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・室町 ・学生 ・夏らしい仕上がり 楽園 伊作先輩からバイトの手伝いを頼まれるのは珍しいことではなかった。 休日の朝、あるいは休日前日の夜遅く、私と雷蔵の部屋の障子ががらりと開いて、伊作先輩が仁王立ちで立っている。表情を変えずに鉢屋おまえ今日(または明日)あいてる、と尋ねる。語尾のイントネーションをほとんど上げないので、その言葉は疑問系ではなく一瞬唐突な断定系のようにも聞こえる。あいてますけど、なにか、と返事をすると、「バイトしない」とこれまた断定するような調子で問われる。別に、いいですけど、と私が相手に合わせるようにはかばかしくない返事の仕方をすると、先輩は「坊主のかっこをして欲しいの」と独り言のように呟いて、続いて肩越しに抱えていた袈裟をばさっと床に放り、「制服貸与です。」とちょっと笑って言い放つのだった。 坊主の変装は、はっきり言って苦手だった。まず髪の毛をどうするか。剃ってしまうわけにはいかないので上から坊主頭を被せるしかない。そうすると頭皮と顔皮のつなぎめが問題になる。ぜんぶ繋いで目だし帽のようなマスクをつくってもいいけれど、最近暑くなってきたからあんまりやりたくなかった。あと全体のバランスをどう取るか。以前手伝いに呼ばれたときは首を太くして襟を高くしたりしたけど、今となっては何だかぜんぶ面倒くさい。私は半紙に書き付けていた筆を止め、こりかたまった肩を解すとそのまま仰向けに畳へ墜落してしまった。 次に目を開けた時はすっかり日が高くなっていて、窓から差し込む強い朝日とうるさい蝉の声を感じた瞬間私は一切の変装を放棄することを決めた。いつもの雷蔵の顔に袈裟を羽織るとそのまま部屋をあとにする。髢さえつけていない私の頭は短髪のざんばらだ。廊下を半分くらい歩いたところで、ふと思い出して部屋へ帰った。するとまだ寝ぼけている雷蔵がふらふらと数珠をさしだしてきた。流石は双忍である。再び門へ向かうと体が蝉の声に包まれた。 外出届けを提出し門をくぐる。待ち合わせの場所にまだ伊作先輩の姿は無かった。手拭いでつたい落ちる汗を拭い、笠を目深にかぶり直して腕組みしていたら袖の中がじっとりと汗で蒸してきた。ばさばさと振って熱気を逃がす。すると木戸の音がして、ようやく先輩が到着した。 先輩は私の姿を見るなり、「何、その格好」と綺麗な眉をひそめた。「暑いんですよ」と返すと、「これじゃ二人とも生臭坊主じゃない」と勝手なことを言い出した。先輩の髪は後ろで簡単に結ってあるだけだ。おそらく自分が剃髪できない代わりに私に僧としての正装をさせようと思ったらしい。何度も言うけど、勝手な人である。 「先輩こそ少しお切りになったらどうですか。これから先、お暑いでしょう」 「就活始まったら切る」 ふいに至極一般的な最上級生らしい言葉が聞こえたので、私は図らずも少し微笑ましいと思ってしまった。就活始まったら切る。今日出題るとこ何処、みたいに俗っぽい言葉。言うほど髪なんか大切にしてないくせに。無意識に世間並みを吐く唇が久々に愛しく感じた。 二人連れだって歩きながら、バイトの簡単な説明を受けた。今日は葬式らしい。金楽寺やそれクラスの住職にはとても相応の報酬を渡せないような、極貧の農家の。「年貢を取らない範囲の?」と尋ねると、「ううん。身分は普通の農民だけど、まあ。」と答えた。「まあ」ということは、まあそっちスレスレということだろう。 次第に道が細くなって狐狸の糞が増えて来た頃、もうほとんど打ち捨てられたようなあばら家の前でようやく先輩の足は止まった。「ごめんください」と言って先輩は中へ入った。 痩せた大家族が悲しむというよりは困ったような顔で待っていた。先輩は薪割りのくずのような位牌を見せて、こうやって誰それ何々と戒名を書きましたからね、こう読みますからね、と字の読めない一家の父親に教えた。そしてそれを壁へ立てかけると、その場へ腰をおろして経を上げはじめた。 私も家族と一緒に床に座って、本格的なんだか適当なんだかよくわからない経を粛々と聞いた。始めは真面目な顔をして坊主の真似をしていたけれど、暑いし汗はかくし、おまけに末の子が麻疹を患っていたのであんまり長居して下級生に病気をもって帰りたくなかった。