深夜の編集部で未だに仕事をしている人は思う以上に多く、それこそ隣の音楽雑誌は最後の大詰めで印刷所だなんだと慌ただしい。
みんな眠い目を擦って動く姿を見て、眠いのはアタシだけじゃないと元気付けられる。
「みんな、頑張ってるんだなぁ……」
決して他人事ではないけれど、デスクに向かってああでもないこうでもないとやっていると気は滅入るもので、時にこうやって言葉を発したくなる。
独り言ではあるんだけど。
「しかし、一回目が大羽で本当に良かったなー」
取材の帰り道、燃えるような情熱にやる気と自信が足されたことに気付いて、編集長の言っていた意味に気付いた。
アタシに足りなかった自信。一人でやる仕事だからこそあるいくつもの試行錯誤と責任。
「これから足りないものを補ってここを引っ張ってくのはお前だと、俺は思ってるよ」と期待してくれる編集長に、少しでも結果を見せたいと強く思う。
「ぃよっし! あと二時間……三時までは頑張るかー!」
グッと背を伸ばしパソコンに再び手を伸ばそうとしたところで、携帯が鳴った。
基くんからメール。おそらく今朝の返信だろうとメールを開くと、内容は了解したということだった。
「『分かった。俺もその日は午後からあいてるから15:00に駅前で』って、それだけか」
アタシの疑問に回答はなく、一体どこに行くつもりなんだろうということばかり考える。とりあえず「了解」とだけ送って携帯を置いた。
……基くんを嫌いなわけじゃない。むしろ思い出せば出すほど好きだと感じる。だけど。
まだ本心では信じられていない。
まだ付き合っていける。好きって感情だけなら、きっとそうだ。基くんが好きだからこそ嫉妬だってする。
でも、まだアタシの中で問題が解決したようには思えなくて。
基くんがあの日姫子といたのは、姫子が嘘をついて基くんを呼び出したからだってことは分かったし、あのプレゼントも姫子へではないって分かったけど……胸にはモヤモヤするものが残ってる。
結局分からないのは基くんの本心。
普通に考えれば、あんな風にキスしたり抱きしめてくれるってことはアタシが感じた通り、基くんはアタシを愛してくれてる。
じゃあ、姫子のことはどう思ってるの? それだけだ。
「……大人げないかなぁ」
自慢できる彼女だったって聞いて、自分は自慢なんかされないって劣等感が溢れて止まらなくなって。
アタシもお姫様扱いして、自慢してって言うんじゃない。そんなつもりもないけど、愛されたのならその人の一番でいたい。
これって単なるアタシのわがままやエゴなんだろうか。いや、だろうかとか言わずもがな、なんだけど。
「……でも、アタシは基くんの一番でいたいよ」
「彼氏、基くんっていうの?」
ゾッとして振り向くとやっぱり声の通りそこにいたのは大野で、とにかく一瞬で、つぶやいた独り言を後悔した。
「ねぇ、基くんって彼氏」
「うるさい」
弱みを握られたみたいで凄く嫌だ。コイツがまだ帰らないならアタシがさっさと帰ろう。そう思い散らばったメモや資料をまとめ始める。
「んだよ、相変わらず口悪ぃなぁっ」
そう言いながら隣のデスクの椅子を引っ張り出して座ると、大きくもたれ掛かってクルンと一周。
「何笑ってんのよ」
相変わらずコイツのニヤニヤした顔は腹が立つ。人のこと見下してるんだって目。
「お前の面白い独り言聞けたから喜んでんの。ちなみに、大人げないかなぁってところからバッチリ!」
「ッ!!」
サイテー!! マジで信じられない、っていうかアタシはいっそ消えたいくらいだ。消滅できるならしたい。
「なに、お前二番目なの? 基くんの」
「うるさい帰れ。じゃなきゃアタシが帰る。仕事の邪魔すんな」
「邪魔してねーよ。いるだけだし」
存在が邪魔ーッ!! って大声で怒鳴ってやりたい。
最近悲しいことはいくつもあったけど、こんなに怒りを覚えるのは久しぶりで頭に血が上っていくのが分かる。
「じゃあアタシが帰る」
家に帰っても仕事はできる。ベッドがあるからすぐ寝ちゃうだろうけど。それでももう構わない。
「どんだけ忙しいんだよ、お前。まぁ、これでも飲んでから帰んなさいよ」
投げて寄越されたのは冷たい缶コーヒーで、反射的に受け取ったその冷たさから、ついさっき買ってきたのだと分かる。
これは、なんのつもりだ。
「アンタが帰るんならアタシは仕事していくんだけど」
「分かった、じゃあ、これ飲んだら俺が帰る。絶対」
と、もう一つの缶コーヒーをジャケットのポケットから取り出すと大野はフタを開けた。
コイツの「絶対」ほど、うさん臭いものはない。しつこいのはいつものことだけど、今日に限ってどうしてこんなにしつこいんだ。
「……」
いるだけでも嫌だけど、仕事を進めたい気持ちはある。アタシは黙って缶コーヒーのフタを開けると一口飲んで、再びパソコンに向かった。
あー、大羽に借りてた写真、明日にでも返さないと。あっ、そういや嶋本さんとか大口さんのコメントも起こして、あと領収書も出して。
こうやって色々と“思い出す”ってことは忘れていたわけで、また忘れる可能性が大きい。
当日物忘れが原因で失敗して「思い出したことはすぐに付箋に!」と入社時に思い知ってから、アタシのデスクは付箋だらけだ。
「カラフル」
「なに」
「お前のデスク」
「どうせ忘れっぽい馬鹿って言いたいんでしょ」
「いや、枚数は多いと思うけど。っていうかさ、お前俺のこと何だと思ってんの? そんな嫌な奴か」
「言っていいの?」
「いや、なんか想像できたからいいわ、お前の本音」
いや本当、きっとその想像は当たってるよ。
そう思ったとき、デスクの上に置きっぱなしにしていた携帯が震えた。着信は基くん。
「電話出たら?」
「……そっち行って静かにしててよ」
「へいへい」