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04.≤家族


 玄関のドアを開けるとすぐ脇に座り込んでいた大きな体に目を見開いた。くぁっと大きな欠伸をして、振り向いた彼は実に爽やかな笑顔で「おはよう」と言った。

「え……。ど、どうしたの」
「なんか避けられてたみたいだから待ち伏せ」

 靴を隠されておんぶなんかしてもらった昨日の今日。それに対する気恥ずかしはあるけれど、なにより避けていたことに対して特に突っ込まれなくてホッとしていたのに。まさか一日置いて言われるだなんて思ってもいなかった。
 
「避けてるわけではないよ」
「茶道部って朝練あったっけ」
「……ないけど」
「じゃあ俺より早く出る必要ねーよな」
 
 図星をつかれた私はもう黙るしかなかった。しょっちゅう私に起こしてもらって朝練に行っていたくせに、なんで今日に限って早起きなんてしてくるのか。もう一つ大きな欠伸をした彰くんはゆっくり立ち上がると、私の方へ手を差し出した。
 
「行こうぜ」

 そう言うや否や、彰くんは勝手に私の手を取って歩き出す。

「待って! 彰くんといるところ誰かに見られたら……!」
「見られたら?」

 振り返ってきた笑顔に私はまたしても押し黙る。それが簡単に言えることならば昨日疾うに話しているのに。彰くんのせいで虐められているかもしれない、なんて本人を前にして言えるわけがない。
   
「また靴隠されちまう、か」

 けれど当の本人はすっかりそれをお見通しのようである。ならば察して近づかないで欲しい、と思うのは私の独りよがりなのだろうか。うんともすんとも言わない私にそれ以上突っ込むことはなく、彰くんはまた歩みを進める。 

「ねえ、待って。……話聞いてた?」
「聞いてるよ」
「彰くんと一緒にいるところ見られたくないの」
「それは分かったよ」

 分かったのなら今すぐ手を離して。開きかけた口が言葉を発する前に、振り向いた彰くんの言葉が落ちてくる。
 
「離れてみてなんか変わった?」
 
 核心をつかれた心臓はドクドクと嫌な音を立て始めた。彼を避けに避けて、昨日久しぶりに顔を合わせるまでの二週間。確かになんの変化もなかった。虐めは無くなってない。
 笑顔の消えた彼を見上げてふるふると首を横に振ると、小さく笑んだ彰くんは繋ぎ直すように手を固く結んで見せた。

「なら敢えて離れてる必要ねーよ」
「そ……」

 そうかもしれないけど、だからって敢えて一緒にいる必要もないじゃない。
 言ったところでなにも聞き受けてはくれなそうな背中を見つめ、固く繋がれた手に従って私は学校へ向かった。
  

 
「名前、アンタなに堂々と仙道くんと登校してるの! すっごい噂になってるよ?」
「あー……えーとその。これには深い理由が」

 登校するなり脇目もふらず私の席に飛んできた莉子の言葉に頭を抱えた。私たちが学校へ来たのは朝練前のまだ早い時間である。勿論、早めに部活に行く人だっているだろうし私たちのことを見られていてもおかしくはない。けれど見られていたとしてもほんの数人のはずだ。それなのに何故、まるで一大ニュースかのように学校中に広がっているのか。
 暫く接触してなかった私たちが一緒にいるのが目についたのか。それともやっぱり手を繋いでたのが良くなかったのか。まだ授業が始まる前だと言うのに何度となく指を差されてヒソヒソ話されて、下校を待てないほどぐったりだった。

「仙道くんとは距離取るって言ってたのに」
「そうなんだけど彰くんがね、」

 莉子にはなにを言っても言い訳に聞こえるだろうけど、今朝のことはどうしようもなかった。たぶん私がなにを言ってもなにをしても、彼は決して手を離してくれなかったと思う。彼にしては珍しく強引な行動だった。
 彰くんの言う通り現状虐めは無くなってないけれど、これでは悪化するだけのように思える。

 そう思った矢先、莉子を押し退けるように歩いて来たクラスメイトの女子二人が私の机をバンと叩いた。

「名字名前、顔貸して」



 強引に連れてこられたのは人目につかない体育館の裏。不機嫌そうに結ばれた口と眉根の皺。これから言われることはだいたい想像がついた。

「アンタ、目障りなのよ」

 ドンと胸を押された私は地面に尻もちをついた。じり、と私に詰め寄った二人は心底不服そうに私を見下ろしてくる。

「幼馴染だかなんだか知らないけど調子に乗って彼にベタベタするのやめてよ」
「仙道くんはアンタが幼馴染だから構ってくれてるだけで、アンタは彼女でもなんでもないでしょう」 
「靴隠したり教科書破ったの、あなたたち?」

 反発したい気持ちを抑えて目一杯冷静に言えば、嘲笑うように口元を歪めた二人が私の髪の毛を掴んだ。
 
「ちょっと顔が良くて頭が良いからってアンタみたいなのが仙道くんの彼女になれるわけがないでしょう」
「身の程がわかってないみたいだから私たちが教えてあげたの。仙道くんに二度と近づかないで」

 掴み上げられた髪の毛を思い切り引っ張られて、一人が私の頬目掛けて平手を高く挙げた。叩かれる、と思いギュッと目を瞑った瞬間、私の体はなにかに引き寄せられるように傾いた。

「それは困るなぁ」 
「せ……仙道くん!」

 目を開ければ、私の肩を抱き寄せた彰くんが反対側の手で平手を受け止めてくれていた。私の位置からは彼の表情を伺い知ることはできないけれど、言い回しこそ柔らかいその声に怒気が含まれているのが分かった。

