「おう」
「ごめんね」
基くん!? 何で? どうして!?
アタシは気が動転して目の前のふすまを閉めてしまった。ふすまを背にし大きくなる心臓の音を落ち着かせようとする。
なんで。なぜ基くんが大羽の部屋に来るの? 突然のことに、落ち着こうとしてもちっとも頭の中を整理できない。
台所と部屋を繋ぐふすまの向こうで、二人の話し声が聞こえる。短く会話を終えると、大羽の「少しの間、部屋を出る」と言った声が聞こえた。
裏切り者。そう思う。
「うん、ごめん。ありがとう」
基くんの声が近くで、静かに聞こえた。
大羽のお節介はこんなところにも及んでいて、おそらく、絶対と言える確率でアタシが話せない分を大羽が基くんに話したんだろう。
着替えると言って部屋を離れたのは基くんに連絡するためで、きっと基くんは全部を知っている。そんな気がする。
「……ジョニー」
「!」
名前を呼ばれて、呼吸が止まる。つい、息を潜めてしまう。
どうすればいいの? 何を話すの? あるのは、少しの恐怖と緊張。
「ねぇ、ジョニー」
「な、なにっ」
「少し、俺と話してくれないか」
アタシはまた、とっさに黙ってしまう。
「……聞いてくれるだけでもいいんだ」
と、悲しそうな声が聞こえた。泣いている? いいや、そんなはずはない。
「取材、大羽君に決まったんだね」
「基地長の推薦で」
「そっか。本当は俺だったらいいなぁなんて、期待したんだけど」
アタシの一言を聞いたせいか、基くんはホッとしたように話始めた。
そんな言葉に、キュンとなんかならない! ならないぞ! ちくしょう。ニヘッと微笑む基くんが頭に浮かんで、かわいくってしょうがない。
「ジョニー」
「なに……?」
「少し、大羽君に聞いたんだ」
「うん」
「ジョニーは、いつも俺の邪魔にならないようにとか、迷惑を掛けないようにとか思ってるけど」
「うん」
「たまには大羽君じゃなくて、俺にも甘えたり頼ったりして欲しい」
「別に、大羽に甘えたり頼ったりなんてしてないよ」
「……男のくせにヤキモチなんてって、ジョニーは思うかもしれない。でも、例え取材だとしても……大羽君が昔からの友達だとしても、ジョニーが大羽君と二人っきりなのは嫌なんだ」
嫉妬される嬉しさの隣に、モヤモヤと黒い影。
「じゃあ、どうして自分は元カノと会ってたの? 友達が事故ったなんて、嘘だったの?」
どうして、人を責めるときばかり口は動くんだろう。回路が高速に、勝手に働く。
「それは……俺だって騙されてたんだ。友達が事故ったなんて姫の嘘だった」
「じゃあどうして! どうして、お世話に人への誕生日プレゼントをあの子が持ってたの?」
本当は、この口で君を困らせたくなんかないのに。本当は、もっとちゃんと想いを伝えたいのに。
「それは、そのお世話になった人が姫のお母さんで、姫のお母さんは救急救命士の学校の講師なんだ。頼んでもいないのに、渡してあげるって取られちゃって……」
必死に説明をするほど嘘のように聞こえた。
壁一枚を挟まなければ言いたいことも言えないなんて、意気地無しのアタシはその言葉を信用できる程の勇気も持っていなかった。
そのくせ、基くんが「姫」と声にするたびに、やめてくれと泣き叫びそうになる。
「……」
「開けるよ」
「だっ、ダメ!」
とっさにふすまを押さえた。少しだけ開いたふすまが、すぐに閉じる。
「ジョニーの顔が見たい」
「今は駄目なの!」
今のアタシを見られたくなかった。基くんを疑うしかできない、嫉妬ばかりの駄目な女だから。
それでも、基くんはふすまを開けようとした。少し開ける力の強くなったそれを、アタシは必死に食い止める。
「……なんで駄目なの?」
「見られたくないの」
一瞬だ。ふすまを押さえていたはずのアタシの手は無意味だったかのように、宙をかいた。
ふすまをこじ開けた基くんは、驚きながら尻餅をつくアタシの前にひざまずき、アタシの頬を両手で触れる。
「!」
「よかった……」
一言だけ言うと、そのままゆっくりキスをした。
よかったって、どういう意味?
「……ん」
数秒間、唇から優しく伝わってくる。
不覚だが、自分の体重を支えきれなくなってきた手が震え、アタシは基くんと一緒に後ろへ倒れ込んだ。
一瞬離れては、また重なる。優しく抱きしめられて、さっきまで責めていたことを忘れそうになるほど切ない気持ちになった。
離れがたそうに基くんの唇が離れると、基くんはアタシの目を切なそうに見つめた。少し、泣きそうにも見える。
「俺達、まだ付き合っていけるよね……?」
「うん」
雰囲気に流されたわけじゃない。本気でそう信じて疑わないわけじゃない。ただできることなら、そうであってほしかった。
基くんは柔らかく微笑むと、大事そうにアタシを強く抱きしめて、またキスをした。
コンコンコンと三回のノックで大羽が帰ってきたことを知る。大羽が扉を開けると何事もなかったかのようアタシ達は離れて、基くんは帰っていった。
アタシも十数分の時間をおいて、ボーッとする頭で大羽に挨拶を済ませると電車で編集部へ戻った。
編集長に今日の取材の成果を報告をすると、自分のデスクへ向かう。記事となる一日目のまとめを大雑把に保存し、大羽に借りた資料をパソコンの中に取り込んだ。
ボーッとする頭で、アタシは愛されているんだろうなと思った。そしてやっぱり、アタシも基くんを愛しているんだろう。
あんな風に求められることは今までになく、アタシは舞い上がるように心をときめかせていた。
「……ほんま、お前もワシもついとらんのう。なぁ、星野」
「お、大羽君」
アタシはその時、知るよしもなかったんだ。
「基。その人だぁれ?」
「何しとんじゃ」
「これは……」
あの時と同じように同じ場所で、アタシの代わりに大羽が怒鳴り声を上げていたことも。
「お前、何しとんじゃ!!」
「ッ!」
「きゃあぁっ! 基っ、大丈夫!?」
基くんの傷は、大羽の拳が作ったってことも。
「もうお前にジョニーは任せられん」
基くんが、姫子といたことも。アタシは何も知らなかった。