朝目が覚めると、枕元に置いた携帯の着信イルミネーションが光っていた。今朝四時の着信、基くんからのメールだった。
件名はなく一体どうしたんだろうと、未だ慣れない手つきでメールを開く。
『朝早くにごめんね。今度の休み、付き合って欲しいところがあるんだ。次はいつ休み?』
『おはよう。了解です。次の休みは明々後日だよ。どこに行くの?』
さっきのことのように返信すると、また携帯を放り投げ、枕に埋もれようとする。
さっき携帯でちらりと見えた時間は、こんなことをしている場合ではなかったかもなぁ。もう、家を出なければならない四五分を過ぎている。
ん? いえをでるじかん が、過ぎているのか。
「マジで!!」
実家ならば「お母さん、起こしてって言ったじゃん!」「何度も起こしたのに起きなかったアンタが悪いんでしょう」なんてベタな会話をしているんだろう。
が、一人暮らしも何年目だろう。相手がいないので誰のせいにもできなかった。
自分で自分を責めながら慣れた手つきで支度を済ませると、ハイヒールを引っ掛けて部屋を飛び出した。ここ五階から、エレベーターを待たずに階段を駆け降りる。
外は今日も湿っぽさを感じさせる天気だ。今日は朝からついていない、とため息をつくのはごく簡単なことだった。
「おはようございまーす!」
編集部に顔を出した後すぐに大羽の所へ向かったが、予定していた時間よりも二十分も遅れてしまった。
遅刻したせめてものお詫びにと、汗だくに満面の笑顔をつけて挨拶をすれば
「……おう、今日も、元気じゃなぁ」
と、完全に寝ぼけ眼の大羽が現れてイラッとした。
眠いのなら、言ってくれれば時間をずらしたのに。アタシだってもっとゆっくりしていたかったし、条件は一致していたはずなのに。急いで来た自分が馬鹿みたいだ。
「ちくしょうっ」
起きろと言わんばかりに、ハーフパンツから剥き出しのスネを蹴ってやる。
「!!」
当たり所が良かったのだろう。大羽は言葉を発することもなく崩れ落ちた。
「好きなものをどうぞ。会社の経費なので」
「……」
「アタシはロイヤルミルクティーに、ホットサンドと冷しゃぶサラダの胡麻ドレッシングで。あとはコーンスープとカルボナーラと海老グラタン……食後に日替わり洋スイーツ。大羽隊員は?」
「……」
「じゃあロイヤルミルクティーとマルゲリータと、海鮮サラダにタラコスパゲティーで。食後は日替わり和スイーツ」
「ちょお待てっ!」
「なに。全部アンタの好みでしょ?」
「そうじゃけど! お前ワシより食うんか! しかも好きなもの言うわりには勝手に選んどるし! つーか問題はそうじゃのうて、少しは悪びれんか!」
ハァハァと息を切らしながらまくし立てる大羽に、アタシは店員が去っていくのを横目で見ながら、開いていたメニューをパタンと閉じた。
あぁ、ここに大羽を連れて来るのは間違いだったか、と。
ここは編集部の近くにある唯一アタシが行きつけにしている喫茶店で、取材や打ち合わせでもよく使う店だ。
落ち着いた雰囲気の店内に落ち着いた客達。自分の時間を大切に使っていると感じられる空間だった。
それを今、大羽は壊したのだ。他の客はもちろん、アタシの名前を覚えてくれている店員も何だ何だとこちらを見ている。ここはファミレスじゃあない。
「あんまり大声出さないでよ。悪びれるって、さっきのこと?」
「そうじゃ」
大羽は「まだ痛む」と言わんばかりにスネを見せ付けながら、手足を組んで偉そうに、椅子へ深く座り直した。
確かに社会人らしからぬ行動だったと反省している。だからそれに関してはさっきから何度も謝っていた。それでも足りないと言うのだろうか。
不服そうなアタシに気付いた大羽はアタシの考えもお見通しのようで、「お前は誠意が足らんのじゃ」と説教を始めた。
「ええか。お前、社会人として〜とか言うわりには全然行動がおっついてないんじゃ。ホンマに社会人として人に接するんなら、誠意を見せんとあかんじゃろう。誠意って意味が解るか? 一回辞書ひいてみろ」
こうなった大羽は本当にウザい。中学の時からこういうことが何度かあったが、まるでおじいちゃんの説教だ。
面倒だとしか思えず、アタシは相変わらずあの頃と同じように「うん」と「分かった」を、運ばれてきた料理を堪能しながら繰り返すのだった。
それでも話し続けようとする大羽に「冷めるよ」と料理を促すと、渋々といった感じでロイヤルミルクティーを一口。ゴクンと飲み込んで次の言葉を発するまで、数秒の間があった。
「うまいな」
「でしょ? アタシの行きつけなんだから当然。高いだけあるっていうか……。料理も美味いから冷めないうちに食べようよ。あ、ピザ、アタシにもちょっと頂戴」
「あぁ」
「サンキュー」
まぁ、ざっとこんなもんだ。何といっても料理のおかげだが、大羽を黙らせることができた。おまけにピザ一切れもゲット。やはりこの店にして正解だったのだ。
今日は休みといっても密着二日目。少し仕事の話しをしながらアタシ達は食事をして、話の端々を頭に刻み付ける。使えるネタだなとか、こんな風に書いたら面白そうとか、そんなことを考えながら。
ほんの三十分ほどでデザートまでをたいらげたアタシ達は再び紅茶を飲みながら、きちんと向き合って話し始めた。テーブルにはボイスレコーダー、手にはペンとフリーノート。
ここにきて、ようやく取材らしい取材が始まる。大羽と一対一の、本音インタビューだ。
「今回、仕事の魅力と働く人間の魅力というテーマを元に連載が始まりますが、第一回目に選ばれた気持ちはどうですか?」
「どうって、驚いた」
「……それだけ?」
「いや。反面、基地長に推薦されたってのは嬉しかったし、自分で大丈夫なんじゃろうかとも思うた。雑誌の取材なんか初めてじゃし、やっぱ緊張する」