膝の間に汗をかきながら、早く終わらないかなあと考えていた。するとそのうち先輩が十分くらいで経を切り上げたので、やっぱりあの念仏は適当だったと知れた。(忍術学園で死人が出たときは葬儀で授業が一時間潰れる。) 先輩は壁へ一礼して家族の方へ向き直ると、御愁傷様も何もなしにいきなり説法を始めた。 なんでも、むかし応永のころ大きな飢饉があり、皆々食べるものが無く、草を煮ては食い、木の皮をはがしては食いしていたけれど、ついに堪らなくなって死人の肉を食うやつが出た。人肉を食って飢饉を生き延びた男は、自分には必ずいつか仏罰が当たり餓鬼道地獄へ堕ちるだろうと思っていた。男は非常に後悔し、昼も夜も南無阿弥陀仏を唱え続けた。ついに仏罰は当たらなかった。 このように南無阿弥陀仏さえ唱えればどんな極悪人でも罪が許され浄土へゆけます、どうぞ南無阿弥陀仏をお唱えなさい、そう言って説法は締めくくられた。 農民に聞かせる説話としては少々ヘヴィにリアルなんじゃないかな、と私は少し面食らった。しかし夫婦はこの上なくありがたそうにして説法を聞いていた。 そのとき後ろで子供の一人が「ひとごろしでも?」と小さく呟いた。たぶん先輩の説法の、どんな極悪人でも、というのに引っかかったんだろう。私がかがんで、人殺しでも、嘘吐きでも、淫乱でも成仏できます と小さくフォローすると、先輩はこちらを睨んで矢羽根で「黙れ」と毒づいた。だってあんた、人殺しで、嘘吐きで、淫乱でしょう。私はそう返した。 忍術学園では2年生のときに、斜堂先生の得心の時間というのがある。そこで死と生に関するあらゆる問答が繰り広げられる。 最初に教壇で先生が、みなさん人は死ぬとどうなると思いますかと問いかける。 我々は困惑して顔を見合わすばかりだが、そのうちにどこからともなく「極楽浄土に行って生まれ変わります」という声が上がる。そこでやっと他の者も口のききかたを思い出したかのように次々と同じことばを追いかけはじめる。 「お寺でそう習ったからですか」 「そうです」 そうですか、と先生は肯定とも否定とも嘲笑とも感心とも取れない言い方をした。 違うんですかと誰かが苛立った声をあげる。 「まあ一般の方々にはそれでいいでしょうがねえ、我々はそういうわけにもいきません。」 ここでようやく皆が居住まいを正す。私は皆から無言の催促を受けて、死んだらどうなるんですかとクラスを代表して質問した。 先生は、どうもしません、死んだら無になるだけです と静かに告げた。死んだらそれきりです、生まれ変わったりしません。極楽浄土なんてどこにも存在しないんです。教室は騒然となった。 死ぬことは無くなることです、だからみんな、何よりも先に命にしがみつきなさい。生き延びることを優先なさい。巷では生きとし生けるもの皆死ねば仏になるなどといかさまな教えが広まっていますがそれは間違いです。生き残った者が勝ちです。いいですか、これは絶対です。努々忘れないようにして下さい。 「先輩、二年の得心って受けてました?」 「斜堂先生の? 懐かしいねえ」 先輩はつとめてのほほんと聞こえるように話した、明らかに。バイトと割り切っているのか。一体こんな家からどんなはした金を巻き上げようというんだ。 猜疑してるそばから、先輩が母親からお布施をもらっていた。本日のペイだ。やっと解放された、そうため息をついて「こちらへどうぞ」の声について裏口から外へ出る。 「まことにどうぞ、どんぞよろしくお願い致します」 裏庭には、一人の老婆が呆けた様子で地べたに座っていた。 思わずふりかえると扉はもう閉まっていた。 「先輩…!」 「鉢屋そっち持って、たすき持ってきた?」 「これは…姥捨て…?!」 じゃあさっきした葬式って…?! こんがらがって固まっていると、先輩が目だけこっちに向けてにやりと笑った。 「ビビっちゃった?」 ムカ、と音をたてて感情が隆起し、脳みそが一瞬で冷静になる。黙って背中を差し出した。伊作先輩が老婆の体をあまり丁寧でない手つきでおい被せてくる。私の胸に枯木のような二本の腕がだらりと垂れ下がった。 姥捨ての噂はちらほら聞いていたが、あれはもっと中途半端に貧乏な農家がやるもんだと思っていた。