こんな明るい内に帰ってくるとは思わなかった。半日遊んで夕御飯を食べて、抱き締め合いキスをして別れたかったのに。
貴子の家の玄関前で、チャイムも鳴らさずドアを開ける。が、開かなかった。溜め息が出る。
出掛けているのだろうと、あたしは縁側に移動すると窓を開けた。
貴子はいつもそうだ。玄関の鍵は閉めてもこっちの鍵は閉めない。
まぁ、本人曰く忘れているそうなのだが、盗まれるものはないにしても女の独り暮らしなのだ。もう少し警戒してもいいと思う。
さっき貴子としたように、一人腰かけた。日の当たる縁側で、また夏の暑さを感じた。
……久々のデートだったのに。移動して、少し食べて貴子の話をして、雑貨屋さんを見て、元カノの話を聞いて、唐突にさようなら。
あんまりすぎる。
確かに事故った友達よりアタシを優先してくれだなんて思っちゃいないけど、どれだけアタシが君といたかったかくらいは察して欲しい。
それに、あんなことを言ってしまった自分が腹立たしかった。言うつもりはなかったにしろ、言葉にしてしまったことは事実だ。
基くん、ビックリしていた。それもそうだ。なぜアタシが知ってるのか、突然あんなことを言い出したのだから。
……なんか、どうしたらいいのか分からない。
パンプスを脱いで靴擦れを起こした踵をなでれば、ヒリヒリと傷んだ。
貴子に借りてまでおしゃれをしたアタシが馬鹿みたいだ。こんな、眼鏡までして。
窓際に置いてあったアタシの鞄に手を伸ばすと、コットンのメイク落としを取った。
眼鏡を外し、綺麗さっぱり化粧を落とす。馬鹿馬鹿しくって、こんな気合いの入った化粧。そのまま倒れて寝転んで、残った唇のグロスを一気に拭き取った。
鍵を開ける音が響き、貴子が帰ってきたことを悟る。奥に見える彼女はスーパーの袋を持っていて、やはり買い物に行っていたようだ。
「お帰りー」
「あれ? ジョニーちゃん、どうしたの? 早くない?」
スーパーの袋を玄関に置くと、貴子は心配そうに駆け寄ってきた。
「んー、友達が事故ったって電話があってー、基くん行っちゃった」
「えー!? 大丈夫なの?」
「あぁ……。アタシ、最低だね」
「どうして?」
「人を心配するよりも、基くんともっといたかったのにとか、行っちゃうんだとか、自分のことしか考えてなかった」
それでもどこか、それでもいいやと考えている自分がいた。
「貴子、お土産」
「え?」
膝の上に置いていたバッグから小さな包みを取り出すと、伸ばされた手のひらにそっと乗せた。
「開けていい?」
「うん」
「わぁ!」
想像した通りの表情に、アタシも嬉しくなる。そして切なくなる。欲しかったのにという思いと、基くんの思い出。
「ありがとう! とっても可愛い!」
それでもこの笑顔に癒されて、そんな子供みたいなことを言うのはやめようと考え直す。
「こっちこそ、急に服貸してもらってありがと」
「明日持っていかなきゃならない用事があるからそのままでいいよ」と言われ、借りた服をそのまま脱いだ。またシワシワのスーツに袖を通し、いつもと同じ格好。
化粧はもう、する気になれなかった。元々してるかしてないか分からないような薄い化粧だったし。
気分は最低で、貴子に話す気力もなくなっていた。
「ご飯、カレー作るけど食べる? 後で亮介くんも来るって」
さっき持っていたスーパーの袋を玄関で拾い上げ、貴子は中からジャガイモやニンジンを取り出した。デザートも作るのだろう。いくつかフルーツも見えた。
「せっかくだけど、遠慮しとく。彼との時間を大切にしなよ」
そう言うと貴子は照れたように「ジョニーちゃんもいたらもっと楽しいのに」と笑った。
幸せそうな貴子を見るとアタシも嬉しくなる。
だけど、どうしてアタシ達は上手くいかないんだろうと思った。まぁ、二人には二人の問題もあるだろうし、上手くいかないのはアタシ達だけじゃないのかもしれないけど。
貴子に再度礼を告げると、アタシは鞄を持ち変えてアパートを出た。
駅に向かうつもりだったが、なんとなく電車に乗りたくなくて歩くことにする。暑かった日差しは薄い雲に遮られ、時折暑さがマシになるのを感じた。
何気なく携帯を開くと、大羽からの着信があったようだ。かけ直すべきか少し悩んで、結局かけ直す事にした。いつかはかけ直すのだ。どうせなら暇な今の方が都合が良い。
着信履歴から発信し、数回コールが鳴るといつもの声が聞こえた。
『おう』
「なに」
『なんじゃ、機嫌悪いのう』
「別に」
『今ええんか』
「別に良いよ」
『ほうか』
相手が大羽だと、無理に笑顔を取り繕う必要もない。喜怒哀楽のほとんどを素直にぶつけられるから、楽っちゃ楽だ。
「で?」
『広島の原田からさっき連絡あってのう、東京に来る用事があるから会おうでいう話になって』
「いつ?」
『再来週の金曜日。杉村も一緒に来るらしい』
「そっか、楽しみだな。一応予定は空けとくけど、行けるかどうかは仕事次第だって伝えて」
『分かった』
「それだけ?」
『あ、じゃあついでに星野に、兵悟から聞いたって言うとけ。言えば分かる』
「……基くんならいないよ」
『は?』
「友達が事故ったんだって。行っちゃったよ。だから自分で伝えて」
次第に苛立っていく自分が分かる。これ以上大羽と話していたくなくて、言い切って電話を切ろうとする。と、電話の奥で騒ぐ大羽がいた。
『待て!』
「……うるさいなぁ。なに」
『お前、今どこにおる?』
「どこって、貴子ん家の近く」
『貴子って、お前の大学んときの友達か。それってどこじゃ』
「……官舎から北に五百メートルくらい! そんなことどうでも良いでしょ!」
自分の発した大きな声が街に響き、自分で驚いた。街行く人の視線が刺さり、アタシは咳払いをすると声をひそめた。