03-公園

 もよおす吐き気を抑えながら、四方ガラスに囲まれたエレベーターで下りる。

 手すりにもたれ掛かり流れていく景色を見ると、街が暗くなっていて深夜の訪れを教えてくれた。

 ああ、まだ六月だというのにイルミネーションがもう夏色だ。今年の夏は、去年できなかった夏らしいことをいくつできるだろう。

 基くんと過ごす初めての夏に期待しながら、それでもどこか諦めている自分がいた。

 だって結局は仕事だしね、とか、夏ではしゃぐ歳でもないし、とか。また去年と同じように夏を諦める。

「……基くん、何してるかな……」

 アタシがこんなことを考えている中、彼は潜水士の仕事をこなしながら救急救命士の資格を取ろうと日夜頑張っている。色々と大変だろう。

 どうせ仕事と飲酒以外するべきこともないアタシに、どうにか手助けすることはできないだろうか。

 一人暮らしで一番面倒なのは家事だ。それを片付けるのはどうだろう。

 いやいや、逆に勉強の邪魔になってしまうかもしれない。誰にだって自分のペースと予定というものがあるのだ。

 悶々と考えながらエレベーターを降り、会社を出た。酔いが覚めてきて肌寒さを感じる。

 朝と昼は暑くて持ってさえ来なかったが、カーディガンかジャケットを着てこれば良かったと今さら思う。

 時計を見てみると一時を回っている。終電はもう出てしまった。タクシー、とも考えたが車に乗ったら吐きそうだからやめておこう。

 時間は掛かるが自宅は同じ横浜市内で、アタシに歩けない距離ではない。

 しかし、この寒さの中をコーヒーも飲まずに帰るのは堪えられない気がする。温かいものを求め近くのコンビニへ駆け込んだ。

「……」

 ドアがいつもの音楽を鳴らしながら開く、「いらっしゃいませ」もない深夜のコンビニ。別に嫌いじゃない。

 いつもの流れで雑誌コーナーを見ていくと、「横浜・美味しい地酒揃えました」という新しい食べ歩きの本があった。焼酎は大好きだ。本を迷うことなく手に取る。

 ふと隣にある女性ファッション誌にでかでかと書かれた「姫」という文字に、基くんの顔と分かりもしない姫子の想像がよぎって胸がドキンと音を立てた。

 軽く頭を振り飲料コーナーを見に行くと、ガラス張りの陳列棚を腕を組んで見据える。

 いやいや、冷たいものを買ってどうする。レジ横にあるホットドリンクをと思い、角を曲がるとちょうど酒コーナー。

 見てはいけなかったと感じるのは、レジを通った後だった。



「寒いし、温まるし、お祝いだし」

 嫌なことを忘れられるし。独り言を呟いて、店を出るとすぐにカップ焼酎の蓋を開けた。ゴミをゴミ箱に投げ入れる。

 飲むと、少し辛味のある味が口から喉へと流れていった。

「あ〜あぁ、祝い酒は美味いよ〜」

 一口ごとに気分も陽気になり、足取りも軽くなる。まだまだ遠い自宅へと歩を進めた。

 次第に温まる体と外気の冷たさを感じながら、どうでもいいことばかり考えた。

 洗濯は明日でいいやとか、久々に来ていた友達からのメールをまだ返してなかったとか、小さい頃の夢とか。

 考えれば考えるほど馬鹿らしく、楽しくなった。

 その間の一瞬一瞬に「姫子」がちらついては離れていった。そう、そしてそのまま戻ってくるな。

 思い出したくもないことに使う頭はないのだ。

 そして通りがかった、近くの小さな公園。酔った勢いか童心へ返りたくなったのかは分からないが、吸い込まれるように中へ入っていった。

 電灯に照らされたブランコに座り、揺られてみる。昔のように勢いをつけて、漕げば漕ぐほど高く登り、ビルの隙間に街の光が見えた。

 そういえば、電車だと通りすぎてしまうが歩けば基くんの住む官舎を通る。

 漕ぐのを止め揺れに身を任せながら、バックから携帯を取り出して開いてみた。

 もちろん着信なんてあるわけない。鳴っていないのだから当たり前だ。こんな深夜に「もしも着信があれば官舎に寄っていこう」なんて、夢を見た自分が恥ずかしい。

 ……昔の彼女には、もっと連絡していたのだろうか。

「!」

 途端に吐き気が込み上げブランコから飛び降りると、後ろの茂みに転ぶように駆け寄った。

 普段はなかなか吐いたりしないのに、今日はちょっと飲みすぎたかな。そう思いながらひどくなった頭痛と再び込み上げる吐き気を我慢する。

「……基くんは、呆れるだろうな」

 こんな女、自慢できなくて当たり前だ。むしろ恥ずかしいかもしれない。

「う〜……」

 駄目だ。家に着くまでに持ちそうにない。

 どこでもいい。そう思い近くにあったベンチに腰を下ろすつもりが、いつの間にか横になっていた。起き上がろうと思うのに、それができないほど体が重い。

 ろくなことがない。あぁ、編集長の言った通りじゃないか。

 馬鹿だ、やっぱりアタシは馬鹿だ。柄にもなくヤキモチ妬いて飲みすぎて、認められて舞い上がって飲んで。バチが当たったに違いない。

 なんでアタシは惨めで一人なんだろう。急に寂しい気持ちになる。

 基くんに会いたい、会いたい、会いたい。会うだけで良い、一目見るだけで良い。

 「姫子」とは高校で毎日会ってたんだよね。いいな。アタシも基くんと同じ高校なら良かった。同じ学年で、同じ時間を共有してみたかった。

 姫子は基くんの初めてをたくさん持っている。アタシの知らないことを、たくさん知っているのだろう。

 ずるいだなんて見当違いな嫉妬かもしれないけど、悔しくて、悲しくて……。

 切ない。

 苦しいよ。

 どうしてこんなに好きなの。

 酷いよ、基くん。こんなに惚れさせて。嫉妬させるくらいにベタ惚れで。

 以前のアタシを、これ以上嫉妬で壊さないで。

 鳴らない携帯を握りしめて、着信履歴を眺める。最後に来た電話は一週間前だ。

 あの時何を話したっけ。思い出せないよ。三週間前会ったときはどんな服を着てたっけ。キスは何回?

 思い返せば思い返すほど、この二ヶ月間で基くんの何を知れたんだろうと疑問に思う。

 溢れた涙が風に吹かれて冷えていく。いっそ、心も凍らせて欲しかった。

「……」

 物音と共に、少しだけ開くまぶたの向こうに人影が見えた。それが基くんだったら、と思うとさらに泣けた。

 鼻は熱くなってつまり、頭に痛みが反響する。全てを飲み込まれそうになりながら、目を閉じて痛みを和らげようとした。

 いっそこのまま、目が覚めなければいいのに。そんな風に思った。

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