「……うん、ありがとう。きつく言っておくよ。本当にありがとう」
ここは……どこだ。見慣れない天井に狭い部屋。だけど、温かい匂いがする。
さっきまで聞こえていた微かな声は消え、人の気配だけがある。周りを確認しようと体を動かそうとするけど動かない。頭は強く痛み、二日酔いという言葉を思い出した。
「起きた?」
「基、くん?」
天井を見ていたアタシの視界に基くんが入り込んだ。表情は……言うまでもない。
「気分はどう?」
「頭が、痛い」
「他は?」
淡々としたやり取りに怖くなって、言葉を見つけられずに黙って首を振ることしかできない。
「そう。どうしてこんなになるまで飲んだりしたの?」
「……ごめん、なさい」
喉がカラカラに乾いて、かさつく声が思ったよりもひどくて自分で驚いた。
「何か嫌なことでもあったの?」
あった。が、本人に言えるわけがない。それこそアタシの勝手な嫉妬心。醜い自分を知られたくもない。
しかしどうして公園のベンチで横になっていたアタシが今、こうして基くんの部屋にいるのだろうか。
「ここに来るまでのこと、覚えてる? 今日はどこに飲みに行ってたの?」
基くんは布団の横にあぐらをかいて座り、持っていたミネラルウォーターのペットボトルを隣に置いた。
膝の上に頬杖をつく基くんは、アタシの知らない表情をしていた。
呆れられたのか、嫌われたのか。どちらにしても覚悟をしなければならないのかもしれない。
「今日は早上がりで、いつもの店で飲んで……また編集部に戻って、少し、仕事をして」
頷くわけでもなく、そのままのポーズで基くんはアタシの言葉を聞いている。
「帰りに少し飲んで、公園に寄って……ベンチで……っ」
堪えきれない嗚咽と共に涙が出てくる。本当に自分が情けなく、後悔ばかりの自分が心底嫌いになる。
「公園でね、大羽君が見つけて官舎まで連れてきてくれたんだよ」
……とても冷たい声だった。
次に飛んできたのは怒りを含んだ怒鳴り声。
「こんな夜中に公園で、見つけたのが大羽君じゃなかったらどうなってたか分かる!? 知らない男に犯されて……ッもしかしたらもっと最悪なことになってたかもしれない!! ジョニーも財布も携帯も、無事だったったから良かったけど!」
こんな基くん、アタシは知らない。
「ねぇ、どうしてそんなに無防備なの……? 外はジョニーにとって、そんなに安全?」
今度は泣きそうな顔。怖くて、別れが来るのも怖くて、ただひたすら「ごめんなさい」と繰り返した。
その間、やっぱり基くんは黙ったままで、涙でグチャグチャになったアタシの目には、基くんがどんな顔をしているのかさえ分からなくなっていた。
「もういいよ……」
「!」
胸がわしづかみされて握り潰されそうな、鈍い痛みを強く感じた。ドクン、ドクン、と脈打つたびに痛みは強くなる。
いやだ。イヤだ。嫌だ! 別れるなんて言わないで。
「そんなに怯えた顔しないでよ、困ったなぁ」
「あ……」
そこには、優しい顔のいつもの基くんがいて、ゴツゴツした温かい手はアタシの髪と頬を撫でた。
「怖かった?」
言葉にならず頷くと、基くんは「良かった」と笑った。
「お仕置きはもう終わり」
そう言ってアタシを抱き起こし、初めてアタシにそうした時のように、優しく……割れ物を扱うように抱き締めてくれる。そして、指先でサラサラと髪をなでてくれた。
アルコールのせいか、なかなか言うことを聞かない筋肉を無理矢理動かし、アタシも基くんにしがみついた。酒臭い自分が恥ずかしい。
基くん。君に出会ってからというもの、アタシはとても泣き虫になってしまったようだ。昔はこんなんじゃなかった。本当だよ。
中学の頃からバレンタインにはチョコをたくさんもらうようなカッコイイ女で、男友達に囲まれていつも誰かを引き連れて歩くような女だったんだ。
懐かしい匂いのする胸に顔を擦り付けて、柔らかさと温もりを噛み締めた。
「ははっ、小動物みたい」
基くんの笑顔をもう一度見れて良かった、本当に。見つけてくれたのが大羽で、別れるなんて言われなくて良かった。
もう、酒はやめよう。やめれなくても量と回数を減らそう。そう心に決めた。
基くんは手を緩めると一回、アタシの唇に優しくキスをすると手を離した。
「で、何があったの?」
「……」
あぁ、やっぱりまだ怒ってるんだ。微笑みながらトゲを含むような声。
第一印象で優しいだけじゃないとは思っていたけど、彼は結構、見た目とは裏腹に黒かったりする。
でも、こんな一面でも見れて「ちくしょう、そんな顔も好きだ」と思ったことは内緒にしておこう。
「あぁ、喉乾いたよね。はい、ミネラルウォーター」
まるで拒否権はないようで、アタシは突き出されたミネラルウォーターを一口飲み込むと、深呼吸をした。
「で?」
「……今日、資料不備で先輩に怒られて。でもそれは同じ編集部の大野くんがやったことなのに、アイツはアタシのせいにして……」
「それだけじゃないよね?」
うっ……。あれを言っていいのだろうか。
本当はこんな嫉妬まみれなこと言いたくなんかない。だけど、目が。彼の目が全てを語れと脅してくる。
耐えきれなくなったアタシは目を反らし、うつ向いた。
「基くんに会えなくて……声だけでも聞きたくて、酔った勢いなら電話できるかもしれないと思ったから」
嘘をついた。
「そんなことか」と言ってホッとする基くんを、アタシは見ていられなかった。