それから数日、アタシは誰と連絡を取るでもなく、今までと変わることなく仕事に精を出していた。
無事に海保からの取材許可が降り、今日は羽田のトッキュー基地へと来たのだ。向こうが適任だと紹介してくれた隊員に、取材前の挨拶をするために。
「そういうことで、よろしく」
「なんでワシなんじゃ……」
基地長室で一通り取材内容や方法を打ち合わせした後、退室した途端連れてこられた人気のない機材倉庫。そこではオレンジを着た大羽が頭を抱えていた。
トッキューの証でもあるそれを着た大羽を、アタシは初めて見る。
何度か取材でここへ来たり隊員に会ったりしていたが、大羽がそのスペシャリスト集団の一員だという実感はなかった。まさか、あの大羽が、と。
しかし、保大を卒業して潜水研修を受け、実務をこなしトッキューに選ばれた。ここでも厳しい特訓をしたのだろう。体つきは昔と大きく変わり、頼れる男の貫禄が出た気がする。
友達を仕事の相手として見るなんて、いつの間にか大人になっていたことを思い知らされる。
「もう一度説明が欲しい?」
さっきの問いをもう一度説明するつもりもなく、渡した書類を見ろと指差した。書類には取材の主旨やスケジュールが細かに書いてある。見た人が誰でも分かるように作ったのだ。
しかし大羽はそれを読み返すでもなく、再び頭を抱えている。
「ワシは軍曹に言われただけで、取材なんて聞いとらんし」
「アタシだってアンタが取材対象だなんて思いもしなかった。適任だって紹介してくれたのはトッキューの基地長だよ」
「何でじゃ……」
混乱しているのはアタシも同じだった。
確かに「潜水士の方を取材したい」とは言ったが、まさかトッキューの人を取材できるとは思っていなかったからだ。
おそらく近場で“おず”の人……もしかしたら、基くんかもしれないとさえ考えていた。
だが混乱していたとしても、こんなことで時間を潰している場合じゃないのだ。なんたって、仕事なのだから。
「まぁ、お互い仕事ってことで割り切ろうよ。アタシはトッキューの隊員である大羽廣隆を取材しに来たんだから」
「はぁ……」
まだ納得していないようで、大きな溜め息をつく。観念しろと大羽に蹴りを入れようとして、すんどめした。
今は友達同士ではないのだ。いち社会人として、仕事相手にこんなことをして良いわけがない。
代わりに、手を差し出した。
「明日から三日間密着取材をさせていただきます、波乗りジョニーです。改めて、よろしくお願い致します」
「……特殊救難隊、三隊の大羽廣隆です」
観念したかのように握り合った手は、いつかした握手とは全く違う。なんというか、なんとなく中高生のままの関係だったものが、大人のものに変わった感じがした。
「取材とか初めてじゃし、どがぁなしたらええんか教えてくれ」
「さっき説明した通り。普段の大羽隊員の生活を通して、レスキューマンの魅力を読者に伝えるのが今回の企画です。密着取材の中でいくつかインタビューさせていただきたいことがありますが、特別なことはせず、普段通りにお願いします」
「了解」
「それでは明日、官舎の方へお伺い致します」
最後にもう一度、基地長と居合わせた三隊の皆さんに挨拶を済ませると、大羽に送られて出入口まで来た。
別に誰が送ってくれと頼んだわけではないが、未だに慣れない基地の中を帰るにはありがたい。
外へ出ると今日の礼と明日からのことを少し話し、駅に向かおうと踵を返した。すると、肩を掴まれ引き止められる。
「足は、大丈夫か」
大羽は、小さな声で言った。大羽は大羽で、先日の出来事に関して気を使ってくれているようだった。
本当はアタシにこんな会話は必要なくて、それでも大羽の優しさだろうと、いつものように返した。
「あぁ、お陰様で翌日には痛みもなくて。アンタの手当てが良かったみたい」
それが精一杯だと悟られるのが嫌だった。高校の頃のアタシを知っている大羽に対して、やっぱり意地があった。だから目も会わせられず、言い放って背を向けた。
しばらくはきっと、基くんとは会わない方がいいんだ。
アタシがショックだったのは、嘘をつかれたことでも、元カノと会っていたことでもなくて、アタシと付き合いながらも元カノを想っていたこと。
思い返す日々が全部、元カノと重ねていたのだとしたら……アタシは一体なんだったんだろう。
「また明日」
背を向けたまま手を振って、アタシは急いで編集部へ戻った。
失敗できない企画なんだ。プライベートの嫌なことなんて、構っている暇などない程忙しい。
明日は七時から密着取材の始まりだ。アタシ一人で取材をする分、機材も自分で準備をしておかなければならない。
編集部からカメラ等の機材を借り、明日の大羽の予定を確認する。
明日は横浜の防災基地で訓練らしいが、密着取材ということで朝の出勤から大羽と一緒に行動する予定だ。
スケジュールと大羽の予定を考えながら、アタシも明日は早朝から行動しなければ。
ほんと、忙しくって自分のことなんか構ってらんないよね。
溜め息をつきながら、震える携帯の着信を見なかったふり。明日は早いから、と言い訳しながら仕事へ戻った。