それに気付かなかったのが不思議なくらい。目が合うとふ、と微笑んだ彰くんの影が更に色濃くなった。

「好きだよ、あだなが」

 ゴンドラの中に小さく響いたその言葉と、唇に触れた柔らかな感触は本当に現実だったのだろうか。

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