momentum+






21.未来と約束


 澄んだ空気の中にパン! と小気味いい音が風を切る。しゃきっと背筋を伸ばしてもう一度手を叩く。来る前から心に決めていたお願い事を心の中で唱えれば、神様に「また来たのか」と言われた気がした。
 深々とお辞儀をして目を開けると、すっかり見慣れてしまった拝殿が私を見下ろしていた。ここはいつの頃からかお願い事がある度に訪れるようになった神社だ。

「今年はもう最後にします。だからどうかお願いします」

 きっと何度参りに来ようと神様は怒ったりなんかしないけど、頻繁に訪れていると少し後ろめたさが残るものだ。毎年寿くんと来る初詣だけでは終わらず、ちょこちょこお願いしに来る私に呆れてやしないだろうか。

「……流石に受験のときほどは来てないからね」

 ぽろっと零した言い訳が昔を呼び起こす。

 そうそう、あの頃は本当に毎日のようにここにお願いに来ていた。そんな時間があるのなら勉強したらいいのに、なにかに縋りたかった。

「寿くんのことも困らせちゃってたもんな……」


・・・

「……会いたい」

 テーブルに突っ伏してそう嘆けば、盛大な溜め息が落ちてきた。顔をあげれば呆れた顔が私を覗き込んでいる。

「会った端になに言ってんだ。ここに居んじゃねーか」
「だって! すぐに帰っちゃうんでしょう!」
「そりゃお前、勉強があんだろーが」
「分かってるよ!」

 もう一度突っ伏した私はわんわんと喚く。

「情緒不安定かよ」

すぐ上から落ちてきた冷静かつ落ち着いた声がせめてもの救いだった。八つ当たりをしているのは自分とは分かっていたけど止められない。

「いつになったら会えるようになるの」
「だから会ってんだろ、今」
「そうじゃなくて!」
「受験が終わって大学生になったら少し落ち着くだろ」
 
 この時期のどうにもならない不安とストレスは、きっと受験生なら誰もが抱えている。だけどみんなそれでも堪えて前を向いてる。なのに私はどうして彼氏に当たり散らしているんだろう。
 だけどもう限界だ。引退したら待っていた現実に押しつぶされてしまいそうだった。会えないのは今だけだ。これを乗り越えればきっと元通りになる。けれど自分を落ち着かせるために想像する未来が更に私を不安に陥れるのだ。

「一発合格できる可能性のほうが低いのに、なんで私医学部なんて受けることにしたんだろ」
「マネージャーの経験活かしてそっち系の仕事したくなったって自分で言ってたろ」
「無事受かったとして、絶対勉強尽くしに決まってる。会える時間なんて今より少ないかもしれない」
「……そりゃ、しょーがねえよな。夢のためなら何とやらだ」

 進路を決めるのが遅かった私は圧倒的に勉強量が足りてない。もし運良くストレートで受かったとしても医学部は6年制だ。卒業して就職するのなんてえらく先の未来に思える。今でさえ寂しいとグズグズ言ってる私がそんなに長いこと耐えられるのか。
 それもこれも全部納得して出した結論だったし、先のことを言ったって仕方がない。……仕方がない。分かっているのに。
 膿みたいに溜まっていた不安を全部口に出してしまうと今度は涙が溜まってきた。あまりに自分が情けなさすぎる。気付けばトントンと子供をあやすみたいに寿くんが背中を撫でてくれていた。

「俺はお前のためなら頑張れるぞ。俺にとってはお前が支えだし、逆にお前のためになんかしてやりてーと思ってる。会えないのはそりゃつれーけど、永遠にその時間が続くわけじゃねーだろ」

 一人で勝手なことばかり言ってるのに寿くんは怒りもしないで冷静に諭してくれる。

「俺はお前にとってなんなんだよ。なんの支えにもならねー存在か?」
「そんなことないよ。寿くんがいるから私は……」   
 
言いかけた自分の言葉にハッとした。私は寿くんがいるから頑張れる。寿くんがパワーの源なんだ。なのになんで見失ってたんだろう。

「だったらもうちょい頑張ろうぜ。どうしてもダメになっちまいそうなときは絶対に会いに来るから。俺がどうにもならねーときはお前が助けてくれんだろ?」

 そんなの、当たり前でしょう。

 口に出さずともその気持ちが伝わったことを、寿くんの優しい笑顔が教えてくれた。

・・・


 蘇った懐かしい記憶に出たのは苦笑いだった。

 私は果たして彼の支えになってこれたのだろうか。あの頃に比べれば大人になった気がしていたけど、やっていることはそれほど成長していない気がする。
 拝殿の方へ振り返った私はもう一度だけ神様に深く礼をする。 どうか。どうかお願いします。
 自分のことは自分でどうにか乗り越えるけど、こればっかりは私は神様にお願いするしかありません。

