▼ 14
バタバタと羽音(ヒレ音)を響かせて銀色の奔流はぐんぐん遠ざかり、気づけば足元には何匹かのトッケロウオが転がっていた。
「で、うまいの?この魚」
「うまいですよ。この時期は旬で、脂がのってますから」
ゼノは火を起こし、ジンが魚を串刺しにして食事の準備をする。まるきりピクニックのようなのどかさに、俺は溜め息が出た。最近なにかと忙しかったタイチへの、彼らからの労いを込めた贈り物なのだろうが。俺は白く透き通った鱗を光に透かしていたが、ふと感じた違和感に眉を寄せた。心臓の近くで、何かが蠢いているような感覚。体の中から震えが来た。
「気持ちわりい」
「え?!大丈夫かよ」
「嫌な予感がする」
ぞわぞわして、鳥肌が立つ。ぎゅっと目を細めて、俺はぐるりと辺りを見回した。何だ?
――しゃん。
「!」
――しゃん、しゃん。
鈴だ。近い!今までの中で一番近い。あの気味の悪い鈴の音、やっぱり聞き間違いじゃなかった。
「安吾、お前の体から聞こえる」
「まさか」
タイチは俺の白い装束に耳を押し付けた。音はどんどん盛大に、まるで雪でも降るかのように反響しあって俺の体を震わせる。
――ちりん。
耳元で、呼応するように響いたもう一つの鈴の音で、俺の視界は真っ白になった。
ゴト、ン。
「う、わッ」
「安吾!」
お面が外れて乾いた音がした。視界はカーテンに閉ざされたように白いまま。何が起こったのかわからなくて、俺はやみくもに腕を振るう。
「おいおい暴れんなよー。落っこちるぞ」
のんきな男の声。その声に冷静になった俺は、めくれかえって視界を遮っていた装束の裾を腕で押さえた。
「げ」
タイチがこちらを見上げているのが見える。なんで見上げているか何て考えたくない。
「久しぶりだなおい。元気してたか?」
「誰だこのハゲ」
俺は揺られながら睨み上げる。地上10メートル程の地点で、俺は片足首を掴まれただけの不安定な格好で逆さにぶら下げられていた。俺をぶら下げている男は、銀色の鈴をちりん、と揺らした。俺の体の中から共鳴するように転がるような鈴の音がして、おぞけが走る。それにヒュゥと男は口笛を吹いた。ニヤニヤ笑い鈴をしまい込む。
「なんだ、随分と見た目が変わったんだな?間違えたかもとか思っちまったじゃん。そうそ、ハゲだよハゲ。テメー俺の名前くらい覚えてンだろー?!言えよなァったく」
ゆっさゆっさと俺を揺らしながら、ハゲの男はカラカラと笑う。黒光りするサングラス、頭を丸めた細面の輪郭。男は浮き出た喉仏を震わせながら、たいして太くない腕一本で、俺の体重を軽々ぶら下げている。ぼんやりそれを見上げていた俺は、我にかえって怒声を上げた。
「揺らしてンじゃねーよ、このつるっハゲ。第一、誰だお前」
「あっらー、とぼけてんのか寝ぼけてんのか」
ハゲはつるつるの頭を一撫でした。
「俺、ハゲなんかじゃねーし。キスケだっつーの。これは、ハゲてんじゃなくて丸めてんの。ワカル?お洒落なスキンヘッド。ちなみにあだ名はタコだぜ」
サングラスで見えなかったが、ハゲ、もといキスケがウインクした気配がした。
「ネタが古いわボーケー!」
タイチが下から叫ぶ。なんだ、深刻になりきれねーよ。今明らかにシリアスさ漂う場面だろ。変なとこ突っ込んでる暇はないってのに。
「誰だよー!テメーはァ!」
「キスケだって言ってんじゃーん」
「タイチ様、危険ですから!」
ゼノがタイチを庇おうと前に出るが、邪魔だとばかりに引きはがされている。ゼノの金髪は上から見てもキラキラと眩しく、俺はチカチカする目をぐっと閉じた。
「で、お前なんでわざわざ帰って来ちまったの?」
声を落としたキスケは、俺の腕を掴んで身体を反転させた。ぐぐっと引き上げられて、近くにサングラスが見える。東洋系のあっさりした顔立ちを歪めたキスケは、俺に顔を寄せてさらに声を抑えた。
「帰って来るとかアホかァ?でも、惚れてるってのは論外だろ」
「誰がタイチに。不可抗力の一言に尽きるだろ。つうか、離せよハゲ」
ハゲ、の部分を強調してやると、キスケは自分のつるつるの頭を撫でた。
「話通じてねーし。寝ぼけてンなァ、お前。あー、もー、面倒くせえ。知らねぇからな俺は!」
よよ、とふざけたような仕種でキスケは半袖のTシャツの袖を噛んだ。
「あ?」
そういやコイツ、ジーパンにTシャツだ。見慣れすぎてて気づかなかったが、珍しい。この装いは、街の不良なんかが好んですると聞いていたが。
「うん、あれだな。アレ。俺もさぁ、お前には同情すっけど、所詮世の中ってのはせちがらいもんだからよ」
キスケは、俺が服装に注目している間に勝手に自己完結すると、こきこきと細い首を回した。
「いや、意味わかんねーよハゲ」
「キスケだっつってンのにまったく。まぁいいや、そのうち分かるって。じゃ、行くぞ」
え、と言った時には、キスケは俺を小脇に抱えていた。
「安吾!」
鋭くタイチが吠える。ジンは一応剣を構えているが、このハゲが地面近くまで下りない限り意味はない。ゼノは主にタイチを援護するようにしている。うん、テメーに助けを求めるほど俺も毒気抜かれてねーよ。だから睨んでくんな。
「安吾ォ、腕!」
タイチが鋭く叫ぶ。その声に、言外に含まれたタイチの強い意思に、緑の呪液に侵された腕が、俺の支配を離れて筋肉を軋ませ、キスケの腕を外しにかかる。オヤ、とキスケが抵抗を始めた俺を見た。
「っ」
自分の意思に反して暴れる腕に、俺は不快を感じ、さらにひどくカンに障った。筋力の限界を超えた腕からは、ブチブチと毛細血管が破れる感覚が伝わってくる。それでも、足首を掴むキスケの指はまったく緩まない。万力で固定されたような、俺の身体。
「大人くしろよ、ったく面倒なんだから」
キスケは溜め息をつくと、顔色一つ変えずに俺の腹を蹴り上げた。
「いっ」
容赦のない重たい蹴りに、空気の塊とわずかな唾液を吐き、俺の身体から意識が消える。
チ、クショっ。掠れる意識が舌打ちしたが、もうどこも動かない。
prev / next