あんな極貧の家なら何もしなくてもふつう老人は真っ先に死ぬ。死ねなかったのは強運からか、それともそういう業なのか。 葬式をあげたあばら家もそれなりに人里離れたところにあったが、伊作先輩はさらに人けの無い獣道を進んだ。あまりすぐそばの山に捨てると何年かたってから捨てたはずの親と偶然再会してしまうこともあるらしい。山を一つ迂回し、となりの山を選んだ。 真夏の昼とはいえ山奥まで来ると日が届かず薄暗い。木の葉が何層にも折り重なっているので、地面を踏みしめて歩いているはずなのに何となく地の底を行っているように感じる。樹木越しに遠く聞こえる蝉の声はひっそりとしていて山の冷気を引き立てる。まるで私と先輩とこの老婆が、山ごと冷たいびいどろの箱に密閉されてしまったかのような感覚に陥った。 先輩は自分の庭みたいな態度で迷いもせずに歩を進めていた。たぶん一段下を渓流が流れているからそれにそって進んでいるのだろう。厚い葉層に覆い隠された小川を何となく眺めながら歩いていると、急に先輩が左に曲がった。あいかわらず表情はない。でも手をかけてターンするように左折した木の、肩より少し低めの枝に、忍術学園の四年の頭巾がゆわえつけてあった。 曲がった先はすぐにどんづまりになっていて、崖ともなんともつかない不自然な傾斜が立ちはだかっていた。こっち、という声に従ってまわりこむと、土に側面をのみこまれた大木が何とか持ちこたえたような様相で身をしならせて立っている。 「土砂崩れですか」 「裏裏裏は土が砂っぽいから時々おこるんだよ」 なるほど。つまり、何もしなくとも定期的に浄化されていくというわけだ。 「ここへ」と指さされた木の根元のうろへ老婆をおろした。枯れ木のようだと感じていた手は私の肩からねばっこく糸をひき、やがてぱたりと地へ落ちた。 汗蒸した背中から着物をはがしつつ肩筋をほぐす。地味にきつい肉体労働だったなとか、報酬はちょっと多めにくれるかなとか、まあまずないだろうなあ、とか、私は老婆ののけぞらせた首を見ながら考えていた。 先輩はというと、うろの所へかがみこんで何やらごそごそやっている。かと思うといきなり老婆の耳に口を近づけてこう怒鳴った。 「うちの寺から下男をですね、呼んできますからね、ちょっだけここで待っていてください。明日からはうちの寺でね、寝たままできる仕事もたくさんありますから。」 何を言ってるんだこの人は。 しかし老婆は泣き出さんばかりに喜び、満足にものも言えない喉を必死にうならせて仏を拝むように両手をすり合わせた。まさに救済された人であった。かがみこむように背中を丸め低頭する老婆は、とても先ほどまで私の背中でぴくりともしなかったのと同じ人物とは思えない。先輩は自分の膝に涙を流して額をこすりつけている老婆の盆の窪へ、人差し指と中指をそっとそえた。その指の間には銀の針がにぎられていた。 ビクンと大きく身を震わせると、すぐに老婆は静かになった。先輩はゆっくりと急所から針をひきぬき紙で血をぬぐうと懐にしまった。そして自分の膝の上にある頭をゆっくりと木にもたせかけた。まるで一連の舞のように一瞬のできごとだった。 「かえろうか」 着物をはたいて先輩は朗らかに言った。遅くなっちゃったね、と演習の帰りのようなことを言っている。笠をかぶり直しながらすたすたと私の横を通り過ぎようとして、立ち止まり、袖の引っかかった感触にゆっくりとふりかえった。 「・・・なんなの」 「・・・最後のあれ、 あれの金もあんた、ちゃんともらったんですか。」 「・・・手 痛いんだけど」 「答えてくださいよ!」 いきなり激したのに意表を突かれたのか、先輩は一瞬ひるんだように瞳を揺らした。 「そんなの、お前、関係ないでしょ。お前の分はちゃんと払うんだから。」 「そういう話じゃないです」 「ねえ何おこってんの、」 つかんだ指をひきはがすように右手が触れてきた。その手もまとめて両手を拘束する。 「いたい」 「あの家族は先輩がこうやって始末をつけてやったこと知ってるんですか」 「・・・・・・」 「知らないんですね?金ももらってないんですね?」 「ちょっとさあ、そんなのどうでもいいじゃん。僕が好きでやってるんだから。」 先輩は拘束から逃れようと身を捩らせた。私は逃がすまいとますます両手に力をこめた。 