 長い長い一礼のあと、私はようやく頭を上げて試合会場へ向かった。




 ──20XX年5月某日


「──それでは、この見事な逆転劇の一番の功労者とも言える三井選手に一言頂きたいと思います」
「えー……、一番の功労者と言われましたが、僕が第4クォーターであの動きが出来たのは共に戦ったチームメイトのお陰であり、陰ながら僕たちを支えてくれたサポートメンバー、そして最後まで諦めずに大きな声援をくれたブースターの力があったからです。この勝利はみなさんの力なくしては掴めませんでした。応援してくださって本当にありがとうございました」

 今年のチャンピオンシップは寿くんが所属するチームが優勝をもぎ取った。
 ここ数年は惜しくもチャンピオンシップ出場を逃していたチームが久しぶりの優勝を果たしたとあってブースターの興奮は凄まじいものだった。劇的な逆転勝利に貢献した寿くんはたくさんのメディアから取材を受けた。



「ねぇ、本当に私居て大丈夫なの」

 目一杯背伸びをして耳打ちすれば、きょとんとした表情が私を見下ろした。さっきまで凄まじい戦いを繰り広げていた人とは思えない涼し気な顔は、以前は体力がないだなんて弄られていた人とは別人のようだ。

「問題ねーよ。ほら、他の選手の嫁さんとかだって居るだろ」

人がコソッと話したにも関わらず、返ってきたのはいつもの配慮のないでっかい声である。
 思わず寿くんの背中に隠れて周りを見てみれば、確かにアリーナには選手と話しているご家族らしき人たちがちらほら見える。けれどあくまでも奥さんは「家族」であり、彼女は一般的に見れば「他人」に過ぎない。選手にくっついて残っていて良いのだろうか。第一、チャンピオンシップの決勝という大舞台の後だ。関係者達だけで反省会だとか、打ち上げとか、そんなのが絶対にあるに違いない。
 その関係者に大丈夫だと言われているのにどうにもハラハラしてしまうのは、こんなことは未だかつて一度もなかったからだ。大学卒業後に寿くんがプロ入りしてはや5年。試合を観に来たことは数え切れないほどあるけれど、「用があるから待ってろ」なんて言われて観客のいなくなった会場に居座り続けるなんて初めての経験だ。そのうちに誰かに首根っこつかまれて外に放り出されるのではないか。寿くんのジャージをつかんできょろきょろしていれば、突然照明が消えてコートの真ん中にスポットライトが当たった。

「……なに、なにか始まるの?」
「さーな」

 しらばっくれているくせに口元が緩んでいるのは何か知っている証拠だ。ジャージをつかんでいた手をグイグイと引っ張って寿くんはそのスポットライトの方へ進んで行く。

「あのう……これは一体……」

 煌々と降り注ぐライトの下に誘導されて、ぐるりと周りを見渡せば意外にも照明の外にいる人達の顔がよく見える。当然のことながらみんなが私と寿くんに注目している。寿くんのチームメイトも、ヘッドコーチも、スタッフさんらしき人も、みんな揃ってにこにこと微笑んでいる。……本当に一体なにが起っているのか。
 寿くんが咳払いをすると、入場口から一人誰かが入ってきた。両手になにか持っていそいそとこちらに歩いてきたのは、チームメイトの松本さんだ。

「松本! なに持ってきてんやがんだお前!」
「す、すまん! 俺はてっきりその……!」

 よく分からないこと続きだけど、なにか手順が違ったらしい。寿くんに怒られて顔を真っ赤にした松本さんは、慌てて踵を返してバタバタと奥に走って行ってしまった。

「もしかして寿くんの誕生日のお祝いだったりする?」

 松本さんが持っていたものがホールケーキのように見えたのでそう聞くと、彼と入れ替わりでアリーナに入ってきた選手がやれやれと肩を竦めた。寿くんのひとつ後輩の仙道さんだ。

「しょーがないなぁ、松本さんは。ごめんね、名前ちゃん。松本さん、緊張してタイミング間違えちまったみたいだ」
「ふふ、そっか。良かったね寿くん」

 ようやく私が呼ばれたことに合点がいった。それならそうと最初に言ってくれたらいいのに。チームの優勝に、もうすぐ訪れる寿くんの誕生日。確かにとってもおめでたい。

「……寿くん?」

 黙り込んでしまった本日の主役を見上げれば、なぜだか少し頬を染めている。今になって緊張してしまったのか。それとも主役本人がなにか一言言う決まりでもあったりするのか。またしても咳払いした寿くんは大きく息を吸い込んだ。

「名字名前さん!」
「は、はいっ!」

 突然フルネームを叫ばれた私は思わずピッと姿勢を正していた。まるで先生に呼ばれたような感覚だ。

「あー、えー……。今まで長らくお世話になりまして……」

 さっき立派なスピーチをしていたと人とは思えないぎこちなくトンチンカンな言葉に首を傾げれば、ライトの外から小さく吹き出す声が聞こえてきた。どうやら仙道さんみたいだ。