「この子はさ、俺にとっては家族みたいに大事な人なんだ。二度と話せなくなると俺が困るからもう勘弁してくれねーかな」

 打って変わって真っ青になった彼女たちはそれぞれ小さな謝罪の言葉を述べると、蜘蛛の子を散らすようにあっという間にどこかに行ってしまった。
 彼の言ってくれた言葉がまだ、耳の中に残っている。彼女たちがいなくなった方をぼうっと見ていた私を彰くんが覗き込んだ。ようやく見れた彼の顔は、さっきの怒気を感じさせない穏やかな笑みを見せてくれた。

  


 今すぐにベッドにダイブしたい気分だったけれど、そういうわけにもいかず荷物を置いてベッドに腰を掛けた。後から続いて来た人は、初めてでもないのに物珍しそうに私の部屋を眺めている。
  
「あだなの部屋、久しぶりだな」

 確かに。最近は彰くんはめっきり来なくなった。……と言うより、私が彼を誘わなくなったのだ。久しぶりに我が家に招き入れた理由は勿論他でもない彰くんにある。
 今回の一連の出来事をおじさんおばさんに謝りたいから。そう強く言われて断りきれずに下校後そのまま家に来たのだ。恐らく実の娘である私のことよりも彰くんのことを可愛がっているうちの父母が彼の話を聞いて怒ることなど一切なかった。母に至っては災難だったわね、と私ではなく彰くんを心配する始末である。
 とまあ、そんなこんなでたまにはいいかと私の部屋にも寄ってもらった。なんだか酷く長い一日のように感じたけれど、たぶん今回のことはこれでキリが着いたと思う。

「コレは流石に変わってねーや。昔からある白いピアノ。去年お兄さんの結婚式で弾いたやつ散々練習に付き合ったよな」

 暫く部屋を眺めていた彰くんは、昔からここの窓際に置いてある白いアップライトピアノを指して言った。

「彰くんが弾いてって言うからよ」
「そうだっけ」

 一度や二度は聴いて欲しいと言ったことはあるけれど、あとの殆どはアレが聴きたいと彼に頼まれたものばかりなはずだ。都合よく解釈しているのか、適当に行っているのか。それこそいつもの彰くんなのに、なんだか急におかしく思えてクスリと笑みが零れた。
 前は毎日のように家も行き来して遊んで、もっと小さいときはお泊り会みたいなこともしてたし、一緒にいることが当たり前だったのに。いつから来なくなったんだろう。いつからその当たり前が消えたんだろう。懐かしがって思い返すまでもなく、自分が少しずつ彼から距離を取っていったのに。今は自分勝手にもそれを寂しく感じたりする。
 
「久しぶりに弾いてよ。結婚式のやつ」
「何時だと思ってるのよ。マンションなんだし遅い時間はダメよ」
「遅いって言ってもまだ九時にもなってねーんだし。一曲だけ」

 手を合わせてお願いされた私は渋々ピアノの蓋を開ける。なんだかんだ言って私は彼の頼みは毎度のこと断れないし、恐らく彼自身もそのことをよく分かっているのだ。
 私がピアノの前に座れば、彰くんはベッドの横にクッションを置いてそこに胡座を組んで座る。ここで私のピアノを聞くときは毎回そこが定位置だ。
 思えば鍵盤を触るのも数カ月ぶりだったけれど、ぎこちなく指を動かしてみれば自然と鍵盤の上を滑り出す。数え切れないほど弾いたことを指もちゃんと覚えているみたいだ。
 
「ごめん。俺のせいであだなに嫌な想いさせて」

 曲が始まるのを待っていたかのように、彰くんは両親の前でも言った言葉をポツリと零した。
 
「彰くんのせいじゃないよ」

 少なからず落ち込んでいるように聞こえる声に、返した自分の言葉に薄ら寒さを覚えた。彰くんの幼馴染だから。彰くんの近くにいるから。全部彼のせいにして避けていたのは自分なのに。こんな建前みたいな言葉しか吐けない自分が薄っぺらな人間に思えたのだ。
  
「お礼が遅れちゃった。……ありがとう。本当に助かったよ」
「それを言うなら莉子ちゃんにも礼言わないと」
「……うん、そうね」

 彰くんがタイミングよく助けに来られたのは、莉子が慌てて彰くんのクラス駆け込んでくれたお陰らしい。勿論、彼女もお礼は伝えなくてはいけないけど、なにより彰くんが駆け付けてくれたことが私には嬉しかった。
 
「嬉しかったよ」
「ん?」
「家族みたいって言ってくれて」

 未だ耳に残る言葉は、大切にクローゼットにしまっておきたいくらい、私の心の中にも色濃く刻まれた。いつもなら恥ずかしくて口には出来ないけど、今はピアノを弾いていて彰くんの顔は見えないからか、彼に対して久しぶりに心からの気持ちが言えた気がする。
 
「あだなは家族よりももっと大事だよ」

 それなのに返ってきた誂いまじりに聞こえる言葉に私はガクッと肩を落とした。

「そういうこと言うから彰くんの言うことはみんな軽く聞こえるのよ」
「ひでーな。本当に思ってることしか言ってねーのに」
 
 半年以上ぶりに私の部屋に彰くんの笑い声が響いた。誂い半分のでもなんでも別にいいや。やっぱりこの人が近くにいることは心地良い。そんな当たり前のことに、今更私は気付いた気がした。
 

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