12-編集部(2)

 アタシが空を見つめている間、君は何を見ていたんだろう。アタシが怪我をした時、君は何をしていたんだろう。

 アタシが叫んだ瞬間の君の顔が、頭に焼き付いて離れない。

 何度夢だと思っても、痛む足首で気付いてしまう。口に何かを含む度に、血の味がして思い出してしまう。

 もう涙なんか出ないのに、思い出しては胸が痛んだ。

 転んだ拍子に壊れた携帯を枕の隣に置いて、鳴るはずのない着信音が鳴るのを待っていた。

 言い訳くらいしてくれるんじゃないかと、何度も何度も携帯に触れた。

 寝ても覚めてもそんなことばかり考えて、胸の苦しさが息を止め、そのまま死んでしまえるんじゃないかと思った。

 大羽はあの後、何も言わずにアタシをおぶって送ってくれた。電車は混んで大変だろうと、何キロも歩いて。

 家についてからはきちんと怪我の手当てをされ、何か言葉を交わすわけでもお茶を飲むわけでもなく、大羽は帰っていった。

 仕事に行きたくない。足を怪我したことを理由に、休んでしまおうか。そんなできもしない想像をして、ベッドから落ちるように抜け出す。

「……」

 立ち上がってみると昨日の大羽の処置が良かったのか、足の痛みはなくなっていた。

 顔を洗い、洗面所の鏡を見て驚く。

「……最低」

 寝不足で目は赤く充血し、額には昨日の擦り傷。顔色も悪い。化粧の乗りも悪そうだと思いながら、厚化粧の準備をした。

 何の問題もなく朝の支度をするアタシは、いつもと何も変わらなかった。当然だ。アタシがいつもの生活を繰り返す中では、何一つ問題は起こっていなかったのだから。

 ただちょっと違うのは、早起きなところと携帯が壊れていることくらい。出社する前に携帯ショップへ行き、新しい携帯を用意しなければ。

 クローゼットを開けて適当なスーツを身に付け、昨日のままになっていた鞄を整理した。

 朝食はバナナ一本と牛乳を一杯飲み干し、玄関へ向かう。途中で思い出し、カーディガンを手に持って外へ出た。

 昨日のことは、きっと夢だったのだ。



「おはようございまーす」

 編集部に顔を出すと、二ノ宮班長が待ってましたと言わんばかりにこちらを向いた。

 見たこともない笑顔が怖い、というか気持ち悪い。

 自分のデスクに座り、パソコンを立ち上げる。案の定、二ノ宮班長が椅子ごと近寄ってきた。

「おはよう」

「おはようございます」

 朝から二ノ宮班長のお小言かと思うと気が滅入る。今日はこれからだと言うのに。

 せっかく入れた気合いも不安定で、ちょっとしたことで崩れてしまうかもしれない。

「お前、今日から単独で動くんだって?」

「え? 誰に聞いたんですか」

「編集長にな。俺も昔同じことがあってさー。あの人に単独でやれって言われたら、期待されてるってことだぞ」

「はぁ」

「お前も期待に応えられるよう、頑張れよ」

「はい」

 肩透かしをくらった気分だった。小言じゃないだけマシだったが、結局は自慢話だと思うと適当な返事しかできなかった。

 毎回、社会人として上司にこの態度は良くないと思うが、なんだかお互い様なような気がして反省する気にならない。

 パソコンのメールをチェックしてからエクセルを開くと、編集長に言われたスケジュールを作成することにした。

 今日は七月号が発売されるということで、編集部は和やかな空気だ。数日前の鬼のような空気はもうなくなっていて、休みの班も少なくない。

 しかしアタシはもう来月号の取材に取りかからなければならないのだ。取材先にアポを取って取材をして、記事を書いてレイアウトして。

 それを考えると遅いくらいだが、失敗はできない。記事ができなければ五ページ分の空白ができてしまうのだから。

 今日はスケジュール作成が終わったら海保と消防にアポを取る。広報から返事が来るのは数日後だとして、その間にもやるべきことはやってしまわないと。

「波乗り」

 ……期限が悪い今、一番聞きたくない声だった。

「なに、大野」

 振り向くと、いつもの気にくわない表情。この、人を見下した笑いが大嫌いだ。

「お前、八月号から連載するんだって?」

 嫌みな口調で話す、この声も。

「まあね」

「編集長も厳しい人だよなぁっ。全部一人でやるらしいじゃん? 何の準備もせずに突然連載開始だなんて、あの人も何を考えてるんだかなぁ!」

 編集長のことを、何も知らないくせに。

「まぁ、お前次第では俺が先に出世するかもな〜」

 怒鳴りたくなる衝動を押さえながら体をパソコンへ戻すと、大野は「今度はどんな失敗するか見ものだよ」と耳元で囁いた。

「!!」

 気持ち悪くて頭をひっぱたいてやろうと勢い良く振り替えると、大野は嫌みな笑いで去って行った後だった。

 本当に、どうしてアイツはこんなにもアタシをイライラさせるんだろう。着信で震える携帯を手に取り、それを握りつぶしてしまいそうになる。

 ……なんとも変な気分だった。

 今朝早くに行った携帯ショップで、アタシは機種変更を済ませていた。ただ単に機能だけで選んだそれは重く、アタシの手には大きく感じる。

 いつもと少し違う手順で新着メールを見ると、誰からの着信かは分からなかった。時間がなくて電話帳まで新しい携帯にコピーすることができなかったからだ。
 ただ、「昨日は本当にごめん。会って話がしたい」という文面で思い出すのは、基くんだけ。

 それに対して「しばらく仕事が忙しくて会えそうにない」と返信したのはきっと、会いたくないと感じたり、話の内容を想像したり、どんな顔で会えばいいのか分からないとかじゃなくて。本当に忙しくなるから。

 「いつでもいいから連絡して欲しい」という言葉に、なんて返せばいいか分からなくて、そのまま携帯を閉じた。

「さあ、早くスケジュール作らなきゃ」

 柄にもなく言葉に出して張り切ってみた。

 今は思い出したくないんだ。昨日のことも、あの子のことも。あの子の代わりに愛された日々も。

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