「あんた、忍者になるんでしょう。あんたが学園で習ってる技術はね、こんな、慈善事業に使うためのもんじゃないんですよ。わかってるんですか」 「うるさい、そんなの僕が決めることだし。」 「・・・・・・」 「ねぇ、遅くなるじゃん」 先輩は眉尻を下げて困ったような顔で笑った。 偽善者。 とっさにそんな言葉が浮かんだ。ぐいと顔を近づけてねめつけてみたが、化けの皮は一向にはがれる様子を見せない。 ねじこむように暴こうとしてみてもやんわりとした表情で受け流されるだけで、私はついに諦めて両手首を下へおろした。こうやって無視を決め込んでいる伊作先輩がてこでも動かないのはよく知っていたからだ。 先輩は何でもないように一つ息を吐いて、つかまれていた手をゆるくさすりながら帰路をたどり始めた。 下山すると日はすでに暮れていて辺りは暗かった。先輩は夜道を歩くための油を染み込ませた細縄を携帯していたが、不運なことに二人とも火種を持っていなかったので諦めて星明かりをたよりに学園へ帰ることにした。 幸い星は空へちりばめられたように瞬いているし、蝉ももう日が暮れてだいぶたつというのに名残惜しくジワジワと鳴いていた。私は密かに二人きりにならなくてすんだことを安堵した。光と音は騒がしく交錯して沈黙の間を繋いでくれている。 私たちが木の下を通ると光は弱くなり、声は強くなる。通りすぎると声は遠くなり、光は近くなった。一度遠くの星が近づいて来たと思ったらどんどんでかくなり、提灯を持った女が深く礼をしながら通りすぎていった。こんな我々でも聖職者に見えるのか。浄土信仰という嘘を守り続ける偽善者。声の周波がまた近づいてくる。 身を侵すようなノイズの雨に突入すると、耳だけといわず鼻も口も、毛穴に至るまでこの密な音に埋め尽くされるような気がした。水の中を泳ぐように、音をかきわけて歩いている。 (そんなにねあんた、全てを善いように収めてやる義理なんか無いんでしょう。この世に。) 雑音に忍び込ませるように呟いてみた。一言残らずきれいに蝉の声がさらっていってくれた。 裏山の麓まで近づいてようやく学園の明かりが見えてきた。競合地帯の罠を避けながら岩だらけの地面を行く。 「センパイ、そこ」 「え、」 「作法が掘った穴が」 「あー・・・・・・綾部か・・・・・・」 先輩はだるそうにため息をつくと、つま先で丁寧に穴の表面をふみぬいて下へ落としてから言った。 「収めてやるってかね、たぶんそういう習性なんだわ。ぼく・・・」 「は?」 「さっきの答え。」 視線を投げると目があった。先輩は微笑っていた。 さっきの独り言が聞こえていたのだとわかり、耳に血がのぼる。先輩はその耳を包み込むようにして私の顔を上へ向かせると、ゆったりとした接吻をよこした。 わずかに酸っぱい味のする舌を吸いあって、唇がはなれたあとも私たちはそのままの姿勢で何となく立っていた。汗でべたつく額をつきあわせ、互いの呼吸を感じながら遠くの蝉の声を聞いていると、暗いはずの眼前に星が散る思いがした。 「蝉は生まれる前はどこを生きてるんだろうね・・・・・・」 先輩は疲れたように言った。 「・・・先輩は生まれ変わったらペテン師になればいいと思います」 「やだよ、お前と同業なんて・・・」 「俺が代わりに偽善者をやりますから」 すっと耳元で呼吸が止まり、先輩が息をのんだような気配がした。でもすぐにまた額があずけられ、先輩はゆっくりと息を吐いた。 「考えとく・・・・・・」 俺があんたに惹かれるのは、あんたが虚しい人だからだ。 こうやって星が瞬くのも、蝉がなくのも、なにひとつ関係ないような顔をして生きてる。夜の帷からもれでる光さえ、浴びないようにして生きている。 あんたがそれでいいと言うなら俺は何も言わないけども。 あんたが暗いところで糸を紡いでいるのを知らないままに、蝉はなくし、星は降るし、それがあんたを巡る現実であることには変わりがない。 いつのまにか背中に手がまわされていた。袈裟の結び目がほどけ、足もとに落ちる。空を見上げてされるがままになる。 蝉がなきやんだ。 この星の向こうのどこかに、先輩がねじりとめた善と悪が脈打っている。
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