「……待て、ちげえ。そうじゃねぇ」

 なにやら一人でぶつぶつ言いながら、寿くんはジャージのポケットから紙切れを取り出した。

「わりぃ、仕切り直しだ」

 紙切れに書いてあるらしい言葉を呪文みたいに唱えなていたいた寿くんはそれを再びポケットにしまう。彼がしゃきっと背筋を伸ばしたので、私も倣って姿勢を整えた。
 たっぷりと間をあけた寿くんは、昔を懐かしむような顔で話し始めた。
 
「俺らが出会ったのはもう12年も前だ」
「う、うん……」
「俺は物覚えわりーけど、お前のことはちゃんと覚えてる。……はずだ」

 なんでこんな話が始まったのか。寿くんの誕生日のお祝いではなかったのか。周りを見渡せば、相変わらずにこにこ微笑ましい表情のみんなが私達を見守っている。

「お前と初めて会ったのは12月だ。あんときの泣き顔も今みたいに鮮明に覚えてる。……ぶっちゃけタイプだったしな」

 ……それは初耳だ。

 寿くんと初めて会った日のことは、私にとっても忘れようもない大切な思い出の一つに違いない。だけどあの頃、怒ってるみたいに怖い顔ばかりしていた寿くんがまさかそんな風に思っていただなんて。

「か、勘違いすんなよ! 今もタイプだからな」
「え、……うん。ありがとう……?」

 どうやら過去形で言ったことをマズイと思ったらしい。慌てて言葉を訂正した寿くんに仙道さんがまた吹き出した。
 おかしい。この状況はもとより、寿くんは普段こんなことは言わないのに。聞き慣れない彼の言葉をむず痒く感じながら、一つの予感が胸を締め付ける。

「んで、それからまぁ……色々あって。今日と同じ月、一年後の5月に俺らは再会した。あん時のお前はすげー恐え顔で俺のこと見てたよな。まぁ、俺が悪いんだけどよ。けど、俺の誕生日にケーキ作って持ってきてくれただろ。自惚れだけど、俺の為かもしんねーとか考えちゃってよ。まぁ……、なんだ。嬉しかったよ」

 その瞳は本当に過去に戻っているみたい。昔の自分に戻って、そのときの私に向って話しかけてくれているように見える。
 そうだよ。みんなの為に何かしたい。耳障りのいい言葉で自分を誤魔化していたけど、あれは何より寿くんの笑顔が見たかったからだと今では思う。

「正式に付き合うようになったのは全国行くちょっと前からだな。そっから卒業まではマジであっという間だった。推薦がもらえて茨城の大学行って……、長いことお前と離れることになっちまったよな。大学卒業して、プロ入ったら入ったで全国飛び回ってなかなか会えねーし、お前が就職してからは更にすれ違いばっかでケンカも増えたりして……。寂しい想いばっかさせて悪かった」

 ぶんぶんと首を振れば、伝っていた涙が雫になって落ちていった。

「……つまり、なにが言いたいかと言うとだな」  

 まるでスーツの襟を正すみたいに寿くんはチームジャージの胸元を整える。さっき紙切れ出したポケットから彼が取り出したのは、手のひらサイズの小さな箱だ。

「ずっと変わらず俺について来てくれて、支えてくれて感謝してる。これからも傍にいて欲しい」

 パカッっと箱を開ける音が聞こえてきたけれど、涙で滲んだ視界はボヤケてなにも鮮明に映らない。だけど大きくはっきりと、寿くんの声が私の耳に届いた。

「結婚、してください」

 シンと静まり返ったアリーナの中に私の嗚咽だけが響く。なんともみっともないし恥ずかしい。だけどだけど、嬉しくて、幸せで、溢れ出てくる涙はもう操作不能だ。

「はい……!」

 涙でぐしゃぐしゃになった小さな私の声が響けば、まるでチームが優勝したときみたいにアリーナが沸いた。大袈裟かもしれないけど、私にはそう思えたのだ。
 ──おめでとう。色んなところから聞こえてくる祝福の声の中で私は寿くんに抱き上げられた。照れた顔をした松本さんが再び持ってきてくれたケーキにはCongratulationsと書いたプレートがちょこんと乗っていた。

「嫌だって言われてももう離してやらねーからな」
「一生そんなこと言わないよ」



 ──昔々、意地悪な悪魔に虐められていたお姫様はちょっぴり怖い顔した王子様に助けられました。そんな物語でも作れそうなくらいドラマチックだった私たちの出会いは、途切れることなく続いてきた。
 思い返してみれば短い12年という月日は本当に山あり谷ありでケンカすることもあったけれど、結局いつも大きな彼の存在に救われてきたと思う。
 どんなときでも彼がくれた言葉が胸にあったし、どうにも辛いときは約束通り彼は来てくれたから。

 そうして今日、私たちは何よりも確かな約束を薬指に結んだ。

-END-

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【Spinoff】
Perfume of love


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