※連載ヒロイン(エースside)




島に着く直前を待ち伏せされてるとは。この船の甲板に乗り込もうとする見知らぬ海賊を、船室の外壁に凭れて見る。溜め息が出そうになるのを堪えて愛用の短剣を両手に一本ずつ握る。極力大きな動きは控えて戦おう。私が飛び回らなくても、上陸直前に邪魔をされて苛立ってる隊長達が早々にそれぞれの武器を構えているんだし。ああ、それにしても嫌なタイミング。とうとう堪え切れずに溜め息が零れる。

「大丈夫?」

後ろからクスッと小さな笑いが聞こえた後に、柔らかな声で尋ねられる。振り返る前に彼女の方が隣に来る。いつもと変わらぬ柔和な大人びた微笑。戦闘前に部下が溜め息を吐いていたらさり気なく声をかける、流石はマルコ隊長と並び称されるだけの事はある人だ。そんな彼女が心配してくれるには、あまりにも陳腐な溜め息だったので、ひとまず笑顔で取り繕う。

「大丈夫です、ちょっと考え事してて」
「無理しなくていいからね、せっかくお洒落したんだし」

そう言うと、若いクルーに年齢不詳と言わしめる悪戯っぽい笑顔を残して、戦闘を始めた輪の中に入っていった。その後ろ姿を見送ってから、苦笑が漏れる。見破られてたか。久しぶりに着た明るい色合いのややタイトなワンピース、リボンの付いたハイヒール。久しぶりの上陸だから気合い入れてちょっといつもと違った格好をしたら、そんな時に限ってこれだ。おかげで、戦闘に意識がいってしまったエースなんてこっちを見る事なく行ってしまった。溜め息くらい出る。

「とりあえず、来たら討つでいこう」

そう呟いた瞬間、敵船のマストから下がった綱を振り子のようにして数人の海賊が飛び込んできた。神様なんて信じてはいないけど、神様の悪戯というなら随分意地が悪い。惜しいけれど仕方ない。短い逡巡の後、すぐにハイヒールを放り出すように脱ぎ捨てた。きっと傷が入っただろうな。この腹立たしさはこの敵にぶつけるとして、両手の愛刀と共に踏み込む。

「邪魔だ、女ァ」
「邪魔はそっちでしょうが!」

図体だけの男の懐に飛び込んで、すり抜けながら刃を走らせる。同時に乗り込んできた数人の敵にも同じ事を繰り返す手順で片付けた。威勢以外はいい所なしの海賊に呆れる。情けない奇声を発して崩れる男の脇を潜り抜けるように避けて、その先の奴らの腹に素足で蹴り込む。その瞬間、ビッと嫌な音がした。あああ、やっぱりやってしまった。けれど、今はもうしょうがない。蹴りの勢いを殺さぬまま近くにいた奴を一気に薙いだ。これで私の目の前に乗り込んできた海賊は消えた。

「…あーあ、おいたが過ぎるよ、神様くん」

予想通り、嫌な音を鳴らしたワンピースは、裾からスリッドのように見事に裂けていた。幸い、脚を露出するような醜態にはなっていないけれど。泣きたい気分でも、涙より溜め息が出た。珍しい事なんてするもんじゃない。そう思うと、愛刀の刃に付いた返り血が殊更憎々しくなって、必要以上の大振りでその血を強く払った。

「うおっ、危ねぇ」

その瞬間、予想外に真後ろから予想外に慌てた声がした。こちらもまた驚いて振り返ると、私が払った剣の軌道をぎりぎり避けたという感じの不格好な姿勢のエースがいた。微妙なタイミングで現れたエースに対応しきれずにいる内に、エースは避けきれなかった返り血が飛び散った腕を苦い顔で拭う。

「とりあえず、ごめん」

短剣を鞘に収めてから、立ち上がるエースに手を貸す。エースが来たという事は、戦闘はもう終わったのかと振り向くと、甲板に敵の姿はもう数人しかいない。その程度なら乗り込んでくるな、その程度の奴らの為に新しい服と靴をダメにしたのかと思うと、肩が落ちる。すると、不意にエースの顔が目の前に現れた。急に覗きこまれて、落ち込んでいた肩が一気に跳ねた。

「な、何?」
「どうした?何かあったのか?」

怪訝そうに見てくる目が、それでも気遣わしげに心配してくれているように見えるのは私だけか。一瞬、どきっと息が詰まったと同時に、無様に裂けた裾を思い出す。はっとして、反射的に握り潰すように裂けた所を掴んでしまった。すぐに考える前に動いた事を後悔した。そんな動き方をすれば、エースが見逃すはずがない。

「まさか、破られたのか?」
「あ、違う違う!蹴り上げた時に裂けただけ」

気絶して倒れている敵に鋭い視線を投げたエースを慌てて制止する。その時にエースの視線が転がっている敵の向こう、脱ぎ捨てた私のハイヒールを捉える。ああ、しまった。どうして、気付いてくれなくていい所に気付くんだろう、この男は。それも、優しい事に限って。私の方を振り返ったエースの視線から逃げるように、目を逸らす。明らかに気合いを入れてきましたという格好で、明らかに暴れ回った痕跡。それに対して居心地の悪さと羞恥を感じるだけの女心は私にだってある。

「悪かったな」
「え?」
「せっかく綺麗な服だったのに、もっと早く来てやるべきだった」

ばつが悪そうに、すまん、と謝るエースに、何だかわからないまま首から頬から顔が熱い。服に気付いてくれていたんだとか、戦いたくないと思ってたのを察してくれてたんだとか、助けてくれるつもりだったんだとか、そのくせにそんな素振り見せなかったじゃないかとか、一気に頭の中で回って追いつかない。

「別にいいよ、そんなの」

何とかそれだけ言った私の顔は、もうきっと赤くなってる。その証拠のように、こちらを見てエースが笑う。その笑顔を見たら、悔しいけどこっちまで笑ってしまった。甲板の方から戦闘とは違う陽気な騒ぎ方で声が上がり始める。上陸の始まる合図だ。

「行くか?」
「うん、着替えてくる」
「あー、ちょっと待て、勿体ねぇ」

足早に転がったままのハイヒールを引っかけるように履いて、自室に向かおうとしたら肩を掴まれた。何かと思う間もなく、じっと凝視される。その視線がゆっくりと下に下がり足元までいってから視線が上がり、また目が合う。それからニカッといつものように笑う。

「よし、ちゃんと見た。着替えてきていいぞ」

そういう事か、と思った瞬間にどんな表情をすればいいのかわからなくなった。戦闘が始まった時、あんなにあからさまに苛立ってた自分が馬鹿らしくなる。恥ずかしいような嬉しいような悔しいような。もう思考が追いつかなくなって、思い切りエースに抱き付いてやった。バランスを崩しかけて変な声が聞こえた後、少し照れたような笑い声が頭上から降る。これが神様の悪戯とやらの罪滅ぼしというのなら、仕方ないから許してやる。


無神論者のハレルヤ

requested by Hana-san
111016