ある亀の見た夢 | ナノ


▼ 6

サイド:斉藤タイチ



「ねェ、兄貴」
「何だね」
「兄貴がこの国の第一王位継承者なんだよね?」
「お前が第二継承者だぞ」
「その辺はジンから聞いたよ」

全体が石から出来ている城の中はひんやりとした空気で、今は春の始めだというのにまだ微かに冬の気配が残っている。俺達は掃き清められた廊下を渡り、南宮から空中回路にて繋がっている北宮へ移った。今なら安吾もいないしいいかな。俺はちょっと酷薄な顔をした。

「兄貴は頭よさそうだから先に言っとくけどさ、安吾に何かしたら、兄貴でも容赦しないよ」
「それは脅しかね?」
「まさかァ、お願いだよ、お願い。かわいい弟からのね」

薄く伸びた俺の影をヒッピアスは踏み付けた。痛くないけど悪意を感じる踏み方だな。あ、踵でぐりぐりされた。

「かわいい弟はそんな凶悪な顔はしないよ。それに、心配しなくとも道化殿には手は出さん」
「そ?じゃあ、おとなしく兄貴の駒になっておくよ。オススメの魔術学園とやらに通うのがいいかな。ねぇ、それなら道化の一人くらい、連れてってもいいでしょ?」
「うむ」
「よっしゃー」

安吾、俺やったよ。やれば出来る子だった!先程の威圧感から一転、気持ち悪いテンションで、俺はひとしきり頭の中で安吾にテレパシーを送ってみた。が、妄想の中でさえも気分屋の安吾からは、何の応答も得られなかった。

「寂しーの。って」

ぼよんとした身体にぶつかって、意識を現実に戻した。ヒッピアスは突然立ち止まったようだった。

「着いた?」
「ああ」

獅子ではなく、たてがみの長い馬の頭の装飾のある古い扉に、コンコン、と静かなノック音が響いた。

「スキピオよ、異世界帰りの我が兄弟を連れて来たぞ」
「どうぞ」

子供の高い声がした。

「元気か?」
「兄上!」

扉を開けた途端、小さな体がぼよんとヒッピアスの腹に抱き着いた。弟達は長兄の腹が好きらしい。

「キラキラごちゃごちゃした部屋だな」
「すべて魔よけのまじないだよ」

パキーン。
チャリン、チャリン。

ラッパと横笛と太鼓を持った硝子細工の赤い小人が3体、天井から吊り下げられて微風に軽やかな音を立てた。鳩の代わりに梟のいる鳩時計や、キョロキョロ動く一つ目のタペストリー、鮮やかな色彩の小物に囲まれた部屋だった。ヒッピアスの腹から顔を上げた部屋の主のスキピオは、タイチと同じ金茶色の髪に、低めの鼻に散ったそばかすがあどけない顔立ちをしていた。鮮やかな翠の瞳は、せわしなく俺と兄貴の間を動いている。

「スキピオ、お前の兄上様だぞ」
「ハロー」
「異世界帰りの兄上様?」
「うん、斉藤タイチって言うんだ」
「サイトー兄上?」
「タイチが名だよ」
「へぇぇ。サイトー・タイチなんて面白い響きだ」
「はじめて言われたな」

前の世界ではたいして珍しい名前でもなかったけれど、こちらの名前の中ではあまりない響きのようだ。

「タイチ兄上、異世界はどんなところですか?」
「えーと、そうだな。髪が黒い人間がいっぱいいる」
「魔族?」
「いや。ただの人間」
「信じられないです」
「異世界だからな。俺、三毛とかピンクとかこっち来てから初めて見たし」
「へー」

スキピオは感心したように何度も頷いた。

「じゃあ、火を吹くかたつむりもいるんですね!」
「いや、いねぇよそんなもん」

俺は少し声を落とした。火を吹くかたつむりって、こっちの世界にもいないアンビリーバボーな生き物じゃん。一体異世界をなんだと思ってんだろ。

ホゥ、…ホッホゥ、ホッホゥ。

梟時計がホゥ、ホゥ、と鳴き出した途端に、スキピオは飛び上がった。

「キャーっ。兄上ぇ!恐いっ」
「え?」

俺が呆気に取られている間に、スキピオは勢いよくヒッピアスに縋り付く。ぼよんと腹がたわんだ。

「落ちつけ、落ち着くのだスキピオ。ごらん、あの梟時計は、ほんの少しの魔力の気配にも大袈裟に反応するのだよ。おおかた、河を泳いでいる海馬の魔力にでも反応したんだろう。今はちょうど水浴びの時間だ」
「そ、そっか」

指さされた時計を確認して、確かに魔獣の一種族、海馬の水浴びの時間と一致していたのに納得したのだろう、スキピオは体から力を抜いた。

「まだホゥホゥ言ってる」
「まったく、ゼノの作ったものは細か過ぎていけない。梟時計よ、これより3日は何があろうとも黙っておれ」

梟時計は茶色で丸い目をヒッピアスに向けたあと、名残惜しそうに一声鳴くと目を閉じて動かなくなった。俺は黙りこんだ梟から兄貴へと目線を移した。

「海馬って魔獣の?」
「ああ」

――魔獣とは、広く人語を理解する高い知能と魔力を持った獣の総称である。一説には魔族もこのカテゴリーに入るとする学者もいるが、普通は別物とされる。

「うちの海馬は水浴びが好きだからな」
「え、うっそー海馬飼ってンの?」

窓から眺めるヒッピアスの何気ない一言に、俺はびっくりした。

“梟の夢”で垣間見た海馬は、サラブレッドそっくりの体型に長いたてがみ、黒と見間違うほどの深い藍色の体色、ひずめの代わりに水掻きのついた足がある美しい馬の魔獣だった。魔獣の中でもかなり有名な種族で、一部では神とも崇められているという。

「海馬って無駄に気位高いんだろ?どーやって手なずけたの」
「まあ、一般的には気位は高いらしいがな」

海馬は優れた能力を持つ魔獣である。魔力、体力、知力は共に魔獣のなかでもトップレベルであり、むやみやたらに人間を食べるタイプの魔獣ではないので、時折人間に雇われるが、その扱いの難しさにまともに雇えた例は少ない。

「だが、うちの海馬はアホだぞ」
「ずーっと人間の格好してるしね」
「もしかして俺が知ってる奴?ゼノ?」
「ゼノが泣くぞ」
「えー、違うの?」

一応、一番気位の高そうな知り合いを選んだんだけどな。えーと、俺が知っているお城の人間の中で海馬っぽい奴。ウーム。全然見当がつかない。
考え込んでしまった俺に、ヒッピアスは人差し指ほどの大きさの木の棒を懐から取り出して口にくわえた。

「何?」
「海馬の呼び笛だよ」

期待に反して笛からは何の音も聞こえない。犬笛のように人間の耳には聞こえない高周波な音なのかもしれなかった。

――ベチッャアァァッ。
ダ、ダダッ、バァァンッ。

「ウワ、なんだ?!」

濡れた何かが王宮の壁に張り付き、酷い壁響き(?)と共に這い上がって来る音がする。ホラーじゃないんだが、近づいてくる水音混じりの音が恐い。でもあのビビりのスキピオが平気な顔をしているから、怖いものでははないのだろうけど。

ガツリ。

海藻の絡みついた水掻きのある人間の腕が、にゅうっと窓の端から伸びて桟を掴んだ。水がしたたる腕は、しとどに濡れてやけになまめかしい。筋の浮いた形のよい腕。剣ダコのある手。誰だ?

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