「昔は一人暮らしって憧れたけど、実際家に帰って一人ってつまんないよね。特にやることもないし」
「まぁ、慣れたけど、寂しいっちゃ寂しいのう。ワシはお前と違うてやることはあるけどな」
「ほう。何をするのか言ってごらん、全国区のインタビューに載せてやるから」
「魔女宅観たり、耳をすませば観たり。三鷹のジブリ美術館も行くし」
「あー、結局それ。アンタほんとそればっかね」
ネタ帳に会話の端々を書き取りながら、大羽の部屋を目指す。
階段を上ろうとすると、ちょうど、と言うべきなのだろうか。部屋から出てきた基くんがいた。
「ジョニーっ」
「!」
ヤバい、と思ってしまった。「仕事で忙しくなるから会えそうにない」と言った手前か、大羽と一緒だったからか、はたまた別の何かかは分からないけど。
「……」
沈黙。数秒が、数十分にも感じた。
頭の中には焦りや不安。どうしたら良いか分からなくて、高速で回転する頭の中に目眩を起こしそうになる。
二人の止まった時間を切り裂いたのは、やっぱり大羽だった。
「よう、星野。どっか行くんか?」
「あ、うん。……どうしてジョニーは、大羽君と一緒なの?」
簡単なことだった。「以前話した自分の企画の取材だ」と言ってしまえば済むこと。だけどアタシは固まってしまい、それさえも言えなかった。
基くんの顔は、このシチュエーションを快く思っていないことを表していて。変な誤解をされてしまう、と気持ちだけが焦る。
しかし同時に怒りに似たものが顔を出した。アタシが誰といようが、今の基くんにどんな関係があるんだろう。あの日のアタシの気持ちも解らない人だったのだろうか。
別れたわけではない。嫌いなわけでもない。だけどなぜあんなことがあった後でも、当然のようにアタシを自分の物みたいに言うのだろうか。
事の発端は、君だと言うのに。
ムッとする口が、さらに言葉を詰まらせた。
「雑誌の取材じゃと」
「……そっか」
「じゃあの」
「うん、じゃあ」
結局アタシは一言も喋ることはできず、大羽の影に隠れるようにして足早に階段を掛け上った。
直視さえできず、逃げてしまったのだ。
さっき大羽に言われた通りだ。アタシはやっぱり逃げている。昔の意地を引っ張り出して張れるほど、昔のままではなかった。
……さっきの一瞬で焼き付いた基くんの顔。暗がりで分かりづらかったけど、目元にクマができていた。目も赤くて、あまり寝ていないのか、疲れているようにも感じた。
彼も、眠れない夜を過ごしたのだろうか。
「……さっきの態度は、少し星野が可哀想じゃったなぁ」
扉の鍵を開けながら、大羽が言った。部屋に入る大羽に続き、玄関の中まで進む。
大羽の言葉に、アタシは小さく「うるさいなぁ」と呟いた。
さっきのことは突然すぎたし、何より言ったはずだ。心の準備が必要だと。可哀想だと言うなら、どんな態度を取るべきだったのか教えてほしいものだ。
「うるさいって……。まぁ、お前らの問題じゃし、勝手にすればええけど」
電気を点け、スタスタと部屋の奥に消えていく大羽の背を見ながら、バツが悪くなったアタシは玄関でじっと立ち尽くしていた。
「部屋、見るんじゃろう? 突っ立ってないで上がればええじゃろ」
「うん、お邪魔します」
「見せるほどの何かがあるわけじゃないけどのぉ」
実際に、大羽の部屋に特別な何かがあるわけではなかった。六畳間に勉強机とテレビ、テーブル。押し入れに小さなタンスと本棚がある程度だ。
特筆すべきは、テレビ台の下にある収納スペースに、ずらりと並べられたジブリのDVDくらいだろうか。有名アニメ映画から作品集まで……これは製作順にならんでいるようだ。
「少し、写真撮っていいかな」
「ええぞ」
首から下げたカメラを構え、テレビ台の下のDVDを撮る。大羽に許可を得てテーブルに並べてみると、それも撮った。
昔も大羽の部屋で、棚に並んだジブリビデオを発見したことがある。が、今回はそれを上回っているように感じた。
どれもが特別収録版のもので、結構マニアックだなぁと感じながら数えてみると、二十七本。これってジブリなの? ってものまである。
これはああで、あれはこうでと自慢気かつ楽しげに話す大羽は、ジブリに関しても昔となんら変わりないようだ。
ふと、テレビ台の側に文庫本を見つけた。
「これ、まだ持ってるんだ」
「おう。今でもたまに読むのぉ」
「下手したら内容全部言えるんじゃない?」
「おぉ、結構言える」
アタシにそこまで言わせるのには、理由があった。
まずその文庫本っていうのが、今はもう絶版した文庫版の「耳をすませば」。
中学の頃、朝は読書の時間があって、アタシはよくその本を読んでいた。その頃から大羽はジブリが好きで、読みたそうにしているから貸してやったのだ。
その後、借りては返し、返しては借りが増え、「そんなに好きなら」と面倒くさがって大羽へあげたものだ。
アタシもその本が好きで、カバーが擦りきれるほど何度も読み返したっけ。それ以上に、大羽はこの本を読み返しているだろう。
昔より日焼けしながらも、まだ本の役目を果たしているなんて、すごいことだ。自分が作った本も、いつかこうして大切にされる日が来るだろうか。
「そっちの写真は?」
テレビの上に無造作に置かれたミニアルバムには、風景の写真がいくつも収められていた。その街並みは、いつかどこかで見たことがあるような気さえする。
「まだヒヨコだった頃、聖蹟桜ヶ丘に行ったときの写真じゃ」
「へー」
案外綺麗に撮れている街並みに、少しだけ感動した。これがあの「耳をすませば」の街のモデルとなった聖蹟桜ヶ丘か。
「案外上手に撮れてるじゃん」
「そうじゃろう」
「大羽が撮った写真ってことで雑誌に載せたいんだけど、何枚か借りて良い?」